夏
温度設定がバグった寒い教室から出た時に感じる、生温い風と真っ直ぐな陽射しを穏やかな気持ちで受け入れて目を瞑る。
帰りの電車の中で地下に潜るまでずっと、この時期にしか見られない雲を、絵に描いたような大きな雲の連なりを眺める。
無機質で忙しない都会の全てを忘れて、空にあるもの、空から降りてくるものだけに、体も意識も任せる。
馬鹿みたいに暑い日差しを無抵抗に甘受するのは、自分がそこから生まれてきたと思うからか、それとも君が太陽だからか。
夏のことは嫌いだけど、これが自分にとって正しいと感じる時があるから、たまにちょっと好き。
別にそんなものはないけど、帰るべき星がある気がして空をずっと見る。何か失くしてしまった大事なものを探すように。
周りを見渡しても誰も空なんか見ない。そんなの見てなんになると言わんばかりに。皆面白いくらいにロボットみたいに同じ方向に歩いていくだけか、手元のちいこい画面を見てるだけ。
私一人だけ、空を見ることを渇望する。私だけ電車のカーテンを全開にし、私だけ窓の外の入道雲を見ていて、誰も私がたまに周りをキョロキョロしてることに気がつかないし、誰とも目は合わない。
建物が電車の窓からの景色を邪魔してくる時の焦りともどかしさは、きっと分かってもらえない。皆がお金をものすごく欲しがるのと同じくらい、空に広がる絵を欲してる。心の中で何度も何度も繰り返し「空を見せて」と叫んでる。
いつも決まって電車の中で空を見る。一日の中で一時的に落ち着く時。そうでなければ、家へと歩く道の途中に、急に思い出して空を見上げる。家に帰ってきて、沈む夕日に染められた西の空に、何故か三日月も一緒にいるのをベランダから眺める。
駅から降りて空を見る時は、私を包む日差しがなくて、一日の終わりかけに対して少し虚しくなる。日差しの代わりに、その日の出来事の一つ一つで色付いた空のキャンバスが「今日が終わる前にこっちを見ろ」と言ってくる。
安心するんだ。空と繋がる時だけ、自分が何者でもなくて、何も気にする必要がない。天にだけ心を丸裸にし、考えることを放棄する。周りは動いていて私だけが止まっていても完全に許される唯一の時。
空を長く見ていられるのは夏だけ。冬の燃えるような一瞬の夕陽もすごく好きだけど、私を大きく包み込む日差しと雲と太陽、広い空は、夏にしかいない。私は夏に、両腕を広げて、目を閉じて、顔を上げて、天と地に挟まれる自分を感じている。
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