私の更年期ものがたり
更年期研究を始めたわけ
私が更年期研究をはじめたきっかけは個人的な問題からでした。NHKの「虎に翼」の主人公寅子ではありませんが、思春期の頃から月経困難症がひどく、悩んでいました。あまりの痛みで、夜中にお腹を抱え込み、トイレの前で床に転がっていることが度々ありました。また、生理が始まると経血もれが気になり、白いものや薄い色ものを着ることができませんでした。今思い出すと、お腹を締め付けるのは苦しいはずなのに、スカートの下にはブルーマーをはいていました。さらに生理中の特有の臭いも気になり、常に周囲を気にしていました。寅子ほどに症状はひどくなかったかもしれませんが、当時月経で学校を休むこと自体怠けていると思われ、生理があっていることを知られることも恥ずかしく、相当に無理をしていたと思います。試験期間と生理が重なったときには、痛みとお腹の不調で試験中に気が遠くなることもしばしばありました。そんな私なので、月経がなくなり、閉経することを心待ちにしていました。
閉経を待ち望んだ私がなぜ更年期研究を始めたのか、そして自身の更年期体験、その後までを書いてみたいと思います。
月経前症候群(PMS)
月経痛も酷かったのですが、実は月経前症候群にも悩まされていました。大学で働くようになり、図書館で本を探しているときに、ふと書棚で、K.ダルトン著、児玉 憲典 訳『PMS法廷に行く 月経前症候群と女性の犯罪』 誠信書房(1998年発行)を見つけました。イギリスでは、月経前症候群のなかには重篤な精神症状をもつ人がいて、窃盗や放火、殺人などの犯罪に関わることがあること、そして判例においてPMSが減刑の理由に含まれていること、PMSを専門に治療する病院があることを知りました。当時の日本では、男女雇用均等法制定から10年以上が経過し、一部生理休暇は性差別だと言われ、生理休暇廃止を求める動きが見られ、女性も男性同様・同等?に働くべきという風潮がありました。一般の人には、PMSの存在や治療対象であることも知られていませんでした。私の症状は、犯罪を引き起こすほどではありませんでしたが、非常に気分が悪かったことを覚えています。
月経前症候群を知った後は、意識して文献を探すようになりました。月経痛もそうなのですが、月経前10日頃から見られる心身の不調が改善できるなら、なんとかしたいと考えたからです。私は精神面よりも身体面の不調が強い方でした。乳房の張り(走ると痛みも走る)、むくみ(2㎏以上太り、とにかく体が重い)、お腹の張り(腸内にガスが溜まりパンパンになる)、腹痛(生理前なのにお腹や腰が痛い)、頭痛(主に片頭痛、何とか仕事はするが休日は寝込んでしまう。せっかくの休日も台無し)など多数の症状が見られました。
そんな時にある文献に、月経前症候群が強い人は更年期障害が強くなると書いてあり、慌てました。閉経すればすっきりした毎日を送れると思い込んでいたのですから、ショックでした。加えて、エストロゲン依存性の疾患もあり、ホルモン補充療法を使うには注意が必要であることを知りました。
エストロゲンの急激な減少に伴う更年期障害(特に、「のぼせ」「ほてり」「発汗」「冷え」などの血管運動神経系症状)の緩和には、エストロゲンを補う「ホルモン補充療法(Hormone Replacement Therapy=HRT)」が推奨されていました。但し、禁忌症例、慎重投与ないしは条件付き投与の症例があり、エストロゲン依存性悪性腫瘍は禁忌症例、良性腫瘍は注意が必要な症例に含まれていました。
更年期障害の症状のなかでも、血管運動神経症状は生活の質を大きく妨げるため、HRTを使えないとなると、見放されたような感がありました。エストロゲン依存性腫瘍を持つ女性は2~3人に1人、自分も含め多くの女性が抱える問題をどうしたら解決できるか考えたいと思いました。
そして、何よりも月経前症候群と更年期障害は、ホルモンバランスの乱れに伴う自律神経失調症であるため、月経前症候群を管理できるようになれば、更年期障害を予防・軽減することができるかもしれない、備えあれば憂いなしと月経前症候群のセルフケアについて調べ始めました。
参考:
1)月経症候群とは
生理前の3~10日の黄体期(月経周期のひとつで、排卵が終わってから整理が始まるまでの期間にあたります)の間に精神的あるいは身体的症状がみられます。これらの症状は、生理が始まることで少なくなり、消失します。
2)エストロゲン依存性腫瘍
エストロゲン依存性腫瘍とは、エストロゲン(女性ホルモンのひとつ)の影響で腫瘍が大きくなる病気を言います。依存性腫瘍には、悪性腫瘍(乳がんや子宮内膜癌など)と良性腫瘍(乳腺症、子宮筋腫、子宮内膜症など)があります。良性腫瘍の代表例でもある子宮筋腫は30代で3人に1人、40代で2人に1人あります。
更年期の言葉はどこから来たの?
更年期という言葉は日常的によく使われます。しかしこの言葉は、いつから使われたのでしょう。
江戸時代の医学書『婦嬰新説』では、閉経期を「経絶之期」と表現しています。そして、江戸時代に東洋医学者において必読の書とされた『黄帝内経素問』には、「…前略…。七七任脈虚、太衝脈衰少、天癸竭、地道不通。…攻略…。と書いてあります。日本語訳では、49歳になると、任脈は空虚となり、太衝の脈は衰え、天癸は竭きて、月経が停止します。と説明しています。江戸時代の和漢医学で使われた「血の道」は、女性の生理に伴ういろいろな辛い症状、月経にまつわる症状として説明されています。江戸時代には更年期に関わる言葉を見つけることができませんでした。
その後、中国のいくつかの大学を訪問した際に、研究者に「更年期」という用語の語源について尋ねたり、専門書を購入して調べましたが、どこにも語源を見つけられませんでした。研究者曰く、日本から来たのだろうとのことでした。
日本では、「更年期」は、明治以降。西洋医学の輸入、翻訳に際し造られたという説があります。そこで、語源からさかのぼってみました。
climactelic
語源は、はしごの横木/階段を表すギリシャ語のKlimacterだとされています。意味は女性の月経閉止期、男性更年期、危険期、転換期、厄年を意味します。他に果実の成熟の意味もあります。しかし、climactericには、日本語の’更年’という意味は含まれていませんでした。
wechseljaher
ドイツ語の'wechseljaher’に女性の閉経、「性成熟期」から「老年期」への移行期/更年期(the change of life)の意味がありました。'
menopause
menoposeとは、月経閉止、閉経期、更年期を意味します。語源は、meno-(月経)+pause(停止)で、the change of lifeの意味は含まれず、生物学的な状況を表しています。
更年期をたどる
’更年’は、漢和辞典によると「年」を「さら二、あらたメル、ふケル」と読むことができます。日本語の’更年期’は、明治政府が、1870年に和漢医学や和蘭医学を排除し、ドイツ医学を採用した際に“wechseljaher”から、つくられた造語ではないかと思われます。しかし、そのことを書いた文献は見つけられませんでした。
’更年期’という言葉が日本で使用された古い記録としては、明治期の小説家、小栗風葉(1875年(明治8年)2月3日 - 1926年(大正15年)1月15日)の『青春』(明治という新しい時代を代表男女の恋とその破綻を描いています)三部作の秋の巻(1905ー06)に「更年期(カウネンキ)の夫人が感ずる病性の総覚」と記されていました。
その後、更年期や更年期障害が社会でどのように扱われていたかを知るために、明治から平成までの日刊紙、婦女新聞、婦人雑誌を調べました。更年期とういう言葉が、使われ始めたのは大正初期(1917年)で、婦人衛生雑誌に「更年期における夫人の衛生」というタイトルがありました。それまでは、「月経閉止病」「女子の變換期」「變換期の障礙」などの言葉が使用され、更年期という言葉は見当たりませんでした。
新聞や婦人雑誌で更年期の言葉が現れるようになったのは、1896年のドイツでの卵巣製剤の使用例や1923年のアメリカでの卵巣ホルモン有効成分の分離成功が報告された以降のことです。1935年頃になると更年期障害に対するホルモン製剤の効用に対する解説や広告が頻繁に掲載されました。しかし、満州事変、太平洋戦争へと進んでいくなかで、紙面上から更年期の文言は消えていきます。再び更年期の文言が現れるのは1950年以降になります。この時には女性だけでなく、たくさんの「男性更年期・更年期障害」に関する製薬の広告が掲載されました。若返り療法にも使われ、誰もが薬局や通信販売でホルモン剤を購入することができました。しかし、不適切使用による重篤な副作用が報告され、医師の処方がなければ購入できない要指示薬となり、更年期障害に対するホルモン剤の広告は無くなりました。またこのころには、エストロゲンの単独投与による子宮がんの増加も報告されました。1985年にホルモン補充療法にプロゲステロンの併用され、子宮内膜がんのリスクが抑えられただけでなく、骨粗しょう症や動脈硬化の予防にも有効であることが報告されます。普及率は欧米では30~40%に増えますが、日本では現在でも数%に留まっています。日本人の意識下にホルモン治療は怖いというイメージが残っているのかもしれません。
閉経や更年期の女性に対するイメージでは、日本では嫉妬心や執着心が強いなどと否定的イメージの記述が大部分を占めていました。なかには、更年期障害のことを「奥さんのブラブラ病」と書いた製薬会社の広告もありました。これがありのまま、自分らしく生きる女性として扱われるようになるのは、1970年~1980年代に入ってからのことです。男性においては更年期や更年期障害はないものとされ、メディアに取り上げられるようになったのは2000年に入ってからのことでした。
更年期研究を通して感じたこと
最初の更年期研究は、おおよそ27年前に行いました。テーマは、男性と女性の更年期でした。女性だけでなく、男性を含めたのには理由があります。当時更年期女性を蔑視したり、軽視する風潮がありました。そのうえ、更年期と更年期障害は区別されず同じように扱われていました。更年期障害に特徴的だと言われる「のぼせ(顔がかーと熱くなったり)」や「怒りっぽい」症状は、私の周囲の中年男性にもよく見られ、女性特有の問題だと言えるのかと疑問に思いました。男性の中年期の不調は「中年期クライシス(Midlife crisis)」と言われ、更年期とは別物として扱われていました。そのため、調査をお願いしたり、調査票を配布する時に、男性諸氏から「男には更年期はない」とか「女と一緒にするな」的なお叱りを受けることが多々ありました。勿論、男性には女性の閉経のような明確な印はないけれど、徐々に男性ホルモンが減少し、心身の不調をきたしやすい時期であることは間違いありません。人生の転換期という意味であれば、男性も女性も更年期を迎え、その時期には不調を起こしやすいという共通認識を得れば、互いに理解し、認めあうことができ、助け合うことができるのではないかと考えたのでした。
それから数年後、漫画家のはらたいら(1943年3月8日 - 2006年11月10日)さんが、男性更年期障害の診断を受け、自らの更年期体験をユーモア―タップリに書いたエッセイが出版され、大きな話題になりました。世に、男性更年期という言葉が広がるきっかけとなりました。
次に更年期研究に取り組んだのは、それから5年後のことでした。この時は、女性のみを対象にしました。女性の更年期は、閉経という明確な印があると言われますが、実は生理が止まったときが閉経ではなく、1年以上生理が無いのを確認して初めて閉経と判断します。閉経前は、月経周期が乱れたり、間が空いたりしますので、本当に閉経したと言ってよいのかわかりません。そこで、本人の自己申告に加え、個々の女性の更年期の時期を明確にするために、採血により卵巣ホルモン値を測定しました。最終月経からの時期、月経の規則性、月経血の量の変化、卵巣ホルモン量の組み合わせから、プレメノポーズ、ペリメノポーズ、ポストメノポーズに分類しました。更年期障害指数は、プレメノポーズが最も高くなっていました。更年期障害指数が高いと生活の質が低下し、プレメノポーズとポストメノポーズでは身体面では身体、心理、社会、環境、全てにおいて生活の質が低下することが明らかになりました。更年期女性の4分の1が中等症あるいは重症の症状を抱えているにも関わらずほとんどの女性は医療機関を受診していませんでした。「耐える、我慢するべき」「否定的な更年期のイメージ」「知識情報がなくどうしてよいか分からない」「受診や相談がしにくい」などが理由として挙げられました。
このような更年期女性の健康の維持増進、生活の質の向上を目指して、医療機関を受診していない女性を対象に「更年期ディスカッショングループ」という介入が効果的であるかどうかの研究を行いました。
本研究の後、更年期ディスカッショングループを地域で展開し、その中で支援者の養成しました。1年間、地域で更年期の健康増進に向けた活動を展開しました。いよいよ自主グループを結成するかどうかの会議のなかで、参加者の多くが「更年期女性よりも子育て中の母親の方が大変だ」「妊娠出産や育児期の女性を助ける研究や支援をしてほしい」と言いだしました。私はちょっと驚きましたが、更年期世代の女性の発達課題に次世代の育成があることを思い出しました。当事者の意思を尊重し、同意しました。その後、このグループは子育て支援に取り組むNPO法人へと発展していきました。私はと言えば、彼女たちの活動を支援しながら、更年期研究を一旦中止し、出産や育児に関わる研究へとシフトしていきました。とはいえ、全ての研究は、更年期を含めた女性の健康につながるものとなっているのが不思議です。
更年期研究の詳細は、下記博士論文を参照ください。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/1012/19372_%E8%AB%96%E6%96%87.pdf
更年期の個人的体験
40代に入ったころ、身体の回復の遅れや免疫の低下を感じるようになり、将来の生活習慣病予防のためにも、サプリメントを摂取するようになりました。具体的には、ビタミン類、カルシウム・マグネシウム、コエンザイムQ10 、亜鉛、ラクトフェリンなどです。そして数年内服したころ、手先にピリピリとしたしびれを感じるようになりました。そのようなことを大学院関係者の間で何気なく話したときです。そろそろ更年期症状かなと周りの人が言ったのを小耳にしたある教授が、「サプリメントを摂取していないか?」と聞いてきたのです。「どうして」と思ったのですが、その時摂取しているサプリメントの内容を伝えました。それを聞いたある教授は、「過剰摂取の可能性」があるというのです。サプリメントの重複がないように注意していたので、「そんなはずはなは…」と思ったのですが、健康診断でもしびれを来すような疾患の指摘もなかったので、アドバイスを受け入れることにしました。
まず、しびれに最も影響していそうな亜鉛から中止しました。亜鉛を長期にわたり過剰に摂取し続けると、銅の吸収が阻害され、貧血や手足のしびれなどの血液異常・神経異常が起こることがあると言うのです。この時、手のしびれ以外に症状はありませんでした。症状はすぐには消失しませんでしたが、忘れたころ、おそらく数か月後には、しびれは気にならなくなりました。その後、食事ではバランスよくとっていたので、サプリメントを摂取するのはやめました。
手のしびれは更年期症状ではありませんでした。その後、月経が遠のくようになり、数か月に1回になり、経血量も少なくなってきました。それに伴い、夜中にひどいコールドフラッシュを経験するようになりました。突然、身体ががたがたと震えだし、冷蔵庫のなかに入っているような感覚です。手足に触れてみても、それほど冷たくありません。それなのに身体の芯が恐ろしく冷たいのです。毛布や布団をかぶっても、カイロを当てても役に立ちません。とにかく、落ち着くまでひたすら耐えて待つだけです。幸いなことに、私は更年期研究をしていたので、コールドフラッシュという症状を知っていたことが役に立ちパニックにならずに済みました。その後、冷え性の多い日本人女性ではコールドフラッシュが多いかもしれないと思いました。
ホットフラッシュは、それから数年後、秋から冬になる数か月間だけ現れました。会議の打ち合わせの際に、室温は高くないのに顔が熱くなり、汗が流れてきて、どきっとしました。デパートなど暖房が効きすぎたところにいくと大変でした。しかし、ホットフラッシュが起こりそうになったら、冷たいものに触れたり、冷たいハンカチを準備していたりなど上手く対処できました。同時にホットフラッシュに悩んでいる人の相談にも乗っていたので感謝されました。
この後に出現したのは関節痛です。女性ホルモンの一つであるエストロゲンは、関節や筋肉を保護しています。閉経により、エストロゲンが急速に減少すると腱や関節が腫れて痛むようになりました。朝起きた時は、手指がこわばって動かしにくくなります。少し動かすと落ち着いてくるのですが、仕事上パソコンを使うことが多く、ひどいときには、キーボードを打つたびにさすような痛みを経験していました。ホルモン補充療法をすれば楽になるのですが、エストロゲン依存性の腫瘍があるため、ホルモン補充療法を行う気に慣れず、手の使い方に注意をしたり、腫れがひどいときは冷やしたり、休めるなどして、だましだまし対処しています。
最も困難なのが、骨粗しょう症です。朝の8時から真夜中まで仕事をし、休暇を取ることが難しかったため、1日に歩くのは2千から3千歩でした。運動不足とはわかっていても、仕事を優先し、昼食さえも仕事をしながら食べていました。簡易検査で、骨密度が低いのはわかっていたのですが、問題を先送りしてしまいました。40代のころ学生の実習先から戻るとき、不覚にも駅で階段を踏み外し、向う脛を剥離骨折しました。その後も、足指の骨折を2回(転倒と打撲)経験しました。勤務中は、できるだけ階段を使うようにはしましたが、3千歩に届くのが精一杯でした。退職後、一日の歩数を4千から6千、8千歩と数か月かけて挙げていきました。予防的に骨粗しょう症の治療を開始したのですが、効果はゆっくりとしか出ません。その後も、足元をよく見ておらず車止めにひっかかり転倒したことで手指を骨折したり、足を踏み出した時に思ったより前に出てしまい、足指をしたたかドアにぶっつけてしまい骨折しました。今は安静優先ですが痛みが落ち着いたら歩数を増やし、積極的に階段を使いたいと思います。また、足指の骨折を避けるために家のなかでもできるだけサンダルを履くようにしました。睡眠不足も影響するということで、一般的な睡眠対策に加え、眠れるように乳酸菌飲料を飲んだりもしています。
中性脂肪やコレステロール値が上昇したのは、閉経から約10数年たってからのことでした。ずっと人より低い値でしたので、影響は少ないと思い込んでいたのは間違いでした。今は、身に付いた脂肪を減らし、筋と骨量を増やす努力をしているところです。「脂肪は貯蓄できるけど、筋と骨は貯蓄できない」当たり前のことを忘れないように生活しようと思います。
コールドフラッシュは、たまに今でも見られます。エストロゲン減少に伴う症状は、今も続いています。私のなかでは、更年期と老年期の境は曖昧なものでした。これからも自分のやりたいことがやれるように、健康に注意しながら対処していこうと思いました。
更年期症状には、のぼせや発汗など特徴的なものがありますが、現れ方は人さまざまです。更年期症状らしきものが現れたら、それまでの生活を振り返り、閉経後も元気に過ごせるように予防しましょう。