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医療現場で感じた心のゆたかさの大切さ

私はリハビリテーションの仕事に関わっている医療従事者です。

リハビリって聞くとストレッチや筋トレをしたり、歩けるようになるための練習をしたりするものというイメージが強いでしょうが、それだけではありません。

今、私は白血病や悪性リンパ腫などのいわゆる「がん」の患者さんと一緒にリハビリをすることが多いです。

もう数えきれないほどの患者さんと一緒に病院での時間を過ごしてきましたが、全員を覚えていません。

私が覚えている患者さんは限られていて、それもそのほとんどが「亡くなった方」です。

なぜか亡くなった方のことばかり覚えていて、元気になって病院から退院していった方たちのことはあまり覚えていません。

なぜなのでしょう・・・。

それは生前のリハビリ中にいただいた言葉や行動力などが印象的なものばかりだったからかもしれません。

死が近づいているにも関わらず何かの夢や希望へ向かっている姿が印象的でその1人1人の患者さんの命の輝き、心のゆたかさを肌で感じているような気がします。

ある患者さんのエピソードを紹介したいと思います。

命の輝き、心のゆたかさを教えてくれた患者さん「この命を歌にしてとどけたい」

もう今から5年ほど前に担当させていただいた患者さんのことです。

この方の仕事は学校の音楽の先生でした。歌を歌うこと、ピアノをひくことが大好きでいつもリハビリ中に楽しそうに話してくれました。

リハビリも少しずつ進みやっとの思いでリクライニング式の車椅子(背もたれが倒れるタイプの車椅子)に5分ぐらい座ることができるようになった時です。私が勤務する病院の緩和ケア病棟の談話室にはオルガンが置いてあります。そこへ患者さんと一緒に出かけた時、オルガンを見て言いました。

「この命を歌にしてとどけたい」

オルガンを見た患者さんはオルガンで緩和ケア病棟に入院している患者さんや看護師さんなどの医療者に向けてクリスマスコンサートをしたいと言いました。

この時、患者さんの余命はもう数ヶ月程度と医師から宣告されていて、お腹に水がたまり呼吸も苦しい状態、さらに背骨にはがんが転移(てんい)していて無理に座る時間を長くすると骨折してしまうような非常に危険な状態でした。

リハビリでもようやくリクライニング式の車椅子で5分程度座れるようなったところで、体のことを考えると「とてもそれは無理だ」というような状況でした。

私はその話を病棟の看護師、医師にもちかけ何とかなる方法はないだろうかと相談しました。あまり無理をすることはできないが、可能な限りトライしてみようということになり、リハビリで起きる前に疼痛・苦痛の緩和のための薬を飲んでもらい、看護師さんには車椅子への移乗時間のスケジュール合わせをしてもらったり、またコンサート当日の飾りつけの準備をしてもらうなどたくさんのことに協力をしていただきました。

患者さんは本当に頑張っていました。鼻から酸素吸入しながら、腰にはコルセット を巻いて。がんが進行して筋肉もかなり痩せているのでピアノを引く手を思うように動かせなくて悔しい思いもしていました。

なぜだか私はその姿にすごく魅了されていました。見た目の体の様子とは違って、目の前のことに夢中になっている姿勢や気持ちになぜか感動してしまっていました。だからこそ私たちも何とかしてあげたいと必死になっていたのかもしれません。

ようやく10~20分程度はリクライニング式の車椅子に座ってオルガンを引きながら歌を歌えるようになったのでコンサートを開こうということになりました。

コンサート当日の奇跡

コンサート当日も体調が万全で行える保証はどこにもありません。当日までにも体調不良を原因としてリハビリを休むことは何度もありました。

幸いにもコンサート当日は体調は良好。私たち医療者もほっとしたのを覚えています。

「コンサートは行うけど、患者さんの様子次第で途中で中止もあり」と申し合わせていた私たちでしたが見事に裏切られました。

結局、そのコンサートは40分間も続いたのでした。

それまで10~20分程度がやっとだったはずなのにです。私たちも時計の針と患者さんの様子を心配しながら見ていましたが、なんてことありませんでした。「真っ赤なお鼻のトナカイ」から始まり「きよしこの夜」などのクリスマスソングを合計5曲も歌い上げたのです。

その歌声は今まで聞いたことがないくらい、大きく透き通る声で緩和ケア病棟の談話室全体を震わせ、コンサートに参加している患者さんとその家族、私たち医療者の心を震わせました。

患者さんがオルガンを見た時に言った、

「この命を歌にしてとどけたい」

がその通りになったような不思議な感覚を覚えました。

命を歌にのせて、お別れを

その後、間もなくこの患者さんは亡くなられました。コンサートから1週間もたっていなかったと思います。

コンサートが終わってこんなにもすぐに亡くなられるとは正直思ってもみませんでした。

患者さんの言葉の通り「命を歌」にのせて旅立たれました。

コンサートが終わった直後はさすがにぐったりと疲れていましたが、翌日には「どうだった?コンサート。みんな楽しんでくれたかな?」と悪戯ぽく、そして恥ずかしそうに笑いながら聞いてきたことを覚えています。

患者さんから学んだ命の輝きと心のゆたかさ

この患者さんのすごいところは歌の力で他の入院をしている人や医療者を勇気づけたい、楽しんでもらいたいという思いがとても強かったことです。

自分のことで精一杯なはずなのに、座っているだけでしんどいはずで酸素を吸いながらでしか生活ができないはずなのに・・・。

死が近づいているにも関わらず何かの夢や希望へ向かっているこの患者さんの姿から命の輝き、心のゆたかさを肌で感じたような気がします。

辛い時、苦しい時でも前向きに「誰かのために」という思いは時にものすごいエネルギーをもたらすのだと思います。

私はその力にたくさん元気づけられました。

心のゆたかさは命を眩いほどに輝かせ、そしてその輝きは他者の心へと染み渡ることで、心のゆたかさは感染していくのかもしれません。

今の世の中に必要なのは「心のゆたかさ」の感染

今、コロナウィルスの感染拡大によってたくさんの人が苦しい生活を強いられています。マスク売り場で「なぜ、在庫ないんだ」と定員に怒鳴りつける方、県外ナンバーの車に石を投げつける方までいると聞きます。

またSNS内での誹謗中傷などの書き込による自殺者が後をたちません。

その行動をとる前に一歩立ち止まって考えてみませんか?

「みんな苦しい状況にあるんだ、自分だけではない」

「こんなこと書き込んだら、どう思うかな?」

自分独りよがりな行動や発言を起こすのはもうやめて下さい。

「誰かを思いやる気持ち」

「助け合う気持ち」

は誰にだってあるはずです。ちょっと立ち止まって考えてみるだけで良いです。

私が担当させていただいた患者さんは、今にも自分は死ぬかもしれないという状況なのに、最後の最後まで「誰かのために」という思いを胸に命を輝かせました。

私はいつも患者さんから命の大切さや、日々の何でもない暮らしがいかに尊い物かを教えられます。

こんな大変な状況だからこそ、今一度、自分の心のゆたかさを信じて下さい。誰にだってあるはずです。

あなた生きた今日は、誰かが生きたかった今日です。そのかけがえのない今日という日を誰かを傷つけるためだけに使うのはやめて下さい。

コロナウィルスではなく、皆さんの心のゆたかさが世界中に感染していきますように。







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