比較対照のない生き方
先日、お散歩していると学校指定のジャージ姿で帰る男子中学生のグループに出くわしました。着用していたジャージがどれだけダサいかという話で盛り上がっていました。
ふと自分が中学生の頃を思い出しました。
自分が中学生のときは学校指定のジャージがダサいとは思っていなかった。むしろかっこいいとさえ思っていました。
デザインは特にイケてるわけではなかったと思います。自分軸でカッコいいと思っていたということです。
今思えばダサいジャージをダサいと思わなかったのはなぜか。
それは比較対照がなかったから。
田舎の中学だったので、近隣の中学生に会う機会がなかったのです。車で30分走らないととなりの中学校はないのでした。
自分にとって中学校の学校指定ジャージはただひとつだった。その唯一無二性によってダサいと思うことはなかったのだと思います。結果、中学生であるというアイコン的な意味だけ残ってカッコいいと思うようになったのだと思います。
ここからタイトルと関係ある話になります。
言い換えると、比較対照がなかったから悩むことがなかったのです。
人と比べない生き方というのは比較対照がない生き方。
そういう切り口もアリかもしれません。
学校帰りの男子中学生を見ていてそんなことを思いました。
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