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想像と想像と想像 #11

「スーツ屋さん」

「こちらの商品は一点ものとなっております」

こんな感じでどこの服屋も接客してくる。
僕はこのような服屋の店員さんとの会話がとても苦手である。
なぜなら、こちらの会話の選択肢が狭められてしまうからだ。
「一点ものなんだ」
と説明されても、笑顔で
「そうなんですね〜」
と返すしか無くなる。
こんなものはとうてい会話とは呼べない。
なのに、さも友人であったかのように会話を装って話しかけてくるのがうざい。
仕事だとわかっていてもうざい。

そんな僕にぴったりの道具がある。
ヘッドホンである。
こいつをつけてさえいれば、
「1人でじっくり選びたいんだよね」感が勝手に醸し出され、店員さんは僕に話しかけにくくなる。
僕はこの道具を手に入れてから、自分のペースで買い物を楽しむことができるようになった。

ただ、そんな穏やかな日々はそう長くは続かないものである。
この魔法の道具を無効化する存在がこの世にいることをみなさんはご存知だろうか。

そいつの名前は、
「スーツ屋さん」
である。

僕はいつものようにヘッドホンをつけてスーツ屋さんに乗り込んだ。
ヘッドホンを使うことで話しかけられないことを学習した僕は、この日も意気揚々と店内へと出陣した。
いつもと違った点は、カジュアルな服屋さんではなく、スーツ屋さんであったことだけである。

スーツ屋さんに入った瞬間、僕の道具によって支えられていた「穏やかな服選びtime」は終わりを告げた。

「どのようなスーツをお探しですか?」

これだけではない。

「入学式ですか?それとも成人式でしょうか?」

このように畳み掛けてくるのである。
僕はこの畳み掛けによって完全に敗北した。
ヘッドホンを外し、銃を突きつけられた小鹿のように店員さんの言葉に従順になった。
用途を伝え、試着し、裾直しの手順を確認する。
ここまでくればあとはお会計を残すだけである。
ようやく僕の負け試合が終わりを迎えようとしている。
ほっと一息つこうとしたその矢先、さらなる言葉の銃弾が僕を襲ってきた。

「このスーツにぴったりのシャツとネクタイもご用意しているんですよ。」

僕は驚きを隠せなかった。
この店員さんは大学生に6万も払わせた上で、さらに搾り取ろうとしているのだ。
僕は恐怖よりも、店員さんのその貪欲な姿勢に尊敬の念すら感じていた。
小鹿に成り下がった僕は、言われるがままに店員さんが紹介してくれた商品を手に取っていく。
たちまちネクタイコーナーまでたどり着いた。

「こちらのスーツにはこちらのネクタイがぴったりですよ。」

この時、僕に唯一の勝機が訪れた。
色盲を持つ僕は、どの色の組み合わせがしっくりくるものなのか一切分からないのである。
そこで僕は、困ったような微笑みを見せた。
小鹿の精いっぱいの抵抗手段である。
いや、この時だけは小鹿ではなく狼になれたのかもしれない。
勝った。
僕は店員さんの色々買わせる作戦を完全に成功させることを阻止した。

かに思われた。

「では、3種類厳選させていただきますのでお客様の良いと思われたものをおひとつお選びください。そのおひとつを参考に、ぴったりのネクタイを選ばせていただきます。」

この圧倒的な切り返しによって、僕の勝機は完全に潰えた。

哀れな小鹿は財布の中身をかき集め、会計をなんとか済ませることができた。

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