それは何の前触れもなくやってきた...

これはおよそ一年前の出来事である

一人のある少女と私

1人のある少女, おそらく彼女は見た目からの推察ではあるものの10代後半から20代前半であろう, が泣きながら歩いて私の横を通り過ぎていった. 私はその少女の様子に, 一瞬にして全神経を持って行かれ, 一瞬にして元の意識に戻り, 私は通常の状態で歩いていった. その少女は, 正確に言えば泣いていたというよりも, 泣き終わった後の目が赤くなっている状態で通り過ぎていった.

彼女はなぜか知らないが, 泣いていて私はその姿に, なぜかは知らないのだが, 少なくとも一瞬は釘付けになった. 無論一瞬にして, 私の日常世界に戻ってきた私なのであったが. その少女は泣いていた. その理由をその少女以外の人間があれこれと推察することは容易であり, おそらくはその推察の一部は, その少女の心象を正確に表したものとなるのだろうことは, 私にも理解される.

だが, 私が言いたいことは, 彼女は, 私の横を泣きながら通り過ぎていった彼女は, 泣いていたのであって, それ以下でもそれ以上でもないということである. 彼女にとっては, きっとあらゆる彼女の状態に対する理由を説明した言説は, 意味をなさない, 少なくとも「現実感」が欠けているものとして認識されるに違いない. だから, 私はなぜにその少女が泣いていたのかに極めて強い興味を持ちながらも, 同時にその泣いていた理由に対する考察はすぐにやめてしまったのである. なぜなら, その少女と私は, 無関係であったわけだし, たとえ私がその少女が泣いていると認識したことでもって, 関係が生まれているのだ, と他人から言われたとしても, 私とその少女は別人なのだ. 別人なのだから, 私の考察をその少女に押し付けてはいけないのである.

ただ私にとって重要なことは, 見ず知らずの他人である少女が, 泣いている様子で私の横を通り過ぎた, という事象に対し, 私がなぜに一瞬ではあるものの, 全神経を持って行かれたのか, ということである. 繰り返そう. 彼女が泣いていた理由をあれこれ考察したところで無意味であるのであって, 重要なのは, なぜに私が泣いている少女に気が取られてしまい, すぐさまにその気から離れ, 私の日常に私が戻ることができたのか, というただ一点である.

私はその少女に対して, 様々な感情を持つことができる. たとえば憐憫の情を抱いたり, 心配な気持ちになったり, はたまた嘲笑する気持ちになったりすることが, 私には可能である. されど, そのような私の気持ちは, その少女にとっては全く意味をなさないのである. なぜなら, 私とその彼女は人間であるという一点をのぞいて, ほとんど無関係であるからだ. 無関係であるもの同士が, 互いに互いの感情を交わしたところで一体何が有益だというのか.

そもそも, 互いに互いの感情を交わした時点で, その両者は, 決して無関係であるとは言えないのである. とにかく, 私にとって重要なことは, 私の横を泣きながら通り過ぎていく少女を見た, というその事実のみである. なぜに私はその少女に気をとられたのか, という問いであれば, 私はきっと無益な考察を避けることができるだろう.

しかし, その理由に対する考察は私の中で全く固まっていないので, ここでは表現できないし, 投稿しないこととする. 私は私の横を泣きながら通り過ぎていった彼女に気が取られていた. 私はその少女に対して一瞬ではあるものの, 目を向けないわけにはいかなかった. 私は彼女が通り過ぎていく姿を見ていたのだ. 彼女に一切声をかけることもなく...

私は一体なぜこのような行動をとったのか, とってしまったのか, 私には全くわからないが, 現にそのような行動をとってしまったという自己認識は現に強烈に存在している以上, 私はこの疑問に対して, 考える権利が与えられており, 考える義務を負っているのである.

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