フェチは面倒。

女性の脇フェチなんです私。

あとは顔とか唇が好きです。

好きという感情って、具体的に言うと何だと思いますか?

私は、好きって「性欲」だと思うようになりました。フェチのせいですけど。

前に、性欲は出会いに大切な要素である、という話をしましたが、好きという感情も所詮は自分の心の中にしかないものです。しかも、かなり性欲に支配された感情です。

「好き」って、要するに、そこに自分のフェチがあるということでしょう。美人が好き、スタイルの良い人が好き、良い匂いの人が好き、仕事ができる人が好き、サッカー部の人が好き、自転車に乗るあの子が好き。好きって、たくさんあっても、すべて自分の中にあるものでしかありません。

彼氏のどこが好きなんですか?と聞かれて「全部です」という女性がTVに出ていました。私は、それを聞いて「何?」と思いました。全部が好きということがあるんだ、と驚いたのです。

これが、最近、理解できるようになりました。フェチって五感を使うんですよ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。これが五感なんですけど、全部が好きっていうときは五感じゃない気がします。例えば、顔が好きというよりも、その人の存在が好き、という感じで、具体さを欠いた評価になっている気がするんです。

もしかしたら、全部が好き、と答えた女性は、その彼氏の顔が変わっても、臭いが変わっても、足が短くなっても、ハゲになっても関係なく、ある意味「盲目」で、その人の存在自体を好きなのかも知れません。

それでも、私は「恋は盲目」でもうすぐ夢は冷めるよと言いたくなりますし、女性に「今日、何食べる?」って聞いたとき「ん?何でもいいよ」って言うから私が「じゃあ、ラーメン行こう」って提案したら女性が「え~、ラーメンはないかな・・・」と断ってくるのと同じだと思っています。

さて、話を戻します。フェチは具体的な部分に視点が向いています。だから褒めることがうまいし、惚れることも早いです。が、フェティッシュなセックスは、それだけを求めるから面倒臭いと思います。私の場合は、頭の中で「脇が舐めたい」とか「脇にこすりつけたい」とか「何とかして顔に射精したい」とか「顔に塗りたくりたい」とか考えてますし「でも、嫌われたくないからやめよう」と反論も考えたりして集中できなかったりしました。

なので「全部が好き」な状態、「抽象的に好き」な状態になりたいです。きっと、その方が面倒くさくない気がします。私は自分自身が面倒くさいんです。嫌いではないですけど。

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