多崎つくると木元沙羅との恋

「恋は現実の前に折れ、現実は愛の前に歪み、愛は、恋の前では無力になる。それがまっとうな男女の関係だ。死ぬ間際だが、それこそ心に刻んで反省しろ。」(『Fate/EXTRA CCC』なるゲームにおける登場人物,アンデルセン,の台詞)

1 『色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年』

村上春樹という小説家の作品について,私は作品として初めて読んだことになる。(この記事を執筆する本の数分前に読み終えた。)だが,どこで読んだか聞いたか不明であるが村上春樹の作品の特徴ともいうべき事柄の一つとして,次のことを認識していた。すなわち,彼の作品には多くの直接的な性描写が登場する,ということである。

その点でいえば,つまり性的な描写で直接的な描写というものが村上春樹の作品にある,という認識についてこの作品には少なくとも当てはまるということができるだろう。『色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年』(村上春樹,文藝春秋)乳房だの射精だの,愛撫だの勃起だの……そういった表現は,この作品において一回だけの登場に終わることがなかった。

しかもそのような直接的なる性描写は,少なくともこの作品において,大体重要な場面において登場するのである。しかもその重要な場面というのは,いわゆる自慰行為の場面であっても「他慰」行為(セックスの別表現としてここで勝手にそうぞうしてみた。)の場面であっても,そのどちらの場面をも含むのである。ほんの一例だけあげれば,多崎つくる(これは描写からして男性である。というのも,この作品は少なくともファンタジー的な世界を想定してはおらず,その想定が守られているとして,射精だの夢精だのを行っている描写があるからである。)の吐き出した性液をとある人物が受け止めるという場面であるが,その受け止める人物が夢にしては現実感のありすぎる状態であるが,現実にしては夢とでも思わないと整合しないような人物なのである。

ほんの一例だけあげれば,と述べていたがもう一つの例だけあげさせてもらうことにする。多崎つくるは木元沙羅という人物と,親しい関係にある。そしてお互いがお互いに親しいと思っているし,お互いがお互いに対してセックスを行うことに肯定的な間柄である。そんな彼ー彼女の二人において,多崎が木元に,つくるが沙羅に「挿入」しようとするまさにその場面において,インポテンツになってしまうという描写があるのである。しかも傑作なのは,その場面を通り過ぎた後の多崎は,これまで経験することがなかったような固さを,ただ一人経験することになる場面があるのだ。

2 つくると沙羅

つくると沙羅という二人の人物は,この作品『色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の年』における主要人物である。主要な人物であるということは,この作品をよんでいるほとんど冒頭で感じ取ることができる。少なくとも第一章(あるいは第1節)を読み終わった後ならばほとんど確実に,この二人が登場人物であることを読み取れるであろう。そしてこの二人はどうもお互いを好き合っているのだなということも,読んでいる途中にわかってくる。となると,少なくとも小説については学術書を読むことよりは素人である私にとって,この二人の中はどういう決着になるのかという疑問に対する答えが書いてあることを,考えずにはいられなかった。ところが,この疑問に対する答えは,とうとう最終章(あるいは最終節)を読んでも,その最後の一文を読んでも明示的に書かれることはなかった。いや,暗示的にも書かれているとは言えない。結論放棄をされた感じなのだ。多崎つくるの,木元沙羅にたいする「巡礼」は今始まったのであって,作品の中で終わっていなかったのだ,と読み終えてしばらく経った私は感じている。沙羅双樹のなんとやら……(沙羅「双」樹なのであるからして,この二人の中は少なくとも一時的には,はっきりと結ばれることになるのだろうことは,容易に予想できることである。)

つくるは「創」ではなく「作」という漢字を当てられた人物である。どちらの漢字にしても色の要素は全く感じられないという意味で,多崎は自分のことを個性に乏しいと思っている。が,没個性であることが個性的なことなのだ,みたいな陳腐化された逆説ではいいえないくらいに,多崎は強かった。彼は自分の命を終えることを少なくとも数ヶ月間くらい,真剣に考えていた男であったが,その危機を脱していると言える状態になっている。鈍感な人は,多感な場面において,強さを発揮するものである。

つくると沙羅は,お互いをお互いにすきあっていることがわかるのであるが,お互いがお互いにあいしあっているのかといわれると,どうもピンとこないと思う。この二人は,お互いとも30歳代の人であって,夢に恋する人でもなければ,性的に初心でもない。だが私にはどうも,つくると沙羅は愛を語らい,愛を体現し合うことにならない気がしてならないのである。

「恋は現実の前に折れ、現実は愛の前に歪み、愛は、恋の前では無力になる。それがまっとうな男女の関係だ。死ぬ間際だが、それこそ心に刻んで反省しろ。」


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