ゲーテの言葉メモ その3
この記事に引き続いて,第三弾と参ります。
ゲーテ「わたしたちはみな,過去を食って生き,過去がもとで亡びる」
ゲーテ「現在の世界には,わたしたちがそのために何かをするだけの価値はない。なぜなら,今の世界は一瞬にして亡びるかもしれないからである。過去の,そして未来の世界のために,わたしたちは働かなければならない。過去のためにはその功績を認め,未来のためにはその価値を高めるように努めるのだ」
ゲーテ「いかなる統治が最高の統治か。わたしたちにわたしたち自身を統治することを教える統治である」
ゲーテ「支配することは容易に学べるが,統治することを学ぶのはむずかしい」
ゲーテ「二つのおだやかな強制力がある。正義と礼節である」
ゲーテ「法は責任を,警察は作法を求める。法は考量し,決定する。警察は見渡し,命令する。法は個人に,警察は全体にかかわる」
ゲーテ「社会が死刑を定める権利を放棄すれば,ただちにまた自衛が登場する。血の復讐がドアをノックする」
ゲーテ「すべての法律は老人と男性によって作られている。若者と女性は例外を欲し,老人は規則を欲する」
ゲーテ「不正が不正な方法で取り除かれるよりは,不正が行われるほうがましである」
ゲーテ「僭主政治が終るやいなや,たちまちアリストクラシーとデモクラシーとの確執が始まる」
ゲーテ「立法家であれ革命家であれ,平等と自由を同時に約束する者は,空想家でなければ山師である」
ゲーテ「社会においてすべての人間は平等である。いかなる社会も平等の概念の上にしか築かれ得ず,自由の概念の上にはけっして築かれ得ない。社会のなかにわたしは平等を見出したいと思う。自由,すなわち,自分が社会に従属したいという道徳的自由は,わたし自身が持参する」
ゲーテ「存在するためにわたしたちの存在を放棄するというのが,わたしたちの行う離れわざのすべてである」
ゲーテ「人間は実にわがまま勝手に矛盾した存在である。利益になっても,むりやりすすめられることはいやがり,損になっても,強圧をがまんする」
ゲーテ「福音となって世に現われる偉大な理念はすべて,沈滞し杓子定規の大衆には腹立たしいものと映り,広くはあるが浅薄な教養を身につけた人びとにはばかげたものに見える」
ゲーテ「どんな偉大な理念も,現実化するやいなや暴君のような働きをする。それゆえに,理念のもたらす利益はあまりにも早く損失に変ずる。だからどのような制度も,その初めを思い出して,その制度のうちで初めに妥当したもののすべてが今なお妥当することを証明できる場合にのみ,これを擁護し称賛することができるのである」
ゲーテ「多数ほど腹の立つものはない。なぜなら,多数はわずかの強力な指導者と,大勢に順応するしようのない連中と,同化する弱者と,何を欲するのか自分でもさっぱりわからずにノコノコついて行く大衆で構成されているからである」
ゲーテ「いかなる国家も,軍備をととのえて防衛を予定するような状況をいつまでもつづけることはできない」
ゲーテ「新聞においては,おおやけのことはすべて不自然であり,他は月並みである」
ゲーテ「検閲と言論の自由とは,絶えず争いを繰り返すであろう」
ゲーテ「言論の自由を叫ぶ者は,それを濫用しようとする者にほかならない」
ゲーテ「人がリベラルな理念などと言っているのを聞くたびに,わたしは,彼らが空虚な言葉の響きに釣られて喜んでいるのを不思議に思う。理念はリベラルであってはならないのだ。理念は,生産的であるという神的な使命を果たすために,力強い,すぐれた,それ自体完成したものでなければならない。概念もなおそれ以上に,リベラルであってはならない。これはまったく別の使命をもっているのだから」
ゲーテ「しかし,リベラルであることをどこに求めなければならないかと言うと,それは人びとの信念のなかにである。そして信念とは,血のかよった心情である」
ゲーテ「真にリベラルであるということは,他の価値を認めることである」
ゲーテ「いかなる国民も,自分自身に判断がくだせるようになるまでは,なんらかの判断をもつことはできない。しかしそこまで進歩するのはずいぶん遅くなってからである」
ゲーテ「昔のドイツ人は,だれにも服従しないでよいことを何よりの喜びとした」
ゲーテ「近ごろのドイツ人は,思想と言論との自由を,おおやけの場で互いに軽蔑し合ってもいいということと解している」
ゲーテ「いわゆる啓蒙主義の欠陥。それは,変えようもない一面的な状況にある人間に,多面性を与えること」
ゲーテ「人はみなだれとでも生活を共にすることは好まないし,だれのためにでも生きるわけにはいかない。そのことがよくわかる人は,友人を大いに評価する術を知って,敵を憎んだり苦しめたりすることはしないだろう。むしろ,自分の敵対者の長所を認めることができるとき以上の利益はなかなか容易には得られないものである。敵の長所が認められれば,決定的な優位に立つことができるのだ」
ゲーテ「年代記を書くのは,現在を重視する人に限られる」
ゲーテ「歴史を書くことは,過去を脱却する一つの方法である」
ゲーテ「当今の誤った行為の一つ一つには,つねに偉大な世界史的事象の数々をのみ対置すべきであろう」
ゲーテ「個人と,直接の経験および間接の伝承との争いが,本来,学問の歴史なのである。なぜなら,大衆のなかで大衆によって行われることは結局,一人の有能な個人に関係してきて,その個人がすべてを収集し,分類し,整理し,統一する任にあたることになるからである。そのさい,彼の同時代人がそういう努力を引き立てるか,それともそれにさからうかどうかは,実際まったくどうでもいい。というのは,引き立てるというのは,現にあるものを増補し普及させるだけのことだからだ。それによって確かに利益は受けても,肝腎なことが促進されるわけではない」
ゲーテ「他人の経験,他人の判断の伝承は,人類が,限定された存在ながらも大きな要求をもっているために,大いに歓迎すべきものである。高尚なことや全般的な措置に関する場合はとくにそうである」
ゲーテ「わたしたちがほとんど知るところのない重要な時代があり,結果をまって初めて重要さがはっきりしてくる状況がある。種子が土のなかで過す時間は,とりわけ植物の一生の一部なのだ」
ゲーテ「人間の行う形成と活動をどういう条件のもとで考えてみるにせよ,両者とも,比例的,非比例的に作用し合う時代と国土,個々の細目と全体によって不安定である。ここに世界史の計算しがたさ,同一基準での測りがたさがある。法則と偶然が互いに噛み合っているのだが,観察する人間はしばしば両者を混同してしまう。これはとくに,党派的な歴史家たちに認められるところである。彼らは,たいていは無意識的にではあるが,けっこう作為的にこの不確かさを自分につごうのいいように利用するのだ」
ゲーテ「観念的な部分のなかには信用があり,現実的な部分のなかには財産,形而下の力等々がある」
ゲーテ「信用は,現実の業績によって生み出された信頼の理念である」
ゲーテ「歴史については,自然について,また,過去のものであれ,現在のものであれ,未来のものであれ,あらゆる深遠なものについてと同じことが言える。真剣に深く分け入れば入るほど,それだけ困難な問題が浮びあがってくる。それを恐れず,大胆に突進する者は,さらに進歩をとげつつ,自分がより高い教養を積んで気楽になるのを感ずる」