鋭さと穏やかさ
事業用訓練課程の仲間が無事、試験に合格できた。綺麗な涙と形容するのが相応しいだろう。挫折から這い上がり身を結んだ瞬間を目の当たりにできた。今この瞬間に起きていることは、必ず何かの意味があり、それは必ず未来に繋がっているのだ。だから、僕は僕に関わる全ての人に善意を配る。
金は、なんぼか配ったらなくなる。
善意は、なんぼ配ってもなくならない。
だったら、配れば良い。
さて、僕の顔付きについて言及する。事業用課程の時は、目に鋭さが宿った。獲物を捉えるような目つき。本質を見抜こうとする目つきだ。
一方、計器課程の今は目に穏やかさが宿った。人に対しても柔らかく接することができるようになった。あぁ、僕も成長しているのだと実感した。
鋭さと穏やかさ。一見相反する目を宿している人を僕は見て来た。そう、教官方である。彼らが経験して来たほどの荒波を僕はまだ経験していないかもしれない。ただ、そうやってお手本となる方がいて、僕もそうなろうと決めたのだ。
何故だか分からない。ただ、人を動かす目をしている人は、鋭さと穏やかさを内包しているような気がする。
今日、ちょうどスタバで五輪書を読んでいたら、目つき、顔つきについての理を宮本武蔵が説いていた。同じようなことに触れていた。なるほどね、僕にはスッと入ってきた。
そう振舞えば、そうなるのだ。兵法も目つきもパイロットの在り方も鍛錬により体得できるものなのだ。やって行こう。