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30年ぶり! 疎遠の父との再会 ☆介護〜癒し☆

まさかこんな日がやってくるとは!

「今さらなんで電話してきたんだ!」

両親が離婚して10年経ったある日。 

関西から上京するタイミングで、勇気を振り絞り、私は父に電話しました。

その時の父の一言。

今でも声のトーンまで思い出せるほどです。

「もう電話しないほうがいいな・・」

そう決めてから、約20年弱の月日が経ちました。

そして、なんと、その父と30年ぶりに再会することになったのです。

80代になっても、父は父だった(笑)

私が四国に出向くといっても聞かず、父は自身の妹の息子さんの車の送迎で、関西までやってきました。

やはり、このあたりは相変わらずだ・・(つまり、まわりの人を巻き込むのが上手とも言えるし、まわりの人は嫌と言えず巻き込まれるというような・・)

車なので仕方ない部分がありますが、予定より2時間も早く関西に到着し、慌てて所定の場所までお迎えに。

車から出てきた父は、「〇〇ちゃん(私の名前)?」と確認するように私の名前を呼び、私は「そうです」と。

父「分からんもんやな~」

30年ぶりですもの・・私も当初はピンとこず、、でも確かに父だ。

”涙の再会”みたいなものは全く発生しませんでした(笑)。

今思い出しても、不思議な再会です。

父は、私に何を伝えたかったのか?

父と一対一で話をした2時間。

30年前であっても、こんな機会はなかったかもしれません。

これまでは、母がそばにいたわけだから。

父は、体や声に衰えはあるものの、昔の記憶は私よりもしっかりしており、驚きました。

また、相変わらずの毒舌で、やや(だいぶ)上から目線!

母も含め、私たちが嫌いで離婚したわけではないこと、自分にはやりたいことがあり、当時は”家族全員で四国へ”というようなことは現実的ではなく、この決断をしたこと。

父はこの30年間、認めたくはないでしょうが、ある種の”罪悪感”のようなものを抱えていたからこと、このことを私に話したかったのかもしれません。

が、私はあの20年前の電話以降、それでも「父の生き方を尊重する」と決めて生きてきたので・・・すべて最善が起こっただけではないかと感じます。

そして、母が生きている間に、父は会う決断もできた・・・しかし、そうはしなかった。

それは父のプライドが許さなかったのだろうと。

私が今思うこと。

父はどういう最期を迎えたいのだろう?

いま元気な父は「私に迷惑をかけない」というような思いを持っているでしょう。

でも、ひとは必ず死を迎え、誰しも、そのフェイズでは、ひとの手を借りることになります。

生きている間に向き合えること。

家族に癒しをもたらせるよう・・・自問します。









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