第2回:苦しみはなぜ生まれてくるのか
“ストレスを手放し、心を解放しよう!”のシリーズの2回目です。
ストレスを手放すためには、一つ一つ「縛り目」を見つけ解いていくことができればいいわけです。
そのためにも、先ずは自分の心の中でどのようにして“苦しみ”が生まれてくるのか。これをわかりやすくお話できればと思います。
1.心の中の汚濁
第1回でお話しましたように、私はストレスだらけでどうしようもない時期がありました。
仕事や会社、家庭はうまくいかなくなり、どん底状態になったときなどは、常に不安にさいなまれ、自分を責めて、恐怖に追いかけ回されていました。
このような状態のときは、コップに泥水がいっぱい入った状態のようなものです。それも、コップの中の黒く濁った水が激しく渦を巻いているような感じです。
これを鎮めるためには、コップを静かに一か所にそっと置いて、しばらく様子を見るしかないですよね。時間はかかりますが、しばらく置いておくと、泥は下に沈み、上の水は透き通ってきます。
しかし、コップに刺激を与えたり、揺らしたりすると、泥自体がなくなったわけではありませんから、下の沈んでいた泥と上澄みとが混ざり合い、すぐに元の濁った水に戻ってしまいます。
これを澄んだ水にするには、コップの中の泥をこれ以上増やさないようにしながら、少しずつでも泥を取り除いていくしかないですよね。
私たちの心の中は、このコップの泥水と同じように、心の汚濁で一杯になっています。それも、日々の出来事を通じて、新しい汚濁を作り続けています。
私たちは、透明で濁りのない状態でいたいのに、現実はそうさせてくれません。何かを失ったり、最愛の人と別れたり、病気にかかったり、不幸な体験をしたり、不愉快な思いを感じたり、失敗したり、悲しいことや不幸なことが起こったり、、、、、
理想どおりにいかないことや、思い通りにならないことがあると、私たちに『苦しみ(苦悩)』をもたらし、心に汚濁(不純性)が生じます。
この苦しみ(苦悩)が心に歪みを生み、ストレスが発生し、心やからだが反応します。
目をそらして現実逃避したり、自分をだまそうとしたりしても、一時的・表面的には楽になるように感じられますが、自分の心にウソはつけませんし、後ろから必ず追ってきます。
結局、心の中にあるさまざまな汚濁を掘り起こし、その汚濁を少しずつ取り除き、心を浄化することによってしか、苦悩から解放されません。
2.苦悩の原因
私が好きなものの一つに、生クリーム系のケーキがあります。
特に「ショートケーキ」は大好きで、若いころはホールごと一人で食べてしまったことがよくあるくらい好きです。
特に、美味しかったケーキ屋さんの前を通るだけで、写真や看板を見るだけで食べたくなりますし、その時の美味しかった満足感がよみがえってきます。何度も何度も美味しかったと思うと、私の大好物になり、他のケーキを食べても美味しいとは感じますが、なにか満足しない部分が残ります。
また、以前何度か嫌のことを言われたり、嫌な態度を取ってきた嫌いな人がいます。その人を見かけるだけでも、声を聞くだけでも、近くに寄るだけでも、その嫌なときを思い出して、嫌な気分になり、避けたくなります。
ふと思い出しては、“あいつは嫌いだ”と考えたりしてしまいます。
私たちはこのように普段から、“ これは好き or これは嫌い”、“これは心地いい(快) or これは心地悪い(不快) ”、“どちらでもない”とほとんど意識せず感じるままに決めていませんか?
そして、何度も好きと感じると、“大好き”になって、もっともっとと渇望します。逆に、何度も嫌いと感じると“大嫌い”になって、憎悪し嫌悪になります。
私たちは日々の中で、好き・嫌いという思いを繰り返し、それに執着し、渇望や嫌悪を生み出しています。この『執着』こそが、苦悩の原因です。
執着が大きければ大きいほど、苦悩も大きくなります。
この執着が、心に汚濁を生み出していきます。
3.苦悩を生み出すプロセス
(1)身体の働き
五感と心の六つの感覚器官が何かに接触することで、信号を出します。
・視覚:目(映るものに接触)
・聴覚:耳(音に接触)
・触覚:皮膚(触れるものに接触)
・味覚:舌(味に接触)
・嗅覚:鼻(匂いに接触)
・心:思考、感情、意思、想像、記憶に接触
(2)心の働き
◇第一の心のプロセス:「意識」(ヴィンニャーナ viññāṇa)
6つの感覚器官が接触し、何かが起こったということだけを察知し、その信号をとらえます。意識はアンテナのようなものです。
例えば、テレビに夢中になり、他から何か音や音楽が流れてきても、耳に入らないことがありますよね。テレビの音に意識が向いているからです。
意識が働かなければ、感覚器官はないものと同然です。
意識は、内容を識別したり、判断したりせずに、ただ生データを受信するのみです。
◇第二の心のプロセス:「認識」(サンニャー saññā)
意識が捉えた生データを読み取り、分類し、認識します。過去の記憶や経験から、快・不快・どちらでもないの判断をします。
例えば、テレビから音楽が流れてきたとき、好きだった子とのドライブで流していた曲だと思い出し、好きだった曲(快)と判断します。
◇第三の心のプロセス:「感覚」(ヴェーダナー vedanā)
何かが感覚器官に接触し意識された瞬間に、身体のどこかに感覚(シグナル)が現れます。
そして、認識されて判断されたとき、それに応じて快・不快の感覚も生まれてきます。
“好きだった曲だ”と認識されると、身体は気持ちの良い感覚を感じます。
意識・認識・感覚までのプロセスは、入力情報を処理だけで、受動的な活動であり、心が気がつくことはありません。
◇第四の心のプロセス:「反応」(サンカーラ saṅkhāra)
感覚が身体に現れ、心が快・不快の感覚を感じとります。
心の条件づけを行います。
テレビの音に意識が向く ⇒ 好きだった曲と認識する ⇒ 身体にきもちいい感覚が生じる ⇒ 心が気持ちもいいと感じる。
この4つの心のはたらきは、感覚器官がなんらかに接触した瞬間、電光石火のごとく、一瞬で4つのプロセスが走ります。次の瞬間、また接触が起こり、同じプロセスが走り、これを次々に繰り返しています。
このスピードがあまりに早く、無意識下(潜在意識)で行われているため、心は気がつきません。
心が反応を始めると、それまで受動的だったものが能動的になり、好き(快)・嫌い(不快)から、渇望や嫌悪という思いが生じてきます。
反応が繰り返えされて強化されたとき、初めて自分の意識(表面意識)に現れ、気がつくことができるようになります。
そうなると大変です。
好きだった子との思い出が蘇り、それによっていろいろな反応が生まれ、次々に感情が湧き出してきます。4つのプロセスのループが始まり、心の中での会話が始まります。そして、どんどん感情が高まり、“やっぱりあの子しかいない”、“やっぱり会いたい”、“あいつが悪いんだ”など、渇望や嫌悪へと膨らんでいきます。
そこに、『執着』が生まれ、強化されていきます。心を縛る『縛り目』ができて、どんどん強固になっていきます。
そして、大きな渇望や大きな嫌悪に成長していき、苦しみが生まれます。
このようなループ、心の中でよくやっていませんか。
音楽だったり、絵や写真だったり、香りだったり、言葉だったり、ふとしたことがキッカケで、この4つの心の働きがぐるぐると動き出します。毎日やっています。どんどん累積していき、反応が強くなり、欲求や不満が強くなっていきます。より一層苦しむようになります。
本当の原因は、心の反応だったんです。
この心の働き、特に反応を観る(気づく)ことができるかどうかが、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスを深く理解するためのキーポイントになると思います。
そして、知ることだけではなく、瞑想を通じて智慧として実感できるかどうかです。
あらゆる苦は、反応より生じる。
反応が止滅すれば、苦も止滅する。
(ブッダ)
次回はどうやったら苦悩をなくすことができるのかについて、お話したいと思います。
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