文章書くの苦手すぎて放置してたけど 頑張って書くようにしよう。
単にお金が欲しくて働くんじゃない 家や食べ物、趣味を今のレベルで維持または向上させたいから働いてお金を稼ぎたいんじゃ。
「あぁ、今日はたくさん頑張った」 という日には、ちょっと贅沢をする人がいる。 僕がその1人だ。 たまたまセブンイレブンで見かけた「オムすび」。 甘くて、強く握れば崩れるほどフワフワのおにぎりは、おにぎりとしては邪道なのかもしれない。 けれども僕にとっては、いろんなことに夢中になっていた童心に帰らせてくれる魔法の食べ物だった。 食べれば心が元気になれる。 廉価だが、親の庇護の元で無邪気に笑っていた頃を思い出せるこの食べ物を、僕は大層気に入った。 でもある時を境に、ぱったり
過去にすがるような生き方はしたくない もっと過去の自分ががんばった証だから それより 過去の自分が誇れる生き方をしたい 「あなたのおかげで私はここにいるよ」 と、感謝したいから
長所と短所は善悪にはなり得ない 行動の結果、他者へ与えることができれば善、他社から奪うことになれば悪。
罪を憎んで人を憎まず ただし、罪と短所を履き違えてはいけない。
運動が得意で力がある人 頭が良くて勉強ができる人 背が高くて顔がいい人 社会人になりたての僕は、カッコいいとはこういうモノだと思っていた。 力は弱くてヒョロイし 仕事もまともに出来なくて 低身長で老け顔の僕は、全くカッコよくないと思っていた。 でも、最近少し考えが変わってきた。 スーツをバシッと着こなす人も 汗ダラダラ流してる作業現場の人も お腹がだらしない人も みんなカッコよくて、輝いて見えるようになった。 「なんでかなー」 気になった僕は、その人たちと自分を比
食べ物と服と家があれば充分生きられる ついでに小説、ゲーム、YouTube、ラジオ、スマホ、パソコン、カメラ、音楽etc…があれば幸せ さらに共有して一緒に楽しんでくれるパートナーがいれば、もうそこは天国 そしてこれを支えるために今日も仕事を頑張りました
僕と道端の草はちがう 草はしゃべれない。歩けない。スマホを使ってnoteへ投稿もしない。 僕はしゃべれる。歩けるしスマホも使える。 こんな風に、自分にあって相手にないものを見つけるのは簡単。 逆もまた然り。 草は光合成ができて、葉っぱを千切られても生きてくことができるが、僕はできない。 僕と草の違いなんて、挙げればキリが無い。 じゃあ同じところはないのか? いやある。 どっちも「生きてる」。 でも水や空気がないと生きていけないし、日光に当たらないと元気がなくなる。
「時は金なり」 「時は人を待たず」 時間は大事ってことを小さい頃から教わるけど、正直未だにピンときていない 何かひとつ区切りがついたときに「あっ、時間が有限ってこういうことか!」って感じてはいたよ? 学生時代は、ものすごくテンポいい感じに物事の区切りがつけられていた 試験、文化祭、体育祭、修学旅行、入学式、卒業式… 人間サマが行動しなくても、「伝統」や「文化」がいろんなものを準備してくれた お陰サマで主体性がなくても、全く退屈しない日々が過ごせた でも、社会人になる
お久しぶりです 前回の投稿から、はや1ヶ月 明らかに継続が苦手ってことが露呈してますね(苦笑) 昔から、日記を書くことには憧れるんですが、いざ書いてみると長続きしなくて大抵3日で終わってるんですよ 多分、小説の登場人物のように 「カッコよく」「詩的な文章で」「いっぱい」 書こうとするからんでしょうね 初めから目標を高く設定してしまってるが為に、そこになかなか到達しない自分が嫌になって「こんなのやってられるかっ!」って放り投げてる そんな気がします この投稿を書きなが
僕には好きな人がいる 困っている人がいたら、必ず助ける優しい人 お願いされた仕事は休みを返上してでも必ずやり遂げる人 納得がいかないことは、いくつ歳が離れていても必ず指摘する人 どんなに辛くても、周りに当たり散らすことがない人 書き出したら止まらないくらいに、素敵な人。 もちろん好かれたいし、いつまでも一緒にいたいといつも願ってる でも、今のところ救われてばかりで、僕は何もあげてない だから、まずは僕がその人のためにできることを探してる でも僕にできることは何ひとつない
はじめに 僕のnoteは、できるだけ考えたことをそのまま書く予定です。なのでべらぼうに長くなります。あらかじめご了承ください。 ここでは、僕がnoteを書こうと思ったきっかけについてお話します。 きっかけは、社会人になってから考える力が低下しているのを感じたことです。 大学では、サークルやゼミの仲間と毎日毎日話をしていたため、言葉がすぐに出てきた。 しかし今は、仕事はパソコン作業、プライベートも友人や恋人がいるわけじゃないから、会話の機会がめっきり減ってしまった。 そこ