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HSPという言葉を知って、生きやすくなった

自分がHSP気質であることをどう思うかはさておき、「HSPという言葉を知れてよかったな」と客観的に思ったタイミングがあったので、忘れないように書いておきます。


心当たりがある人にだけ響く言葉

仲のいいグループで話していた時のこと。
「最近、HSPとか繊細さんという言葉があるけど、人をカテゴライズしすぎな気がする」「どんな人でも繊細に感じる時はあるし、あえて名前をつけて線引きする必要はあるのか」
そんな話題になりました。

信頼している人達なのでそのような話題提起があったことに対してネガティブな感情は抱きませんでしたが、純粋に、すごく驚いたのを覚えています。
なぜなら、私はHSPという言葉を知って、すごく救われた経験があるから。

私は自分自身のことをきっとHSPだろうな、と思って暮らしています。
グループの中で話しながら、「きっとここにいる私以外の人は皆HSPじゃないんだろうな」とぼんやり思い、同時に、「HSP気質のある私にとっては、この言葉が存在してくれていてすごくよかったなあ」とも思いました。

初めてHSPという言葉を知った時

思えば、小さい頃から、色々と気が付きやすいタイプだった。悩み事を相談しても、「考えすぎだよ」と言われたり。些細なことを、よく覚えていたり。人の気持ちを考えすぎてしまったり。

小さい頃は「こんなふうに色々気が回る私はもしかして人より頭いいのかも笑」なんて思っていたけど、歳をとるにつれて、気が回ることで受けるストレスも増え、なんか私って人より弱いなあと思うようなことが増えました。

ざわざわしたところだと気が散ってしまって集中できなかったり。人混みで疲れやすかったり。飲み会のテンションについていけなかったり。誰かのふとした言動が、ずっと心に引っかかっていたり・・・。

「すぐ疲れる自分、なんてダメなんだ・・」「でも疲れてしまうのはしょうがないしなあ・・」と、やりどころのないモヤモヤを抱いていた時に出会ったのがHSPについて書かれた本。

まるで自分のことを書いているかのようで。すっと入ってくる内容ばかりでした。何より、自分がダメだと思っていた自分の弱いところについて、「良い悪いではなくて、人の性質の1つ」「私だけじゃない」ということを知り、「自分のモヤモヤをわかってもらえた」という安堵の気持ちを覚えました。

自分の特質を知って、受け入れる

「自分はHSP気質がある」ということを理解してからは、より自分のセルフケアがしやすくなりました。かつては「悪いもの」だと認識して無理やり矯正しようとしていた自分の敏感なところ。そこをニュートラルな目線で捉え直して、良くも悪くもない、自分の中の「性質」の1つとして認識し、それに合わせた選択を取れるようになったのかなと思います。

例えば、刺激を受けて疲れやすいのだから、予定を詰め込まずに、予定と予定の間は余白を作る。大規模な飲み会よりも少人数で会う会の方が自分には合っている。ガヤガヤとしたところは疲れやすいので、ぐったりしてしまった自分を受け入れて自分を休めてあげる・・など。

自分の敏感な気質を悪いものとして捉えていた時期だったら、「効率を重視して予定を詰め込む」「せっかくもらった誘いはすべてのる」「出かけただけで疲れるなんて弱すぎる」みたいに考えていただろうなと思います。

目の前の相手に丁寧に向き合いたい

HSPではない人にとってはただのラベリングのラベルかも知れない、HSPという言葉。でも、私はその言葉があったことで、自分の性質をより客観的に理解することができたし、それをきっかけとして自分の性質を受け入れることができるようになりました。

「多様性」の時代、いろんな人のいろんな性質に思いを馳せつつ。一方でラベルだけを見るのではなくて、目の前にいる相手のその時その時の状態にも丁寧に向き合いたいなあと思う今日この頃です。


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