また今年も、この日が来た。
またこの日が来てしまった。年に一度、実家のある北海道は登別市へ帰省する日。滞在期間は1泊2日、およそ22時間ほどのわずかな時間だ。ただただ楽しみなだけの時間とはいえない。両親に会うには覚悟がいるし、少し憂鬱な気さえする。
登別までは、自宅から車で3時間半。たかだか3時間半だ。それなのに私は天の川のほとりに現れる彦星のように、年に一度しか顔を見せられていない。なんと親不孝な息子なのだろう。
別に両親とソリが合わないわけではない。むしろ二人を尊敬しているし、愛している。だからこそ、帰省のたびにありありと感じる父と母の老いを、受け入れられない自分がいる。残酷な時の流れから目を背けたい気持ちが、私の心のどこかにあるのは間違いない。
父は今年70歳を迎えた。父には二人の兄がいたが、いずれも70歳に届かないまま病気で他界している。父自身も大病を2度ほど患った経験を持つ。
家系的に病弱で短命だからか、70歳の大台に足を踏み入れてしまった最近の父は少し弱気になっていると、母から事前に電話で聞いていた。
実家好きの甘ちゃん
いつからだろう、実家に帰るのが憂鬱に感じられるようになったのは。
もともと実家が大好きで、心の平安を感じられる場所だった。大学時代は実家から100kmほど離れた札幌市で一人暮らしをしていたが、長期休みになると必ずと言っていいほど実家にいた。新学期が始まるギリギリまで。
バイトを探す際も、長期休みに帰省できることを最優先の条件にしていた。社会人になってから初めての勤め先もまた、学生時代と同じく札幌にあったが、連休があればしょっちゅう家に帰るほどの甘ちゃんだった。
こんなふうに、20代半ばまでは多くの時間を実家で過ごしたものの、私が27歳に結婚したことを機に、実家に帰る頻度が徐々に減っていく。そして、結婚5年目に長女が生まれてからは、めっきり実家へ足を運ぶ機会は少なくなっていった。
さらに30代後半に差し掛かった頃、追い討ちをかけるような出来事が起きた。新型コロナウイルスによるパンデミックだ。
詳しくは書けないが、両親と私とでコロナ禍に対する考え方に隔たりが生まれたのをきっかけに衝突が起き、3年ほど実家に戻らない期間が生じた。
今では和解しているが、両親と私、双方の分厚い心の氷が解けるまで、連絡をほとんど取らずにいた。たしかコロナが5類に移行した頃、私から母へ電話を入れて再会を持ちかけたのだと記憶している。
今でも忘れない。3年のブランクを経て再会したとき、久々に顔を合わせる喜びよりも先に、両親の急激な老いにショックを受けている自分がいた。
1年で、最も死を身近に感じる2日間
いつの間にか実家に帰る2日間は、年間を通じて最も死を身近に感じる2日間になってしまった。実家に帰るたび、両親は終活の話題を口にするようになったからだ。
母は、自身の親(私の祖父母)の残した大きな空き家やその中にある多量の遺品の整理で苦労した経験をしており、私には同じ思いをさせまいと、早々に自分のお墓を決め、身の回りのものを整理してくれている。両親の誠実さには、本当に頭が下がる。
しかし、終活に関する話題が私の心を曇らせてしまっていたのも確かだ。実家に帰るたびに終活の進捗報告を受けることになるので、覚悟を持って会う必要がある。
とはいえ今回の帰省では、それほど重々しい雰囲気にはならずに話ができた。最先端のハイテク墓地の話題が聞けて、楽しめたくらいだ。
「IDカードを所持した状態で墓へ近づくと、自分たちの生前の写真がモニターに映し出されるのだ」と、母はあっけらかんと語ってくれた。まるで新たに購入した家電の機能を説明するかのような気楽な雰囲気に、幾分、私の心は救われた。
私自身も最期は自分の子どもたちに迷惑をかけずに逝きたいと思う。だから今、両親が「人生の終着点」に向かうための準備を進めている姿勢から、今後の身の振り方を学ぶ気持ちが大切なのだろうと、感じられるようになった。
老後をしなやかに過ごす両親の姿に安堵
今回の帰省では、いつもより少しばかり落ち着いて両親の姿を眺めることができた。これは私の心が少しずつ、両親の老いを受け入れる準備ができてきたサインなのだろうか?そして老後の人生をしなやかに過ごす二人に、憧れすら抱いた。
二人とも別々の趣味を持っており、心おきなく没頭している。
母は大正琴という楽器に熱中しており、たびたび演奏会に出演している。師範の資格も取得したそうで、日々、その技術を磨き上げている。
父は若い頃からバドミントンを嗜んでおり、70歳になった今でも定期的に近隣の体育館に通って清々しい汗を流している。音楽鑑賞も趣味としていて、最近は「あいみょん」や「YOASOBI」にハマっているそうだ。古いフォークソングや演歌をこよなく愛する父が、『アイドル』のライブ音源を熱心に聴く姿を見て、さすがに笑ってしまった。
好きなことに打ち込む両親の姿を見ていると「お別れの日」は、まだまだ先にあるのではないかと思える。趣味が生きる活力を与えてくれるものだと改めて実感し、「自分も生涯楽しめる趣味を少しは見つけておかなければ」とも感じた。
また、昔は気づきもしなかったが、キッチンに仲睦まじく並んで家事をする二人の後ろ姿からは、長年培ってきた強固なパートナーシップが感じ取れた。きっと私たちが帰る2日間を除いた残りの363日、穏やかで愛に満ちた日々を送っているのだろう。そう思うと今回の帰省では、はじめて憂鬱より安堵が勝ったように感じられる。
私の中で刻々と変わりゆく実家の意義
以前の私にとって実家は「安らげる場所」だった。しかし今は、「人生や死について深く考えさせられる場所」に変わっている。うかうかしていたら私もすぐに現在の両親と同じ年齢になり、これまでの道のりを振り返って、後悔の念に苛まれてしまうかもしれない。
両親のように子どもに迷惑をかけまいと、なすべき終活に目処をつけ、趣味を存分に楽しみ、大切な家族と穏やかな時間を味わえるように、1秒1秒を大切にして生きていきたいと思った。
ーそれではまた来年も会いましょう。お元気で。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?