誰かが望む“わたし”じゃなく、“わたし”が望む“わたし”に わたしを育てて行く*
集合的無意識の 成長かな?
全体的な次元上昇の現れ
…かな~🎼.•*¨*•.¸¸🎶
なんだか 今までは越えるタイミングじゃなかった
“壁”みたいなのを超える経験をしてる人
…を 身近にも よく見かけます。
自分の言いたいこと、感じたことを
heartに飲み込んで 伝える事を止め、
自分の心の内側に溜めておくこと自体、
互いの精神的環境、意識の心地良い循環を
生まない 原因、
…ともなってしまうのは 確かです 。
時、…が過ぎても
悶々とした 感覚が 蘇ってしまうのは
明らかなのですよね。
自分の行為が 自分を締め付け、
自分が 自分自身に嘘をつくことを
余儀なく選択してしまうと、
それは 互いの真意の込められた
意識を通じさせない
…ってことに なって、
(自分と自分、自分と他者の、 对の関係)
その互いの意識の循環を滞らせたり、
良い 環境を阻んでいる、
…ってことに繋がり
腑に落ちなくさせてしまいます。
その場限りの行動が
先に生まれてしまうと、
その行為に連鎖する行動が生まれ、
流されてゆく
…のですね。
止められなくなってしまいます。
自分の行為について自分が向き合うことが
改善の手立ての一つ
…なのだと、そんな 大切なことが
隠されてしまいます。
自分に向き合おうとすることが 見落とされ、今が心地良い状態であることに 拘り過ぎて、他に気をそらすなど、向き合うべきタイミングを逃し、
また 時間が経てば 同じことを繰り返すことに
なってしまっていたのですよね。
人と生きて 人と関わり生きてゆく以上、
互いの真意に沿う言葉と行動を交わし
伝え合う。…というのは
自分が 自分の真意のまま
生きること(活き活きと)に繋がっていきます。
今までは
自分(の真意)に嘘をついて 我慢して
犠牲になって
周りの意に添いながら生きるのが
仕方のない時代だったのですね…。
頑張ってきた、日本。
戦後 復興に頑張って来た
パワフルで強引なエネルギーの流れの日本だった。
その流れが 色んなまとまりの中の
パワハラ発覚 報道にもなっていました。
そんなパワフルな流れに 真意が伴ってないことに 次第に私たちは気づいて来て(目覚めて来て)、その場限りで 意識を他の視点に切り替えるのも、その時 生じてしまう感情にのまれないことの
一つの方法だけれど、
冷静に 自らの行為を 観察し、 自分の行為を より良き方向に(その人が実感出来る)改善してゆくことが 実践出来るようになってくれば、心に負の感情を溜め込み、負のパターンを繰り返させることも無くなって、
真意の込められた意識のやり取りが出来るようになるのだから、不快なことなど 起きることは無くなって行きます。
(不快に感じられていたことが 不快だと認識することが無くなり
素直に対処できるようになるので
不快が生じない《または 生じてもすぐ解消されてゆく》)
(その都度 相手《周り》の意に沿う様に…自分を曲げる、と 考えるのではなく。
自分が自分を大切にするために、自分の在りたい姿に成ってゆく様に 自分が自分を導いてゆく。
《自分を知るのは 自分だけです。》相手の意に沿えない時にこそ、そのまま ありのままに自分が自分を伝えることをし、自分が生きたい姿を発信し表現してゆく。
相手の望む“わたし” ではなく“わたし”の望む“わたし”に成ってゆくために…)
人に対して 伝えること。意見すること。
(敵意からではなく 自分の意として
感情や良い悪いのジャッジを超えた 言葉を交わしてゆく関係)
自分の意を伝えることが 相手の意を曲げることに繋がる、と 自分の心に真意を封じこめることを自ら強いていること自体、心地良い交流、循環、を生むことは 難しいのです。
今まで “不快” に感じていた事柄が 同じ事象を経験しても “不快だと認識しない自分” 、“不快を隠し持つ必要のない自分” が 育てて行けます。
けれど まだ自分のこころが そこに向かえない時、
そういう場所からは
自分の心のまま、離れるのが良いです。
《離れる、というより、
自分が行きたい場所へ 自分が流れてゆく感じ。》
真意を伝えれば良い、ということでもなく、
伝え方、とか タイミング、をはかる必要は あります(๑❛ᴗ❛๑)
#意識的 #真意#心地良い#循環#改善#冷静#負の感情#集合的無意識#エネルギーの流れ#そのままありのまま
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