宇野弘蔵の言葉メモ その2

この記事に続けて第二弾となります「宇野弘蔵の言葉メモ」シリーズをお楽しみください。

宇野弘蔵「貨幣に限界効用があるというやつ。貨幣にはないですよ。効用説では貨幣は説けない」

宇野弘蔵「その学問が次の時代に伝えられるような正しさをもっていたという点は、必ずしも新しい政治的目標を支持していたという積極面にあるのではなく、むしろ反対に従来の常識的思想を批判したという消極面に、科学としての発展の条件が見られるのである」

「ナチスの再来に対し, 或いは戦争の再発に対して反対するいわゆる知識人でさえ, 経済学が何か技術的に使われて, かかる再来や再発が避けられるかのように考えているというようなことはないであろうか. 私には, どうもそういう考え自身が極めて危険な, ナチスと縁がないとはいえない, 考えであるように思えてならない. 経済学は何か任意の目的に役立てられるような法則を明らかにするものではないのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 別巻』岩波書店, 28ページ)

「歴史的には,商人資本による売買の作業を前提として産業資本が出現するのであって,この点は問題にならない。理論的展開では,逆に産業資本自身が直接に販売していたものを商業資本に分担せしめるものとして論じなければならないので,悄々理解に困難なことになることを避けるわけにはゆかない」(宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫,229ページ)

「勿論,産業資本的形式は,形式としても生産過程を包摂するものとして当然に,労働力自身の商品化を前提とする。ところが労働力商品は,他の商品と異なって生産物の商品化ではない。それはいわば商品,貨幣,資本の形態規定自身の展開の内に当然に前提されるものとしてすますわけにはゆかない。資本主義に先だって商品経済の行われる社会自身の歴史的変化によって始めて与えられるのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第四巻』岩波書店,328ページ)

「労働力の商品化によって資本は生産過程をも資本の生産過程として実現することになるのであるが,それは物としての使用価値の生産として,あらゆる社会に共通なる,その経済生活の基礎をなす労働生産過程が,資本によって行われるということにほかならない」(宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫,57ページ)

「労働力自身を商品として買入れるとき始めて資本は自ら商品を生産しうることになるわけである」(宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫,52ページ)

「いずれにしても経済学にわれわれの期待するものは,差当たっての経済問題の解決に役立つ政策乃至方策にあるのではない。政治にあたる者がかかる方策を樹て得る基礎を明らかにすることにある。経済問題はその基礎が分析解明されたからといって,それぞれの解決策が樹て得られるほどに簡単なものではない。もしそんなことが出来るとすれば,政治運動は無用に帰するわけである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,31ページ)

「要するに経済学における生産力と生産関係との関係は,人間の労働の生産力を物の量として,人間の生産関係を物の所有関係として,いわば物の質として,一つの物的過程の対立関係としてあらわれるのである。われわれは,これを単なる物の関係として理解している限り,その歴史的性質を客観的に把握することは出来ない。それは単なる客体的理解に過ぎない。これがいわゆる主体的に把握せられるとき,言い換えれば人間の活動自身がかくの如き物的関係としてあらわれるものであることを明かにするとき,始めてその歴史性は客観的に明かにされるのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,43ページ)

「貨幣は商品であり,商品の転化したものに外ならない。しかしまた決して単なる商品ではない。商品に対立するものである。資本も同様にそれは貨幣であり,商品でもあるが,しかし単なる貨幣でもなければ,単なる商品でもない。単なる生産手段では勿論ない。この関係は,同時的に相対立しながら決して別個のものの対立に留まるものではない。いずれも内面的な発展転化の関係を有する対立である」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,49ページ)

「資本家的生産方法は相対的剰余価値の生産を通じて生産方法の改良進歩による生産力の増進を実現するのであるが,それはいうまでもなく直接的に社会の生産力増進を目標とするものではない。資本主義に特有なる形態を通しての生産力の増進である。したがってこの形式による生産方法の発展は,当然資本主義的顚倒性を脱することは出来ない。マルクスは『資本論』第一巻第十一章乃至第十三章に協業,分業,機械の発達を通じて行われる資本主義の下における資本の生産力としてその発展を分析するに当っても,この点を実に詳細に暴露しているのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,100ページ)

「中央銀行の銀行券のうける信用は,国民的規模における商品経済の社会的性質に基くものである。単純なる商品流通における「流通手段としての貨幣機能から生ずる」鋳貨,紙幣に対して「支払手段としての貨幣機能にその原生的根元を有している」信用貨幣は,資本家的商品生産の国民的組織によってその信用を確保せられている。勿論,恐慌においてはこの国民的生産組織自体が撹乱せられるのであるが,それは社会的生産が私的交換を通じて実現せられる限りにおける撹乱である。この場合中央銀行の貸出す銀行券は,かかる撹乱を清算すべき唯一の社会的基準となるのである。而も中央銀行にとってはかかる貨幣は前にも述べし如く資本として貸出されるのであって,この場合唯一の信用貨幣たる銀行券は,その社会的信頼によって私的利益を獲得する手段ともなる。この点で中央銀行もまた他の銀行業者,その他の貨幣貸付資本家と利害関係を一にしていたのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,176ページ)

「なお予め断って置きたいが,私には決してインフレーション対策の妙案があるわけではない。私は経済学がかかる妙案を与えてくれるものとは考えていないのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第五巻』岩波書店,226ページ)

「勿論,インフレーションは,賃銀,俸給を実質的に低下せしめるものである。しかしそれが果たしてどの程度まで産業利潤の増進に利用せられて来たか,この点が明白にされなければ問題は明かにせられたとはいえない。それが単に商業的利潤の蓄積に利用せられている限りは,産業の資本家的復興も容易ではないのである。賃銀の削減を以て直ちに資本の利潤の増加として一般化することは,寧ろ問題を不明確にする危険がある。もっとも二ヵ年のインフレーションをすべて一様の過程と看做すことは出来ない。また産業資本がこのインフレーションによる賃銀の低下を全然利用し得ないでいるというのでもない。ただ,これらの点を明確にしないで簡単に階級的政策とすることの不十分なることを指摘したいのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第五巻』岩波書店,239-240ページ)

「資本家と労働者といえば直ぐに階級関係がわかったようにいうのでは,まだほんとにはわかっていない。労働者と資本家がどういう関係で階級関係をなすのか,これこそ経済学の原理の課題です」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第五巻』岩波書店,256-257ページ)

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