才能ってなんだろ?って話
わたし高校球児でした。
当時、履正社という地元で名のあるチームと練習試合をしました。
あるバッターが打った瞬間 サードから叫んだんです。
「ピッチャーライナー!」って。
そのボールは低い弾道で、ピッチャーの頭を超え、センターを超え、そのままホームランになりました。
「えぐい。」
その一言しか出なかった。見た事ない軌道だったんです。
そのバッターがT−岡田さん (現オリックスバッファローズ)でした。
1つ年下です。 当時はそこまで注目されてませんでした。
数年後、どんどんプロで活躍されました。
「才能ってこういうことなんだな」
プロで活躍されるのを見る度に色濃く胸に刻まれました。
ただ、高校野球で、ある一つの確信も持ったんです。
「本気でやれば、それなりに上手くなる」
石見智翠館|島根 で高校野球やってた従兄弟も言ってました。
「中学校で日本代表やった奴は入学時、エグうまかった。
でも、引退する時には周りと大きな差、なかったな」
野球は始めた時期、環境、親の計らいなど、違います。 アドバンテージがあるんです。
しかし、医療職、わたしの業種であるリハビリテーションなんかはどうだろう?
同期、同年代は始めた時期も、カルキュラムも、くぐった国試も、平たく言えば大きな差が無いんですよね。
よーいドン、な訳です。
じゃぁ、現場での能力差って何だろう?
なんて邪推するわけです。
いまのところの結論、 才能を伸ばしたか?伸ばさなかったか? に帰結するんじゃないかと思うんです。
「スポーツ選手は体格に恵まれる」という生まれ持ったものがあります。
それだけでプロにはなれません。どうやって伸ばすのか?を必死に練習で見つけるのです。
リハビリ療法士の立場であれば、才能って、「元から」備わってるものじゃないんですよね。後天的な側面が大きい。
才能を伸ばすために使った時間、お金、熱意、心配り、葛藤、落胆、混迷、再生、それの合計値として「才能」が磨かれるわけです。
言い換えれば、真摯にやったか?やらなかったか?でしょうか。
ひとつ、違う要素を挙げるとすれば「運」でしょう。
実習で「こんな人になりないな」と思える人に出会えたり、
一緒に高め合えるクラスメイトと同級生になったり、
職場に心から尊敬できる人とチームを組めたり。
運は「くじ引き」みたいなものです。
しかし、引いたくじ引きを小吉にするか?大吉にするか?
これは個人にゆだねられてる選択とも思うんですよね。
だからこそ、「真摯にやってる」と自分で胸に手をあて、 うなづけるならば、そんなに周りを見渡して不安になる必要ないって思うんですよね。
才能、ちゃんと伸びてます。
そんな事をポカポカ考えながら。 「才能 欲しいなぁ〜」とつぶやいて生活してます。