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「スズメバチの黄色」のスピード感の要素を分解する (2/2)


WARNING!!
これは「スズメバチの黄色」のネタバレを含んでいます。読後の感想として読んでください。
筆者が後半をだらだら書かずにいるうちに原作者ロングインタビューで「答え」がある程度書かれているため、被らない部分を中心に書いていきます。

前半では、読者が引っかかる要素を排除してスムーズに読み進められる工夫について読み解いてきた。しかし、それだけでスピード感が出せるわけではない。ブレーキを踏んでいないだけではなく、アクセルも踏み込む必要があるからだ。後半では、次のページをめくりたくなるようなドキドキ感・ワクワク感をどう作っているかを読み解く。

複数の敵が存在する【飽きさせない1】

「スズメバチの黄色」の主人公には敵が多い。メインの敵だけでも蟲毒(⇔火蛇)、脳外科医(⇔チバ)の2つがいる。これに加えて、第1部~第2部前半では《デッドスカル》は火蛇に報復する可能性があり、《KATANA》はチバをとらえようとしている敵対的な関係として描かれている。つまり、火蛇とチバはそれぞれ2つの敵を抱えている。

中盤にかけてはこの4つの敵が代わる代わる襲い掛かってくることでドキドキ感をうまく維持し、後半以降は4つの敵それぞれに対し順に勝利を重ねて「カタルシスの連続」という状況を作っている。また勝利の仕方にもバリエーションがあり、これも飽きさせない要因になっている。《KATANA》と《デッドスカル》は謀略戦で味方に引き入れ、蟲毒と脳外科医にはそれぞれ殴り合いで勝利する。同じ組織の敵を下っ端から攻略する、といった展開とはまた一味違う読み味になっている。

「敵の数を増やす」というのには別の意味もある。実はこの物語の中では、リベンジマッチが発生していない。蟲毒に対しては、捨て石・負け犬の状況から一方的に(陰謀戦、次いでカラテ勝負で)勝利を続ける。脳外科医に対してはミルチャ、ヘルガ、火蛇と主人公側が次々にやられるが、最後はやられた側が直接リベンジするのではなく、氷川にアヴェンジしてもらうことで決着する。直接の再戦(リベンジ)を演出するには自省・分析・修行・根回しといった物語のスピード感を落とす要素を入れなくてはならない。敵の数が少ないと物語のボリュームを出すために一進一退の攻防、リベンジマッチをどうしても入れる必要が出てくるが、敵の数を増やして順に倒すことでスローダウンを回避している。

このような技巧により、総じて、アクション映画に見られる「一対多の状況で軽快に次々と敵を倒していく」というシーンに似たスピード感が達成されている。原作者インタビューにもある通り作者は情報量の管理に相当気を使っており、4つの敵というのも物語の分量から逆算して配置したのではないか――というのが筆者の推測である。

なお、この複数の敵と戦う状況を作るためか、プロットにやや不自然な点がある――物語世界のリアリティに照らせば、一回のチンピラに過ぎない火蛇にとって「蟲毒に捨て石にされ殺される」ことと「伝説的存在のチバの保護」は両方とも一生に一度あるかないかのイベントであろう。それが同時に発生しているのは不自然である。この問題は、両イベントを物語冒頭で立て続けに出すことで解決されている。物語世界のリアリティは、物語を読み込んで読者の頭の中に世界を再構築することで生まれる。物語冒頭では読者のリアリティ感覚が育っていないため、物語冒頭に多少不自然なものを置いてもチェックをすり抜けてしまうのである。筆者も返し読みをするまでこの不自然さに気が付かなった。

複数のジャンルが存在する【飽きさせない2】

ニンジャスレイヤー――あるいはネオサイタマ・ワールドと呼ぶべきか――という作品は、様々なジャンルの混合であり、多様な特徴を持つ展開が次々出てくることで飽きさせない作りになっている。ニンジャスレイヤー本編ではエピソードごとメインとなるジャンルがあることが多いが、「スズメバチの黄色」では一つのエピソード内に詰めあわされているジャンルが多い。本作は
■ 蟲毒・墨龍・チバを中心としたヤクザ抗争もの(陰謀・武力抗争)
■ 火蛇を中心としたジュブナイルやパンク(反抗と自立の物語)
■ 脳外科医の描写に現れるホラー・サイコスリラー
■ ニンジャや重サイバネ者どうしの戦いにおけるSF・能力バトル要素
といった要素の混合体で、それぞれのジャンルの作品で特に盛り上がるフレーズをサンプリングしマッシュアップしたような構成となっている。物語後半の4つの勝利も、友情による勝利、陰謀による勝利、集団戦と能力バトルでの勝利、1対1の素手の殴り合いでの勝利と様々なバリエーションを持たせており、単調さを感じることはない。

これらの多数のジャンルを混ぜ合わせたうえで、その表面はアジアン・サイバーパンクの色で彩っているが、この「アジアン・サイバーパンク」の要素として、「赵島」といった見慣れない表記や、戯画化された書道段位の扱いなど、読者に意図的に違和感を与えてフックになるような描写もある。これらの表現は唐辛子やパクチー等のスパイスのようなのもで、味付けの骨格を変えることなく読者の注意や好奇心を維持する効果があるが、使いすぎるとクセが強くなり人を選ぶ。「スズメバチの黄色」では、これらの表現は(内容的にも日本語文体上でも)普段のニンジャスレイヤーに比べ抑えており、初読者向けであると明言されている。

尤も、ジャンルのマッシュアップ的手法や違和感のある描写の挿入は、ネオサイタマ・ワールドという作品世界におけるリアリティがかなり緩く「なんでもあり」が許されている(読者がタケノコが光っていることに違和感を覚えないというレベルまで)ことで可能となっている面はあるので、他作品で取り入れようとしても、なかなか難しいかもしれない。

終わりに

ここまで長々と書いてきたが、「スズメバチの黄色」という作品は、ここまで書きたくなるほどの入念な設計と工夫が伺える作品である。筆者も普段twitterでニンジャスレイヤーの小説としてのテクニック面に一言二言言及するときはあったが、「スズメバチの黄色」は改めて長文を書きたくなるほどうならされた。読んでいて作者の熱量が伝わってきて、素直に物語を読むにしても、メタ的な読み解きにしても、満足感の高い作品だった。



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