【HEAR公式シナリオ】ハカセとジョシュ君の死なない日常【紫呉】

ひあひあ~!
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・複数人向けのシナリオを1人で読んでも構いません。
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『ハカセとジョシュ君の死なない日常』本文

深緑の木々が鬱蒼と生い茂る森。一度踏み入れると迷子になり、二、三日は森から出られないこともあり、人々に「迷いの森」と呼ばれているその森の中に、一軒の家が建っている。

ブルーラベンダーの屋根に白くペイントされた木の外壁に囲まれたその家の玄関には文字の掠れた看板が掛かっている。何とか読める字をたどれば、そこには「研究所」と書かれていた。

森の奥の研究所。その中にこぢんまりと設けられた、薬品の臭いが立ち込める研究室の扉をエプロン姿の人物がコーヒーを片手にゆっくりと開く。そして、部屋の隅の方で何やら実験をしているぼさぼさ頭をした白衣の人物を見つけて近づくと、静かに口を開いた。

「ハカセ、お疲れ様です。コーヒーを淹れてきましたよ」
「あぁ、ありがとう、ジョシュくん。そこに置いておいてくれないか?」
「そこってどこですか。このとてつもなく汚い机のどこに置けというのですか。それとも比較的物の置かれていないこの床にでも置けば良いんですか」
「確かに片付けをしていない私が全面的に悪いのだけれど、そこまで言わなくても良くないかい」

液体や何かの屑が撥ね、汚れた眼鏡のレンズの奥で目を細めながらハカセは苦笑する。しかし、一切冷たさの消えないジョシュの目に「あ、これ、ガチの奴だ」と何かの危機を察知した様子で、素早く机の上を片付け始めた。
何が書かれているのやら、まともに読んでいるのかどうかもわからない大量の書類を机の上に積み重ねれば、ハッキリと目視できるほどの埃が舞い、窓から注ぐ白昼の光に反射して光の粉の如く輝いた。

「ほら、ここ空いたからここにでも置いてくれ」

確かに場所は空いたが、清潔さや衛生面は果たして大丈夫なのだろうか。一瞬心配をしたジョシュであったが、このコーヒーを飲むのは自分ではないことに気が付く。すると「わかりました」と一言呟いてジョシュは無情に、埃が舞い降りているその空間にコーヒーのカップを置いた。
案の定、コーヒーへ隠し味の埃が降り注ぐ。黒い水面に浮かぶ白いそれはまるで星のようだ。星のようなだけであって、それは紛うことなきただの埃なのだが。

しかし、ハカセはそれも気にしないようで鬱陶しく顔の横を這う長い髪を何とかよけながらにコーヒーに口をつける。そしてうっとりした顔を浮かべた。
その顔を見てジョシュは満足そうに鼻から勢いよく息を吐く。そして、ジョシュは近くの作業台―― であったはずの大量に荷物が置かれた机の僅かな空きスペースに腰を下ろした。

「その汚らしく伸ばした髪を浸けて毛先からコーヒーを飲まないようにお気をつけくださいね」
「さっきから君、口が減らないけどなんなんだい。私の研究の邪魔をしに来たのかい」
「コーヒーを淹れるついでに、茶々も入れに来ました」
「上手くないんだよ」
「美味いに決まっているじゃないですか。ボクはハカセが生み出した最高傑作ですよ。コーヒーの一つや二つ、美味く淹れられますよ。そりゃもう、ボクがコーヒー店を開けば、ありとあらゆるコーヒーチェーン店が軒並み潰れる位に美味しいコーヒーを淹れられますよ」
「そうだけど、そうじゃないんだよ。そこじゃないんだよ。私が生みだした最高傑作ならわかってくれよ」

ぼさぼさな髪の毛をさらに爆発させる勢いでハカセは頭を掻きむしる。そんなハカセにジョシュはハカセを落ち着けさせるというよりは、からかうような口ぶりで「まぁまぁ」と語り掛けながら脚を宙でぶらつかせた。

「そんなにカリカリしていたらカリカリになりますよ」
「なんだい、カリカリにって、私どうなるの」
「早く老け、早死にし、こんな森の奥の研究所に足を運ぶ人もおらず、遺体を発見してもらえず、腐敗が進み、骨だけが残ったカリカリ状態になりますよ」
「想像の百倍怖い回答が返ってきたのだけれど。というか、私がそうなったとき君はノーアクションってことかい、ジョシュくん」
「…… 骨って、カリカリというよりガリガリってイメージですよね。歯ごたえありそう」
「君、さては私を食べて処理する気だな……」

思わず腕に鳥肌が立つ。通常、出来てはいけないはずなのだが、ハカセにはジョシュが自分の骨をガリガリと噛み砕き、口いっぱいに頬張る姿が想像できてしまった。

そんな恐怖映像を脳内再生しているハカセをまったく気にしない様子でジョシュは机から飛び降りる。僅かに床が軋み、何の成果も出ていない実験中の薬品たちが瓶の中で揺れた。

「まぁですね、とにもかくにも、研究が上手くいかず気が立つくらいならば、休憩してはいかがですか、という助手であるボクからの提案です」
「なるほど。気遣いにしては、いらない物が多く挟まりすぎている気がするけれど……確かにそうだね。研究は良いことだがしすぎは精神的にも肉体的にも良くない。休憩するかな」
「そうしてください。よろしければ、休憩中に伸ばしっぱなしのその髪、お切りしましょうか」
「それは、私は嬉しいし助かるけれど、良いのかい?」
「えぇ、構いません。というか、その長さとボリュームのある髪の毛が動く度に重ねた資料や、薬品を混ぜた試験管が髪の毛に当たって落下しない物かと、こちらは内心ビクビクしているんです。わかっているんですか。そうなった場合、片付けと掃除をするのはボクなのです。あなたはこれ以上ボクの仕事を増やすつもりですか。ボクのために切られてください」
「私の怠慢がいつの間にかジョシュくんを、そこまで追い込んでいたなんて……責任を持って髪を切ってもらいます」
「えぇ、そうしていただけると助かります」

「そうと決まればさっそく」とジョシュは素早く散髪に必要な道具を研究室へと運んできた。ハカセはいつも実験中に座っているものとは違う、座り心地の良い椅子に腰を下ろす。研究疲れが姿を現したのだろうか。ヘアカット中に寝てしまうのではないかと思うほどの眠気がハカセを襲った。

このままジョシュに任せて仮眠をとってもいいな。そう思ったハカセの頭にとある疑問が浮かんだ。

「ところで、君、ヘアカット出来るのかい?」
「当然じゃないですか。ボクはあなたの生みだした最高傑作ですよ。ヘアカットの一つや二つくらい出来ます」
「うん。君、何か勘違いしているみたいだけど、君は確かに私が生み出した最高傑作だけれど、何か凄い知識がプログラムされたり、凄い機能が搭載されたりしているロボットではないからね。人造人間は人造人間でも、なんやらかんやら人に言えない物を組み合わせて作り出された肉の人型の入れ物に、とある人間の脳みそを移植したタイプの人造人間だからね。故に、君は生まれながらにして安心安全な散髪技術を持ち合わせているわけではないからね」

ハカセのその言葉に助手は大きく溜息を吐いた。垂れ下がった眉。まさに「今更何を言っているんだ」とでも言いたげな顔であるし、実際に「ハカセ……それはボクもわかっています」と呆れきったような声を漏らした。

自分の身体がどういう仕組みで作られ、動いているのかはジョシュ自身全く把握していないが、この身体は人間と全く変わらない。比較する人間がハカセしかいないためあまり自信は無いが、それでも自分に「高性能何とかシステム」や「超高速何とかプログラム」のような物が組み込まれているわけではなく、散髪も全くの初心者であることも承知している。

「けれど……」
「けれど、なんだい?」

見るも無残なボサボサヘアー。ジョシュは散髪用かさえもわからないハサミを強く、手が震えるほどに握りしめた。

「ボクがやらなければ誰がやると言うんですか」
「反論できない事実ではあるけれど、そんな凶悪なクズ人間を殺す計画を立てている人間みたいなこと言わなくても」
「大丈夫です。痛みも感じないうちに終わりますから」
「ヘアカットにおいては痛みを感じてはいけないんだよ、ジョシュくん」

思わず立ち上がりそうになったハカセの肩をジョシュは強く押して無理矢理に椅子に固定した。ギシギシと床が鳴る。抵抗するハカセをどうにかこうにか押さえ込むとジョシュは白い布を拡げハカセの肩の周りに巻き付けた。

「四の五の言ってないで大人しく座っていてください」
「あぁ、肩に布を巻かれてしまってはもう動くことが出来ない……」

やっと大人しくなったハカセに満足すると、ジョシュはブラシでハカセの髪をとく。数センチも進まないうちにブラシの先は絡まった髪の毛によって動きを止めた。

「それにしても本当にボサボサですね。いつから切っていないんですか。ボクが生まれたときには、もうかなり髪の毛が長かった気がしますけど」
「一応、自分で切ってはいたんだよ。ただ、最後に本格的に切ったのは君が生まれる五年くらい前になるかな」
「へえ、そんなにも前になるんですね。ベリーショートのハカセ」
「へ?!」

再び立ち上がりかけたところを、またもやジョシュの手によって押さえ込まれたハカセは、目だけでもなんとかジョシュの方を見ようと動かしながらパクパクと口を動かした。

「え、君、どこで何を見たの?」
「書斎の片付け中に、偶然見つけたアルバムを見ました。ボクの好みだったので、今日はベリーショートで行きますね」

言葉を言い終わらないうちに容赦なく髪にハサミが入れられる。「シャキン」というよりは「ジャキン」に近い、重たい音とともにハカセの髪の毛が床へと落ちていった。

「見られたくなかったから隠してたのに」
「どうしてですか」
「だって、今の私とは全く違うだろう。あの時の私」
「とてもお似合いでしたよ。今の不清潔さからは想像が出来ないほどに清潔感に溢れて、もう清潔感が溢れかえっていましたよ」
「ほら、こうなるから見られたくなかったんだよ」

「絶対にからかうと思った」とはあえて口に出さず、ハカセは座った椅子から窓の外をじっと見つめた。吹く風に併せて体を大きく揺らす木々達が身を寄せ合う森。
人々が「迷いの森」と呼んでいるこの森も、実はある目印を辿ってさえ行けば数時間で街とこの研究所との間を行ったり来たり出来る。その目印を利用し、週に一度は街へ買い物も行っている。

だが、時間を少しでも研究に割きたいという思いもあり、ハカセの足が街の美容室の方へ向くことはなかった。

「私も研究が順調であれば、街の美容室にでも行って、プロにゆっくり髪を切ってもらえるのだけれどね」
「やっぱり研究の進捗はあまりよろしくないですか」
「まあね。そもそも不老不死を得られる薬だなんて、そう簡単に作れやしないのさ」
「はぁ、遠い道のりなのですね」
「せめてジョシュくんが、もっと研究の手伝いをしてくれればなぁ」
「何を言っているんですか。ボクはこの家の家事で精一杯ですし、それに、ハカセはそんなことせずともボクが生きているだけで良いのでしょう?」

ジョシュの言葉にハカセは一瞬目を見開く。この言葉のどこかに図星をつかれたのだろう。ハカセは口を閉ざしてしまった。無音の中、リズムよく、唯淡々とハサミの音が研究室に響き渡った。

想像以上といったところか、それとも想像通りといったところか。ジョシュは手際よく髪を切っていく。

腰の辺りまであった髪の毛が肩くらいの長さに切りそろえられた頃。
さすがに沈黙に耐えかねたのかジョシュはあえて大胆に切り出してみることにした。

「ボクの肉体は、ハカセの恋人を基に作られたのですよね。そして、ボクの頭に入っている脳はその恋人の物なのでしょう?ベリーショート清潔ハカセの隣にボクの姿があったので直ぐにわかりました。ボクのオリジナルは、この人なんだって。どうして亡くなられたんですか?」

長く深い溜息が辺りに舞う埃を飛ばす。ハカセは窓の外で戯れる二羽の鳥を眺めながら、やっと重くなっていた口を開いた。

「……病気でね。二十五の時だったよ。私がしていた研究も、最初は自然治癒による再生を速める研究や、壊死した臓器を再生させるための研究だったんだが……あの人が死んで、気が付いたら君を生みだしていた。あの人を、生き返らせる目的で。
ある種、神に対して冒涜的な実験をしたからだろうね。目を覚ました君は、あの人の記憶を持ち合わせていなかった。正確に言うと、あの人が生前得意だったコーヒーの淹れ方や髪の切り方なんかの、「仕方」は覚えていたけれど、あの人の持っていた思い出は、すべて忘れてしまっていたんだ」
「それは、さぞショックだったでしょう。恋人に忘れ去られるだなんて。まあ、ボクのせいではありませんけど」
「そう、君のせいでも無いし、ショックでもなかったよ。寧ろこれでいいと思った」

窓の外の鳥が、一羽だけ空へと羽ばたく。取り残されたもう一羽は飛んで行った鳥の後を追うこともなく、その鳥が行った方向とは逆方向へと飛んで行ってしまった。

「私はあの人を縛りすぎた。若いのに、人生の全てを私の側で、私の研究を手伝うことに費やした。だからね、私は君には、ジョシュくんには自由になって欲しいんだ。私に縛られず、自由に」
「さっきは研究手伝えだの云々言っていたくせに、甚だしい掌返しですね」
「研究は手伝って欲しい。不老不死の薬が出来れば、君は永遠の命を手に入れられるし、永久に、自由に生きられる」
「ボクは別にひとりぼっちで得る永遠の命なんていらないし、いるとも言っていないのですが」

確かに。それでは自分の勝手だ。永久の命を得ることでジョシュは真の意味で自由を得られると思ったが、ある意味命を自分が縛ってしまうということにもなりえるだろう。生きる権利と同時に死ぬ権利についても論じられるご時世だ。ハカセは顎を撫で、眉をひそめた。

「……じゃあ、君は何を望むんだい?」
「そうですね」

ジョシュの手が止まる。そして、想像より早く返答が返ってきた。

「ハカセと恋人になりたいです」

ふいにハカセは頭痛を覚えて自分の頭を押さえた。散髪をしているのだから当然のことなのだが、触れた髪の量が以前よりかなり減っていたことに驚きつつ、ハカセはジョシュへと苦言を呈す。

「……私は君をあの人の代わりにしようとなんて、」
「いえ、これは百パーセント、ボクの自由意志に基づく希望です。ボクはあなたの恋人になりたい」
「……こんな私と恋人になりたいだなんて、物好きだね」
「ボクのオリジナルも、そんな物好きの一人だったんでしょう。いまさら二人目が出てきたぐらいで驚かないでくださいよ」

鼻で笑うようなその声が、本当に「あの人」そっくりでハカセは頭を抱える。鼻を啜るような音。それに併せて漏れ出たハカセの声がわずかに震えているようにジョシュには思えた。

「私はもう二度と、大切な人には死んでほしく無いんだよ、ジョシュくん」
「そうですか。まあ、先ほど、ひとりぼっちで得る永遠の命はいらないと言いましたが――」

窓の外。先ほど別々の方に飛び立った鳥たちがいつの間にか戻ってきていた。二羽の口には木の枝や藁が咥えられている。そして二羽はたがいに相談するように何やら目配せをすると、研究所の屋根の方だろうか。一緒になって同じ方向へ飛んで行った。その光景を見たジョシュの口元が思わずほころぶ。

「ふたりなら、永遠を生きるのも、そこそこ楽しいと思いませんか」

繭にこもるように丸くなっていたハカセがおもむろに体を起こす。そして、小さく笑いをこぼした。

「それは、つまり、私はますます早急に研究を形にせねばならないということ、だね」
「はい、そうですね。ますます頑張ってください、ハカセ」

再びしばらく髪を切る音だけが室内に響き渡る。その耳触りの良い音にまどろんでいると、ジョシュがハカセの首元に巻いていた布を取った。目を覚ましたハカセはすっかり軽くなった頭を振る。そして、床中に広がった髪の毛の量に目を丸くした。

これはジョシュが鬱陶しがるのもわかる。顔に落ちた髪の毛を払うと、ハカセはわざとらしく体を動かして見せた。

「髪がすっきりして動きやすくなったよ」
「それは良かったです」
「さて、研究に戻らないと。ジョシュくんは……手伝っては、くれないか」
「掃除をして洗濯をして、美味しいコーヒーを淹れて、美味しいお料理を作ることだけでは物足りませんか」
「いや、十分……そう、十分だったんだよな。これで」
「はい。もし、研究が実を成さなかったとしても、ボクはこうやって生活しているだけで十二分に幸せなので、それだけは忘れないでくださいね」

「床を掃除するために、箒を持ってきます」と、いつになく上機嫌で、ジョシュは軽やかなステップを踏みながら研究室から出ていく。それを見送ったハカセは久しぶりに味わう髪の毛の撫で心地をしばらく堪能した。

ひとしきり髪を触り終わると、机に置きっぱなしにしていたすっかり冷え切ったコーヒーを啜る。冷えてもなお香り高く美味いそのコーヒーは、懐かしい味がした。

「……やっぱり、頑張って作り出さないとな。不老不死の薬」

「二人分」とハカセは呟くと、研究室を見渡す。ふと目に入った机の上。散髪をする前には何の反応も示していなかった試験管に詰められた液体の色が、わずかに変わっているような、そんな気がした。


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