わが家の育児方針(第一話)~子どもができることを褒めて伸ばそう~
こんにちは(*^^)v
発達障害の娘を二人育てているサウンド・クリエイターのKoki Kobayashiです。
今日も一日お疲れ様でした(*^^*)
今日は「わが家の育児方針(第一話)~子どもができることを褒めて伸ばそう~」と題して、発達非定型の子どもの育児のコツとされていることについてお書きしますね。
発達非定型の子の育児法の基礎
発達障害(≒神経発達症)の育児と発達定型児の育児は異なる
私が敬愛する梅棹忠夫先生の言葉に、こんな言葉があります。
「できないことを何とかしようとするよりも、できることを楽しんだ方がいい。できることの中に結構たくさん楽しいことがありますから」
この言葉はどなたにとっても金言だと私は思いますが、特に発達障害と目される子どもの育児に関しては、実に言い得て妙だと私は考えます。
発達障害(≒神経発達症)の子どもというのは、視覚的な情報には強い傾向がありますが、聴覚からの情報には弱いことが多いのです。
つまり、発達障害とされる子に対しては、コトバを使っていろいろ躾けようとしても奏功しないことが多いのです。
子どもを躾ける時であれ、子どもに何か頼み事をする時であれ、特に自閉症スペクトラム(障害)の子に対しては、コトバは短く簡潔にするようにして、伝えたい情報をホワイトボードや紙に絵で描いたり、身振り手振りを交えて伝えると良い場合が多いのですね。
私の娘たちがしまじろうの学習課題に取り組んでいる時の様子を観察していても、自閉症スペクトラムとされるうちの娘たちがビジュアルな要素の強い問題にはめっぽう強いことに驚かされます。
神経衰弱のような問題や、二枚の絵を見比べて間違い探しをするような問題は、情報処理速度が遅いはずの娘たちも目に止まらぬような速さで解きます。
一方、今しまじろうの教材で取り組んでいる「時計を読む」学習課題については、「時間」という抽象的な概念をわが身に引き当てて理解することが難しいようですね。
私は、「時間」というよく考えると理解することが難しい概念を、娘たちが「分かったふり」しなくてもOKだという風にして、しまじろうの学習に親子で一緒に取り組んでいます(*^^)v
発達定型のお子さんなら、年齢に応じてではありますが、ある程度抽象的なことも自然に理解して身に付きます。ですから、そういうお子さんに対しては、コトバを用いて教育することにも価値があると思います。
しかし、発達非定型の中でも特に自閉症スペクトラム(障害)の子どもたちと云うのは、例えば「親切」とか「優しさ」とか「いじわる」、あるいは「かわいそう」というような抽象的な概念を習得するのに難儀する傾向があるのです。
そういう子どもたちは、決して悪意があって他者の痛みや傷つきがわからない訳ではないのです。
医学や臨床心理学で今トピックとなっている、共感性を司るとされる「ミラー・ニューロン」を初めとする脳機能や神経に問題があるのであり、自分が親や教師に叱られて傷つかない訳ではないのです。
ですから、発達非定型の育児と発達定型児の育児は異なるということは、私を含めて、親御さんや教師の方々は心得ておくと無用なトラブルを防ぐことが出来るでしょう。
できないことを出来るよう強いるより、できることを褒めよう
SEKAI NO OWARIというロックバンドのFukaseさんは、自ら発達障害であることを明らかにしています。
Fukaseさんは精神病院の入院歴があるくらい辛い思春期をお過ごしになりました。
その彼が、ライヴのトークの中でとても印象に残る話をしておられました。曰く、
頑張ることよりも、頑張りたくても頑張れないことのほうが大変だよ。頑張れないことよりも、頑張ることができることのほうが、ある意味で「楽」なのではないかな?
おおよそこういう趣旨のトークをしておられるのを私は耳にして、なるほどその通りだなぁと感心いたしました。
Fukaseさんは発達障害の当事者また精神疾患を持つ人として、「頑張りたくても頑張れないことの辛さ」をよく解っておられると思います。
発達障害こと発達非定型の人というのは、生まれながらにして想像力や共感性に弱さを抱えているのです。
そしてまた、彼らは絵やイラストなどの視覚的な情報には滅法強いのですが、聴覚による抽象的なコトバを理解することは苦手だという特性を持ってこの世に生を享けたのです。
発達非定型の子というのは、家庭でも学校でもとにかく叱られる機会が多いものです。
彼らは自分が叱られて傷ついたことは、ひじょうに鮮明に憶えているのです(^^;
ですから、自分の子どもがどうもよそ様のお子さんのように育てられないということが明らかになったら、親御さんも肝を据えて「この子にはオーダーメイドの育児をしないとみんなが傷つく」ことを覚悟する必要があるのではないでしょうか。
このように神経回路の発達に難を持つ人に対して、本人がどう頑張ってもできないことを出来るようにと強いるのは、拷問のようなものではないでしょうか。
私も父親ですから、発達非定型のわが子を抱えて焦ったり不安になられる親御さんのお気持ちはよく分かります。
来月六歳になるわが家の長女は、未だにおねしょ用のおむつを穿いていますよ。
六歳になるというのにまだ紙おむつを卒業できない長女の将来を私も案じない訳ではありません。
この子大丈夫かな?
来春入学する予定の学校で、いじめられたり過度に叱られたりして傷つかないかな?
そう不安にならない訳ではないんですよね(^-^;
まさか小学校におむつを持参する訳にもいきませんでしょう?
そんなときには、私は次のような名言を胸に刻むことにしています。
転んだ人を笑ってはいけない。
彼は歩こうとしたのだ。――米倉誠一郎
長女だって、なかなかおむつが取れない自分に苛立ち、不安や哀しみを覚えているはずです。
ですから、そこをつつくようにコトバで叱責したり躾けようとするのは、挫折感に苦しむ長女の傷をさらに痛めつけることになると私は考えています。
これは発達非定型の子どもに対してのみ言えることではないのかもしれませんが、できないことに目くじらを立ててできるようになるよう強いるよりも、いま現在子どもができることを褒めて育てた方が良いように私は思います。
結びに代えて
発達障害の子は想像力を働かせることが難しいので、視覚的に確認できないものを理解することが生まれつき苦手です。
したがって、耳で聴いた言葉の内容を理解するのも非常に苦手なんですね。
このハンディキャップはなかなか辛いものがあると思います。
発達障害児は一般にこだわりも強いですし、トラウマ的な記憶をいつまでも鮮明に憶えているものです。ですから、うつとか不安障害といった「二次障害」を起こしてしまうことも稀ではないのです。
私としては、発達障害を持つ娘たちに対して、なるべく視覚的にイイタイコトを整理して伝えるように努力しています。
私たちはどうしても子どもに対して言葉数が多くなりやすいですよね。しかし、あまり言葉数を多くして子どもを叱っていると、子どもの自尊感情(自己肯定感)が下がって、後年取り返しのつかない事態を招きかねません。
発達非定型の子どもを育てる時には、子どもが出来もしないことをコトバで叱責するのは出来るだけ親も自制して、できることに目を留めながら、子どもが出来たことを認証しながら褒めて育てましょう。
その方が、子どもも将来きっとしあわせな人に育って行ってくれることと私は思います(*^^*)
今日は「わが家の育児方針(第一話)~子どもができることを褒めて伸ばそう~」と題してお届けいたしました。
ここまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました。感謝いたします。
Koki Kobayashiがお届けいたしました(*^^)v