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体裁ってどこまで必要?

 マイノリティだマジョリティだと騒ぐこの世の中において、将来、今付き合っている人と長きを共にするために何が必要かを考えることがある。
 付き合っている人が異性であれば、全てうまく、スムーズに行く世の中が憎いといえば憎い。羨ましいといえば羨ましい。気楽そうだな、イージーだな、なんて皮肉すら覚える。
 ここまで言えば、今お付き合いしている人の性別は言わずもがなわかると思う。だからあえて明記はしない。する必要もないと思うし。もし呼ぶことがあれば、ここではテテと呼ぼう。
 性別に囚われて好きになったわけじゃなく、うまく説明は出来ないけど、テテの人生隣で見ていたいな、隣で笑ったり泣いたり、怒ったり、いろんな表情見たいし見せたいし、一緒に同じ景色見てみたいな、と思った。それだけのことで、きっとこれはこれ以上ない贅沢で我儘な想いだと思う。

 この我儘を達成するためには、どうしたらいいのか、今日初めて2人で話した。
 一致した意見は、モノがついていることは全然大事じゃないけど体裁は大事、でも体裁って難しい。
 立場的にも感情的にも、たまについてたらいいのになと思うことはあるけども、いつでもそれが必要かと言われれば要らないし、ついていることでテテとの関係が壊れることもあるだろうと思ってた。テテも同じように思ってた。
 じゃあ、モノ以外に大事な体裁って何なのか。戸籍上の話?他人からどう見られるか外見的な話?もうここまで来たらよくわからない。現に、見た目も戸籍も女性のままの人もいるだろうし。自分的にも性別はどうでもいい、テテと居られるかどうかの方が大事。

 例えば高いブランド品は高価すぎて買えないから、安価な模造品に手を出して見栄を張るのか。どちらが他人から見て、良いのか悪いのか(言葉が合っているのかわからないけど)
 戸籍や身体を変えることは、果たして。と思ってしまった。きっと自分が性別に囚われているのであれば、例え話のどちらかによって見栄を張るだろう。
 身体と心の性別に違和感は感じてはない。こうだったら良いのにな、ということはあるけども。好きになった人がテテだった。それだけ。
 好きな人との将来を考えただけなのに、こんなにも悩まなきゃいけない世の中なのか…、果たして気にしすぎなのか、もはやわからない。

 日々、遠距離だけど、テテと沢山言葉を交わして、好きを伝えられたら良いな、テテのこと少しでも理解できたらいいな、毎日可愛いし好きだな、ずっと隣にいられたら良いな、と思って過ごす。
 
 相変わらず、まとまりのない文章だ。
 電話先のテテは寝息を立てている。
 
2023.05.20  午前0時59分。

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