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【コレまでとコレから(40)】テツさん

44人目に【コレまでとコレから】を聴かせてもらったのは、SUNZ GROUPのミュージシャン社長・三山 哲緒さん

テツさんは、経営者でミュージシャン✨というオンライン上でお見かけしてた有名人枠な方

BackmanのCEOをされてる田村 有樹子さんがオーナーをしてるタムココサロン2022年忘年会in愛知Zeppの二次会で友達として繋がり

タムココサロンただの飲み会in大阪で、テーブルが一緒になったのをチャンスと取材を申し込んだところ、優しく引き受けていただきました😆


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時には限界突破しながら、自分の在りようを広げ
そのド真ん中を楽しみながら歩み続けるテツさん
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2017年9月、4月に親父から引き継いだパチンコ事業を中心に置いた会社の経営が上手くいかず、破綻寸前でドン底を味わっていたテツさん

遡ること10年前、それまでバンドマンとして「生きたいように生きる」を貫いてきたにも関わらず

あるきっかけでビジネスの面白さに興味を惹かれ、それまで遠ざけていた親父の経営する会社での挑戦を選択

縁故採用だからこそ、同僚や先輩、上司からの信頼を得られるよう、軽んじられないようにと「周りに求められる動き」を意識しているうちに

いつの間にか、〈社長の長男〉〈世襲した社長職〉というラベルを、自らに貼りつけて背負い込んでしまっていた

「最後の最後まで弱音を吐かずに踏ん張り切らないと🔥」の思い込みに囚われていたけれど、結局1人の力ではニッチもサッチもいかなくなり

意を決して、コレまで支えてくれた妻に「スマン🙏もう会社だけじゃなく、マイホームも手放さないとアカンかもしれん😨」と窮状を告白

そんな目の前が真っ暗になっていたテツさんに、最愛のパートナーから返ってきた言葉は

「家や会社が失くなったって、私たちが終わるわけじゃないし、兄がやってる居酒屋でも任せてもらえば良いんじゃない😊」

「あなた、居酒屋の大将って似合いそうやし🥰💕」と、囚われ過ぎていた〈社長としての枠組〉を一蹴

「何を1人で抱え込んでたんやろ💦」「わざわざ自分から窮屈な選択をしてたわ」「確かに、会社が潰れたって死ぬわけじゃない」と吹っ切れて

うつむいて、丸まっていた背筋をシャンと伸ばしてみると、狭まっていた視野がブワァッと広がり

背伸びしたり、縮こまったりしていない自然なありのままの状態での現在地を再確認

社長として、役員と社員への窮状を正直に説明し、経営者としての力量不足は謝罪した上で、皆んなの力を貸して欲しい🙏と率直に伝えてみた

そうすると、今までは「うちの会社は〇〇してくれない」「うちには〜が足りない」と他責だったメンバーの意識が激変

収益を上げるには📈、利益を増やすには💴、など会社を存続させる為、資金を枯渇させない為、1人1人が「自分ごと」として向き合うようになり

ソコから2年でV字回復と言えるだけの結果を叩き出し、コレから「行くぞ🔥」と、気合を入れたタイミングで未知のパンデミック🦠に襲われた

世界的な自粛ムードに、いったんは事業全体が足踏みせざるを得ない状況となって、またまた危機📉に陥るのか⁉️と思いきや

直近で、共に会社の窮状と向き合い、事業の成功可否を「自分ごと」として捉える経験を経たメンバーたちが中核を占めていたおかげで

無駄に資金を溶かすこともなく、新たな事業への投資も行ない、将来的な事業展開に対する変な不安もなく攻守に安定感のある体制となっていた✨

親父の会社に入ったことで自分自身にレッテルを貼り、創り出された「周囲の期待」と、その枠組みに囚われていた10年を、妻の言葉で克服し

テツさん本来の自由奔放&誰にも縛られず、「生きたいように生きる」の状態を取り戻し、「自分のド真ん中を生きる」へと昇華

振り返ってみれば、若い頃の「生きたいように」の範囲は、「敷かれたレールに囚われたくない」という反発要素もそこそこ含まれていた

それは、2代目社長夫婦の家庭に長男として生まれ、「跡取りに」との期待も大きく、キッチリすることを求められてきた反動からきてたのかも😅

小学生の頃から好きで、今もリスペクトしている、社会の枠組みをぶっ壊し「自由」を強く主張するブルーハーツの曲が大好きで

学生時代にはバンドを組み、プロのミュージシャンとして、メジャーデビューすることを目指して活動を本格化

最初のうちは、親父からも「ミュージシャンなんて」と、当然のように反対され

長男として後を継ぐため、広く社会経験を積むことを求められた気がするけれど、何度もアプローチするうちに、軽い気持ちではなく

本気で挑戦しているからこそ、そこを感じ取ってくれたのか、親父自身が夢をあきらめ家業を継いだ経験をダブらせてくれたのか

「お前が本気で目指すんなら、とことんやってみろ」「ただし、4年やって結果が出なかったら、家業を継ぐんやぞ」と背中を押してくれた

そして4年後、名のあるコンテストで準グランプリを勝ち取り、約束の期限内にプロに手が届くステージまでは上がったけれど

実際にプロの世界を間近で見てみると、プロとして求められるのは、特に実績の少ないバンドマンに求められるのは

周りにいる「関係者の期待に応える」ことであり、「自分の生きたいように生きる」こととは真逆な方向性だった

ブルーハーツの歌う自由さを求めるには、ミュージシャンとしての知名度と実績があってこそで、駆け出しの自分達には遠い遠い道のり

そんなプロの世界の現実を突きつけられると共に、リアルに音楽だけで食ってはいけず、ライブのない夜にバイトを入れて食い繋ぐ日々

正直、思い描いていた「このままメジャーデビューしてビッグになりたい❤️‍🔥」的な夢への熱い情熱は、日々薄れていっていた💦

そんな折、知人の紹介で任せてもらえることになったBar🍸での接客と集客が、窮屈なミュージシャンの仕事より面白く感じ✨
#ビジネスについて学びだしたテツさん

モノを売る「商売」の世界の魅力にハマっていったところから、改めて親父の会社で「自分の力を試してみたい」との欲が湧き上がり

1年間は外の会社で仕事のやり方を学んだ後に、親父の会社へと面接に行き、「課長職」での採用となったテツさん

「自分の生きたいように生きる」を実現するための準備をそれなりにしてきたからこそ、任された部署でアレコレ提案してみるが

「課長職採用へのネタミ・ヒガミ」「新人課長への侮り」「次期社長へのゴマすり」など、いろんな感情と思惑が渦巻き

会社では「自分の生きたいように生きていたらアカンのや」「社長の長男としてちゃんとしとかんと」と、一般常識という得体の知れないモノに遭遇&認識

会社的に見れば、分別がついて必要な知識は吸収し、いかにも会社役員としての立ち振る舞いやスキルを手に入れてはいた

ところが、そうして会社を盛り上げるために頑張ろうとすればするほど、本人の自覚はないまま本来の輝きが、どんどん失われていった

そして、必然的に「生きたいように生きる」を封印し、「自分のど真ん中で生きる」から、最も遠いタイミングで社長職を引き継ぐことに

20世紀には大人の娯楽として代表的なパチンコ業界は、2000年代に入ってギャンブル依存症として取り沙汰されたイメージダウンや

スマホゲームの普及による客離れなどで、継承したときから、すでに順風満帆な経営とは程遠く

だからこそ、家族になんか頼らずとも自分でなんとかしないと❤️‍🔥という使命感には燃えていて

自身にとって苦手な分野は、外部の専門家の意見も取り入れながら、改善しようとすればするほど空回り💦

さらには、役員や社員からも冷たい目で見られる悪循環🌀

結果、2017年11月の窮状を招くこととなったので、親父からも「少しは聞いてくれば良いのに、意地を張って…」と呆れられていたらしい

とはいえ、サボっていたわけではなく、必死に試行錯誤を繰り返した結果だからこそ、いま「自分のド真ん中を生きる」に繋がっている

そうして、自分のド真ん中に目覚めたテツさんが、パンデミックの混乱が覚めやらぬうち

パチンコ業以外の収益源を確保する為、福祉や保育、飲食やエンタメ、不動産などいくつか展開している事業うちの1つとして

リラクゼーション事業のドライヘッドスパを2021年に開始し、店舗の1つを大好きな沖縄の地、那覇に出店

そんな沖縄に行く機会が増えたタイミングで、パンデミック禍でも大ヒットし、閉鎖的になった世の中に希望を持たせてくれた映画「えんとつ町のプペル」を

映画館のない島の子どもたちに観せてあげたい❗️と立ち上げられた「プペル石垣島上映プロジェクト」

元々、プペルの作者である西野亮廣さんを応援していたご縁もあり、スポンサーとしてプロジェクトを支援し、石垣島にも頻繁に足を運ぶように

そんなこんなで、石垣島の皆さんと酒を酌み交わしていると、地元民しか知らないコアな情報と触れる機会も多くなり

前々から抱いていた「離島でも事業を展開したいな〜🏝️」との夢ともマッチして、ある日、表には出ていない物件に巡り合った

最初は「単なる現地確認」程度の軽い気持ちで赴いた現地のロケーションにビビビ⁉️と、心が反応して一目惚れ💕

生きたい人生を生きるテツさんが、「行きたい場所に行くための空間をつくる」を掲げて宿泊事業も展開することに✨

そうやって、「自分のド真ん中」を貫き通すスタイルを次々と形にしていくテツさんに、最後にどうしても質問してみたくなり答えてもらいました👍

Q.
お父さんの会社に入る前にも自分のド真ん中で生きていたと思いますが、困難な時期を乗り越えた今の「自分のド真ん中」との違いは何ですか?

A.
どちらも自分のド真ん中だったことは間違いないが、社会で生きていたら、時には自分のド真ん中じゃないタイミングもよくあるでしょ

そんな時に、ド真ん中の方に戻ろうとするだけじゃなく、自分の外側へ飛び出したり、なんなら周りに振り回されて全然違うとこに飛ばされたりする

会社に入って最初の10年は、まさに後者なんだけど、それも含めて外側を経験できたから「自分のド真ん中」と認識できる範囲が広がっていったのは間違いない

ド真ん中は固定的なものじゃなくて、その時々で自分の心が、ド真ん中と思えていることが大事

とのことでした😆✨

自分の「生きたいありよう」を常に心の中に携え、大切にしつつ、とは言え、縛られるわけでもなく

自由に、楽しく、自分の人生のド真ん中を歩んでるテツさんの生き方は、まさにオモロい大人の在り方だなと、感動しました💝

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そんなこんなで、「オモロイ大人100人に聴くオモロい生き方」という本の執筆をしています📝🔥

https://youtu.be/ZadJ1aE217g?si=4jTxBaJTfe61urvO

本当は2023年12月出版予定が、仕事の忙しさにかまけてサボり倒し、謝罪と共に2025年3月への出版延期を11月頭に報告させてもらいました🙇‍♂️

サボって錆びついた聴き力をとり戻すため、皆さんの【コレまでとコレから】を聴かせてもらってるうちに

その人の「オモロい」にフォーカスを当てなくても、その人自身(【コレまでとコレから】)にフォーカスすると、その中に「オモロい」が隠れてる😆

なので、100人以上の【コレまでとコレから】を集めていけば、その先に「オモロい大人100人に聴くオモロい生き方」があるなぁと気づき

今はひたすら【コレまでとコレから】を聴かせてもらってアウトプットしていきます🔥

なので、ぜひ貴方の時間を少しシェアしていただけないでしょうか🙏
(60分程度、zoomか都合がつけば対面で)

#オモロい大人100人に聞くオモロい生き方
#あなたのコレまでとコレからを聴かせてください

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