個人史⑧25-28歳まで(完)

性同一性障害(Xジェンダーだけど)と発達障害の診断が降りて数年経った今、自分史をもう一度振り返ってみようと思います。
今回は上京2年目から5年目である現在まで。

性格

対人不安有り。
抗うつ剤の服用後からは多少落ち着く。
自己追究しては病み、回復しては病み、を繰り返すばかり。

記憶、できごと

上京2年目
①LGBTQsの講演を巡る。そこで出会う人と話したりSNS上での繋がりができたりする。
孤独感が和らぐが、参加者のように当事者であることが原因で深刻な自傷をする、不登校になる、差別を受ける等の経験は無かった。ホルモン注射や性別移行への意欲も無いため、他の当事者と比べて自分の苦悩が小さいことに悩む。どこにも所属できない感じ。

②性的指向を調べていくと相手の性別はあまり重要視していないことに気付く。パンセクシャル自称。

③4月から非常勤教員となる。メインは授業についていけない子のサポートをすること。たくさんの発達障害児を見て共感しまくる。
自分も診断が下りるのでは?と思うも受診はしない。自分の仕事の境界が分からず萎縮していた。直接関わる人以外からは良く思われていなかった。
④管理職に「教員続けてみたら?」と言われ、一度は断る。が、尊敬できる人からの勧めだからと思い直し受験することに。

⑤8月上旬、Cさんのことや姉一家のことで立て続けにショックを受ける。孤独感が最大限になり夏休みの2週間寝たきりになる。今までと違い風呂に入れない、食事が摂れない。
すぐに診察してもらえる精神科に駆け込む。寝込んだのはどこにも安全基地となる人がいない、仕事に馴染めない、自分が何者か分からないことが主な原因。抗不安薬を渡される。
教員採用試験の当日の朝まで寝込んだ。帰ってからも寝込んだ。
⑥せめて自分のことをはっきりさせたいと思いジェンダー外来の受診を開始。9月からはコミュニティに参加できるようになる。

⑦10月頃にMtXのパートナーに出会う。付き合って2ヶ月までは私がかなり警戒していた。すまないと思っている……。告白されるのも付き合うのも初めてなの。

⑧無理して化粧しなくていい、と思えるようになる。今も芋チキンとして生きている。

⑨教員採用試験は期限付き教員としての合格。来年の一次試験が免除されるなら良いか、と次年度も教員をやってみることに。

⑩年度末に父が急逝する。衝撃はあったが
対面しても泣いたり心が揺れたりすることが無い。悲しめない自分が悲しい。


上京3年目(ここからは新規書き起こし)
①勤務校が変わる。まさかの算数専科。高校時代、万年赤点だった数学オンチが。
「女性教員らしさ」を求められ苦悩する。

②性同一性障害の診断が下りる。個人史を書くうちに発達検査を受けたくなり、別の精神科へ向かう。
③「彼氏」「彼女」と呼び合うことへの抵抗が抜けない。彼と接する中で、自分が女であるということを突きつけられる度に拒否反応が出る。トラウマもよく蘇った。

④適応障害になる。何とか1学期を乗り切るも夏休みは寝込む。その状態で再び教員採用試験を受ける。合格する気は更々無い。
同時期に発達検査を受ける。
⑤なぜか合格する。
自閉症スペクトラムの診断も下りる。

⑥低用量ピルの服用開始。性自認の揺れが収まり安定する。

上京4年目  
①諸事情により特別支援学校勤務となる。
知識ゼロからの再スタート。
②もれなく適応障害が再発する。
7月から抗うつ剤を飲み始め、やはり夏休みは寝込む。その後は薬も効いて吹っ切れたように仕事に馴染んでいく。

③仕事のこともあり発達障害について関心が高まる。集中するためLGBTQsの界隈から一度離れる。
④爬虫類沼にはまり生き物に囲まれて暮す夢が実現する。


上京5年目
①職場は継続。抗うつ剤のおかげか人との会話が苦しくなくなり、陽気になる。人から話しかけられる機会も増えた。少しずつSNS上での交流も増えてきている。が、年上や上司に対しても強く意見を言ってしまうようになりつつある……。

②うつ症状は寛解している。不眠程度。
③LGBTQs界隈にも戻る。個人史を振り返ることで次の課題を見つけようとnoteに書く。

まとめ

ようやく「普通の生活」が送れるようになり精神的にも経済的にも安定してきた。
これはパートナーの存在が大きい。
仕事面や対人面での課題はまだあるが、今が最も前向きに生きていることに違い無い。

現在は性的少数者としての自分も、発達障害者としての自分も、うつ状態の自分もそれぞれ自己嫌悪無く受け入れられている。
全部が側面であり全部が私。


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