余命1ヶ月のこの人と私の間に流れる時間
「あーこの人は余命1ヶ月とさっき医師から告げられたんだったな。」
今は昔、私の目の前にいる担当患者さんは、家族に向けて遺書を書いている。
そんな大切な時に、「リハビリを一緒にしよう」と病室にきてしまった。
余命1ヶ月のこの人は、看護師さんから借りたバインダーに真っ白なコピー用紙を挟んで何と書こうとしていたのだろう。
確か子供はまだ私と同じくらいの年齢だったな。
「失敗した・・・もう少し時間をあけてくれば良かった」と思っていたその時、この人は「お、来たか。やるか。」といつも通りの様子。
この人「さっきな、医者から言われたよ。多分後1ヶ月だってよ。きついなー」
この人「でも人間いつか死ぬからな、俺はそれが後1ヶ月くらいだってことなだけだ。あーでも死ぬ時ってどんなんだ。誰も知らんよなーこれだけは。ははは・・・」
この人はリハビリをしながら淡々と独り言のように、まるで自分の心の内を整理するかのように話していた。
余命を宣告されてから、この人の人生がカウントダウン方式で時間が流れ始めた。
人間の致死率は100%で間違いなく、誰もがいつかは死ぬ。だから誰もが死までのカウントダウン方式なはずだが、誰もそれを現実として捉えている人はほとんどいない。
みな、明日が来ることを当然のように感じ、予定を立てる。
でも、この人は医師から余命1ヶ月だと告げられた時点で、人生のカウントダウンが現実味を帯びてカチッカチッと動き出したのだ。
この人自身もそれを強く感じている。
時間は世界中、平等に流れているが、時間の流れ方をどう感じるかは人によって違う。
この人と私の間に流れる1秒1秒は全く同じ時間だが、その1秒1秒の重みがはるかに違う。
この人は今、バインダーに挟まれた真っ白なコピー用紙に何と書こうとしていたのだろう。
私はこの日、この人に便箋を渡すことしかできなかった。