個性と居場所を考えさせられる妖琦庵夜話「顔のない鵺」と「ラスト・シーン」
榎田ユウリの人気ホラー小説。
シリーズは全作読んでいたのですが、1年以上ぶりに8作目と9作目の最終回を読みました。
見た目は人間と同じだが、DNA検査でしかわからない妖怪のDNAを持つ妖人が様々な事件を巻き起こす物語。
自らも妖人である茶道家・洗足伊織は、妖人を見分ける唯一の眼と明晰な頭脳を持っており、妖人による事件が起こるといつも警察に頼られていた。
その結果、自分の家族のしがらみによる事件に巻きこまれていき「顔のない鵺」と「ラスト・シーン」では今まで明かされなかった家族の出生や育った環境の秘密が解き明かされていく・・・。
作中の中で描かれている妖人を読んでいると、これは人間の持って生まれた個性を妖人という名の元に作者が表現しているように私は感じてしまいます。
その個性ゆえに生きづらく、心の足りない愛を依存や執着などという形で埋めようとするさまが、妖人を通して描かれているように感じるのです。
育っていく環境の中で「変わっているね」と言われたことがある人はどれくらいるでしょうか?
私は子供の頃から行動や態度が変わっていた人間なので、外部からわざわざ言われる事は少なかったですがw、ヒーリングの仕事を初めてから世の中にはこんなにも「変わっているね」と言われることを否定的に捉える人が多い事に驚いたことがあります。
因みに「変わっているね」という言葉を肯定的に受け入れるか、否定的に受け入れるかはその人の育ち方に起因します。
人とは違う個性を親が受け入れて、育ててくれていれば子供は変わっていることを肯定的に受け入れますが、逆に親が人と違う事をダメな事だと否定するように育てられた子供は自分を否定するようになります。
現在はネットの発達により様々な情報が手に入り、人と違う事を個性と捉え肯定出来る要因が増えたように思いますが、やはり育ってきた環境の中で肯定してもらう事が少ない状態だと苦悩する人は多く、小説の中に出てくる妖人のように自分の居場所を作ったり、見つけることに苦労をする人も多いように思います。
そんな私も集団生活が当たり前の男尊女卑が強い昭和の時代の中で、学生時代・会社員時代はいつも目立つ存在でした。(人気者とかではなく違う意味で目立っていた人ですw)
自分で言うのもなんですが、器用貧乏なので居場所は作れるのですが、ただその居場所にはいつも何かしら他人からの横やりが入ることが多かったように思います。
その横やりの内容も
自分ルールを押し付けてくる人
常識というモノを説いて来る人
女とは・・・という価値観を押し付けてくる人
私の行動を疎ましく思う人
など、どこに行っても大なり小なり人を通じて文句や嫌味などを誰かに言われることがあったのです。(本人が直接言ってこない所がミソなのです。)
ただ上記に書いている内容を見てもらと分かると思うのですが、私がその人に対して何か悪い事をして文句を言われるのではなく、私が自分で楽しく行動していることに対して文句を言われることがほとんどだったのです。
今考えれば嫉妬されていたのだと思います。
周りを気にせず自分の思うがまま行動していた私に対して(気遣いはしていますよ。)、周りを気にして生きてきた人たちや男尊女卑の固定概念が強いタイプの人にとってはさぞかしうざかったと思います。
私は自分に関わっている人に興味はありますが、顔見知りレベルの他人には興味はありませんw
なのでほとんど話した事もない人から、他の人を通じて色々文句を言われる筋合いはないと思うのですが、集団で生きていた時はどこかしら、何かしらいつも言われていたことを思い出します。
(わざわざ私に伝えてくる人もどうかと思いますが・・・(;・∀・))
私の例でも分かる様に個性が強い場合、人に何もしていなくても他人は勝手に自分の価値観や思い込みで色々文句を言ってくるという事です。
(これが一番分かるのはネットの書き込みです。)
そんな人間を相手するには、自分をしっかり持ってもらう必要があるのです。
作品の中で出てくるほとんどの妖人は寂しい人間だと私は思いましたが、私の所に来る個性的なクライアントさん達も、人よりも感受性が強い人や敏感なタイプの人も多いため、孤独や寂しさを感じやすい人が多いように感じます。
だから愛を求めて人や会社などの組織に属した方が良いと頑張るのでしょうが、残念ながら個性がある場合、勝手に横やりが入ることも多いので自分の心地よい居場所を見つけるには時間が掛かるという事です。
なので自分が今いる環境と合わないと感じるのであれば我慢をするのではなく、自分に合う環境を見つけるまで変えていったら良いと私は思うのです。