個人史⑥19-23歳まで
性同一性障害(Xジェンダーだけど)と発達障害の診断が降りて数年経った今、自分史をもう一度振り返ってみようと思います。
今回は浪人、大学生編。
性格
劣等感の塊。仕事以外のことで人と関わりたくない。一方でプライドが消え文章を通して他者の価値観に関心が向く。競争から降りたため自分のペースで勉強すること、考えることが楽しくなる。数学ごめん。
記憶、できごと
浪人生
①不合格から2ヶ月ほどお粥しか食べられなかった。
②兄が独立、私が高校を卒業したことで生活保護の受給額が下がり、転居することに。
③役所から連絡が来る。本来は就労活動を進めなくてはならないが進学校卒のため一浪を認める、とのこと。大卒になって親を支えろということ。何様ァ。
④画塾は先生の好意で無償となる。……が、後々タダよりこちらが不利になるものは無いと知る。もちろん予備校は行けないため学科は宅浪。
⑤甥の子守を頼まれ週1で姉宅へ向かう。
妖怪ウォッチ体操たくさん踊った。
⑥浪人の焦りと外との関わりが遮断しているためか辛いことばかりを思い返す。
⑦思うように技術が上がらない。先生は過去問から外れた課題しかさせてくれなかったが要望は強く言えない。描き方の説明もしてくれない。金輪際、無償で何かをしてもらうことは辞めようと強く思うようになる。手習いのおばちゃんが見かねて親切にしてくれた。
⑧結果、また不合格。1週間ほど声が出なかった。詳しくは書かない。
手習いのおばちゃんが泣いてくれ、「沈むところまで沈んだらいつか急にポンと心が跳ね返る時が来るから」と言われたのをよく覚えている。それきりになってしまった。
大学1年
①1ヶ月寝たきり。人はこうやって引き籠もりになるんだな、って思った。
②たまたま読んだ対談で通信制大学があることを知る。学費も自分で賄えそう。ぎりぎり入学に間に合う。
教育学部に入ったのは、何故、担任の先生たちは私の進路を矯正しようとしたのか、何を学べば生徒の希望を制してああ言えるのかを知ろうと思ったから。甥を通して発達の変化に気づき、発達心理学を学べば自分や家族の状態に納得できるかも、とも思った。
③役所にはとりあえずアルバイトをしてお金を家に入れると言って押し切る。
④アルバイトは学業と互換性がある方が良いと思い学童保育にする。結果的に学んだことを学童にも還元できていたと思う。勉強が楽しいと思えるようになった。
⑤育った家の異常性に気付く。
大学2年
①家を出ようと思う。惣菜屋で掛け持ちバイト開始。自炊スキルを上げる。女社会に揉まれる。
②接客もあるため化粧を始める。気分が悪くて仕方がない。
③秋から猫を連れて一人暮らし。生活保護も解除。朝から夕方まで働き、夜勉強する日々の中、学童保育への就職を希望する。
④発達心理学を勉強するうちに家族それぞれの人生を想像し、自分が育った環境への折り合いをつけることができた。
大学3年
①体に支障が出そうになったため惣菜屋を辞める。就活に備え電話対応を克服しようとコールセンターのバイトをする。半年で耐えられなくなり辞める。学童のバイトだけになり金欠。
②介護実習で病院へ。高齢者との接し方が分からない。介護実習と教育の結びつきが分からずモヤモヤする、という思いと苦手を克服する精神が現れグループホームで派遣バイトを始める。
③何の知識もないため3人の先輩たちからいじめられる。萎縮していたが、教えを請う内に「他人は自分の物差しで判断して喋っているだけ」と気づき自分を卑下することを辞める。1ヶ月で先輩たちが他所へ異動になり軌道に乗る。トランスジェンダーを自認するCさんと出会う。忘れられない人。
大学4年
①Cさんと仲良くなりたいと思いトランスジェンダーのことを調べる。LGBTsの用語を知る。自分の性別違和を思い出す。
②Cさんと打ち解けかけた頃、私が異動になる。ショックを抱えて過ごすうちにCさんと同じような生き方をしたいと思う。
③何とか4年で卒業し、上京して学童保育で働くことになる。前の職場に挨拶しに行くがCさんが辞めたことを知る。思い切って壁にある電話番号をメモして連絡しお礼を言う。
猫と一緒に東京へ。
まとめ
同世代の友人と出会うことは無かったが、その場その場で親切にしてくれる人は居た。積み重ねのうち一期一会を大事にできるようになった。
自立、スクーリング計画により行動力も身につく。学童保育の子供たちからは過去の自分に足りなかった遊びや社会性を教わった。4年間を通してたくさんの人から育て直してもらったという認識。
キャンパスライフは送れなかったけどフリースタイルな通信制大学は性に合っていた。
教育学を履修するうちに自分、親、きょうだい其々の事情を汲み取り整理できたことは後の仕事に活きている。