「スズメバチの黄色」のスピード感の要素を分解する (1/2)
WARNING!!
これは「スズメバチの黄色」のネタバレを含んでいます。読後の感想として読んでください。
「スズメバチの黄色」は「読む映画」と形容されるほどスピード感に優れている。本コラムでは、このスピード感を生んでいる要因について考えていく。
役割がかぶる人物を登場させない【流暢さ1】
小説メディアは画面の情報量が少ないために個人の区別を字面でつけにくいことがスピード感を損なう要因になっている。例えばドラマの会話文をそのまま書き出すとのどれが誰のセリフかを区別しにくくなり、英語小説の読者はセリフの主を把握するため行を数えるといったことがしばしばあるほどである。逆に個人の識別をしやすくなるようセリフに肉付けすると、冗長になってテンポが悪くなる。
「スズメバチの黄色」では、そもそも登場人物の情報量を減らすことで登場人物を区別しやすくし、スピーディーな読み味を実現している。本作では性格や役割がかぶる人物は基本的に登場させていない。まともにセリフがあるのはおおよそ下の十数名といったところだが、それぞれの役割を代表するキャラは1人しかいない。
・主人公グループ(チバ、火蛇、大熊猫)
・《老頭》
・本流派(墨龍ら)
・裏切者(蟲毒ら)~その舎弟(李村ら)
・《デッドスカル》(羅刹374、大僧正)
・《武田》
・夜路派(脳外科医)
・勝頼派(勝頼)
・《KATANA》(氷川)
・ミルチャ、ヘルガ
主人公組のチバ、火蛇、大熊猫は役割も性質もはっきり違う。非主人公では、《老頭》の裏切者は蟲毒のみ表に出て、彼以外の同調者にセリフはない。《老頭》本流は墨龍の他は名前だけである。《武田》も夜路派と勝頼派がいて混乱しそうだが、夜路派は脳外科医以外に画面に映らないし勝頼も蟲毒のおまけとして出てくるに過ぎない。《デッドスカル》は羅刹374以外のアサシンも出動しているが、セリフも名前も出てこない。これらの役割の代表者でない人物は、出るとしても通信の向こうにしか出現しない構成となっている。
また、各キャラクターで口調がかぶらないような配慮もある。
・チバ 尊大
・火蛇 誠実・粗暴
・大熊猫 誠実・丁寧
・蟲毒 嗜虐・粗暴
・脳外科医 嗜虐・丁寧
・墨龍 下町風
・氷川 自信家
・羅刹374 事務的
・ミルチャ、ヘルガ 花魁言葉、おばあちゃん言葉
それでも同じ狡猾なヤクザの蟲毒と東雲はかぶっているのだが、東雲を一瞬で退場させているので混乱は生じない。本作が忍殺文体を避けている例として「ザッケンナコラー!」が出てこないというものがあるが、実は蟲毒だけはそのセリフを吐いている。「ザッケンナコラー!」に関しては、忍殺文体を抑えるというよりそれを言いそうな粗暴ヤクザを蟲毒のみにとどめて識別しやすくしている(クローンヤクザは遠景に置いて混乱しないようにしている)というのが真の狙いではなかろうか。
「登場人物の名を体を表すようにして引っ掛かりを防いでいる」ということを以前書いたが、これができるのも「体」=役割や性格が同じキャラクターを登場させないように絞っているから可能なことである。
謎解きをさせない【流暢さ2】
小説メディアは読書ペースを自分で決めることができ巻き戻しも容易であるということが映像メディアに対する長所となっており、これを生かして本を繰りつつ謎解きをさせることが往々にしてある。本作では、映像的なテンポ感を出すためにそのような「小説メディア特有の利点」をかなぐり捨てており、謎解きを細かくさせることがない。
本作は3部構成で
・1部 登場人物を並べる
・2部 誰が味方で誰が敵か明らかにする
・3部 実力で解決
となっているが、この中で謎解きらしい謎解きが出てくるのは第2部後半から第3部冒頭のみで、ページ数にして半分ほど、前半で謎解きパートは終了する(前半の第2部序盤までは火蛇の一人称視点が中心で世界の様子がわからないが、第2部後半その謎が解かれて以降は多数の視点へと移行する)。
前半は登場人物紹介である第1部で3つの伏線を撒き(赵島を殺したアサシンの謎、黄先生とは誰かの謎、氷川の立ち位置の謎)、第2部から第3部冒頭でこれを解くという流れだが、この謎解きの過程でミステリー仕立ての読者への挑戦などはなされない。蠱毒が裏切っているという「正解」は謎解きの前に答え合わせされるし、作中でも主人公は盗聴という手段であっさりそれを知る。ミステリーや推理ものではなく、スパイものやアクションサスペンスのノリである。氷川の立ち位置は火蛇と氷川の2回目の会合シーンで解き明かされるが、こちらは言葉でここでも読者に考えさせて謎解きをするのではなく、チバの交渉テクニックを披露するという体になっており、ご丁寧に謎の解き方に解説がついていて読者としては読むだけでよい。
全体の構成から見ると第2部~第3部序盤は一応謎解きパートなのだが、謎を解く動機として主人公側が急を要するピンチであり目先の問題解決としても必要であるというシチュエーションが与えられており、緊張感の質はアクションやサスペンスに近いものである。読後感は伏線が明らかになったカタルシスに近い。
これらの技巧は、小説メディアにありがちな「確認のため読み返す」という読み方をしなくて済む(あるいはさせない)ためにあり、一気に読破するスピード感を支えている。
時間を巻き戻さない【流暢さ3】
これは全体の構成に関わる部分であるが、本作は原則として時間を巻き戻さない方針を取っており、主人公が分散して多視点になる部分でも、基本は通信しつつの視点移動という形で書かれ、文章的に後に書かれているものは作中時間でも後の出来事であるという関係が維持されている。作中時間を巻き戻さないことは当然ながらスピーディーな読み口につながっているのだが、それが徹底しているところから見て設計されたものとみて間違いないだろう。
後半へ
ここまでは、読者が引っかかる要素を排除してスムーズに読み進められる工夫について読み解いてきた。しかし、それだけでスピード感が出せるわけではない。ブレーキを踏んでいないだけではなく、アクセルも踏み込む必要があるからだ。後半では、次のページをめくりたくなるようなドキドキ感・ワクワク感をどう作っているかを読み解く。