変化
広くて周りに何も無い、ただ青だけが広がる海の中に、ポツンと方向も分からずその場に漂っていた心が、やっと島を見つけた感じがした。
停滞前線
今思えば大学1年生の間と2年生の半年ぐらいは、ずっと大丈夫なふりをしていた気がする。ミンギュがいるから大丈夫だと思っていた。(実際ミンギュのおかげで耐えてはいた)
でも2年生の10月あたりから大丈夫じゃないことに気づいた。ミンギュですら崖から落ちそうな私の手をギリキリで掴んでるみたいだった。
夜ひとりになると気持ちが落ち込んだり、急に不安になったりするのを止められなかった。外で泣いてしまったり、夜中に涙が止まらなくて過呼吸になったこともあった。突然世界には誰もいなくて自分だけ置いていかれると思った。毎日自分に大丈夫だって言い聞かせてセルフハグで寝たり、それでも大丈夫でいる必要はないと思ったり。(そうしないと麻痺してしまうから) 駅のホームで電車を待っていて、おばけみたいにふと希死念慮が湧き上がってきた時はびっくりした。こうして文字にして振り返ってみると自分でも「そんな大袈裟な」と思う。
ちゃんとした医師の診察を受けていないから実際のところは分からないけど、去年までの2年間は軽い抑うつ状態みたいな感じだった。
今は、時間が解決してくれたのか、それとも吹っ切れたのか、何が原因かは分からないけど、気持ちが軽くて楽になった。風船が破裂する前に軌道修正できたみたいだ。心の健康も良好な方に向かってると思う。停滞していたものが進み始めた感覚。
心には色んな要素が作用するから、一概に何が原因で心が不健康になったか健康になったか分からないけど、心の状態が良くなったという変化と一緒に私の中で変わったもの(変えたもの)がいくつかある。
SNS
まずSNSから少しずつ離れてみた。ツイッターに9年、インスタに6年もいると、もはや私の一部になってしまってやめるにやめられなかった。と言っても別にやめる気はないけれど。毎日SNSに張り付いて現実がどんよりしてしまうのをいい加減やめたかった。
手始めに10個あったツイッターアカウントを2個に減らしてみた。何日かログアウトしてまたログインしてみたら、うっかり下書きが消えることを忘れていて、私の思想の書留が綺麗さっぱり消えてしまった。流石に減らしすぎて「何事も少しづつやるもんだな」と思った。
次は、本当に毒がそこら中にあるなぁと思うアカウントだけをログアウトしてみた。そしてこんなにもたくさんのアカウントなんて案外いらないものだということに気づいた。そりゃそうだ。そのうちツイートすることがなくなった。以前はあれだけ毎時間毎分TLを追って、何もないのにアカウントを行き来して、何か探し物でもしてたんかいなというくらい。
元々垢分けが細かいので、頑張って今は半分の5個に減らした。全く支障はない。むしろ楽。もっと減らせるんじゃないかとは思うけど、「ゆとり」と思うことにした。他のアカウントは何かあればその都度ログインすればいいし。完全に削除してもいいなと思うアカウントもある。
自分でエリザベスカラーをつけたみたいだなと思った。少し豊かすぎる感受性の割には、自分の中に発生するネガティブイベントに鈍感なせいで、多方面から受け取る情報に逐一反応しては頭も心も過労させていた。勝手に自分を強いと思っていたので、意外と私って守ってあげなきゃいけないんだなと気づいた。多分このSNSデトックスもどきは心の回復に少し繋がっている。
日記
それと、小さなことだけど日記をつけ始めた。ずっと日記をつけたい気持ちだけはあったけど、きっと続かないと思ったのと、字を書くこと自体が嫌いなことがあってなかなか始められなかった。どうせノートを使うなら綺麗に使い切りたいという謎の拘りもあった。
でもそんなことよりもまず「日記を書く」ことを続けてみなきゃ何も見えないと思えてから、綺麗に書き留めることよりも、とりあえず書いて明日に繋げることができた。
ツイートすることがなくなったかわりに、頭の中の独り言をノートに捨てるように書いた。ほぼ手書きのツイートみたいなものかもしれない。日記を書くと、過去の自分と会話するみたいで面白い。
日記は私が生きてる限り私しか見ないものにしようと思っているので、鍵のかかった壁打ちアカウントみたいで心地がいい。見るのは私自身で十分なことに気づけた。なら壁打ちアカウントでいいのでは?となるけれど、問題は小さな光る画面から視線を外して現実に目を向けなければいけないことだったから、壁打ちアカウントでは役不足になる。というのも、ずっとアナログで何かを書くことが苦手だったので、克服の意味も兼ねて日記にチャレンジしたかった。
何をしたかなどの日々の行動記録は小さなノートに細かく書いて、その日思ったこと感じたこと、書いて頭の中を整理させたいことは別の少し大きいノートに書くようにした。日記をつけられるようになってからもう1ヶ月以上経つ。
J型
すごくしょうもないことだけど、今年の目標は「J型になる」と決めていた。
J型になりたいと意気込んでから、本当にJに近づき始めた。ENFP/ENTPでP98%だったのが59%まで下がった。くだらないけど私の中では大きな変化だった。本気で遅刻を防ぐ行動と、計画性を持つことと、ルーティン化することを心掛けるように頑張っている。同じPの人が聞けば「偉い」と言ってもらえそうな気がする。Pのいいところは機転がよくきくことと、臨機応変で柔軟性があることだと思っている。私の場合Pであることに限らず子供の頃からそうだったので、ここでPじゃなくなっても特に問題はない。これこそ「たかがMBTI」というべきところなのか。
私はなれるものならミンギュになりたいので、ENFJ/ENTJの彼に近づけていると思うと、嬉しいというか、自信になるというか、単純な気持ちだけを汲み取ればそんな気持ちになる。
依存先
ミンギュとの距離も少し変わった気がする。というよりも、私の心の寄せ方が変わったという方が近いかもしれない。決してミンギュに対する気持ちが変わったとかそういうことではない。先日、京本大我担当の親友と会った時に「全然ミンギュのこと好きじゃん。てっきり冷めたのかと思った。相変わらず騒がしいね。」と言われた。まあ、そういうことだよ。
言葉にするなら、「そういえば、ミンギュのこと、本当に愛してる。」みたいな感じだ。
今まで色んな感情をミンギュに対して抱いたけど、最後まで一貫して残る感情は「ミンギュになりたい」な気がする。でもアイドルになったりモデルの仕事をしたりセレブリティになったりしたいというわけじゃないから、そこは「ミンギュみたいな人になりたい」かもしれない。丸っきりミンギュになりたいわけじゃない。(でもあの顔になりたいとはよく思う…)
ミンギュは私を幸せにしてくれる。でもその幸せにはちゃんとミンギュ本人もいる。彼の「幸せにしてあげる」は「一緒に幸せになろう」でもあるし、「それぞれの幸せを願っている」でもある。だから私は安心して「自分の幸せ」を探しに行ける。ミンギュは私の心の立脚地だけど、何もかもミンギュを拠点にしなくてもいいんだと分かった。ミンギュは自分の生活に集中していて、私も私の生活に集中している。でも、いつだって会いたいし大好き。顔を見るたびに「ああ、好きだなぁ」と思い出す。以前のToxicな心の寄せ方から幾分かHealthyになった気がする。
と、いいながらも、こうして自分で「変わったな」と思うのも、すべては今年の目標を「ミンギュになる」と決めたからであって、結局「君が私の全部だよ~」と言いたいんです。いつもと一緒だね。ミンギュ、あんたのことが大好きだー。おかげで心がヘルシーになったよ。
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