#7 マインドフルネスとは何か? そのベースとなっているもの
stand.fm『瞑想Cafe』の7回目の放送です。
今回は、「マインドフルネス」のブームの始まりとその広がり、サマタ瞑想との違いなどについて話をしていきたいと思います。
『瞑想Cafe』では、瞑想に関すること、マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想、「ブッダの教え」など、瞑想に関連するさまざまなことを、その日の気分で、気軽に、誰でも分かるようにお話していきます。
この記事では第7回の放送内容を要約して、お伝えしたいと思います。
1.マインドフルネスの始まりと広がり
これについては、第6回でもお話していますので、要点のみです。
マインドフルネス(mindfulness)の語源は、パーリ語のsati(サティ)の英語訳で、「気づき」という意味です。
「マインドフルネス瞑想」は「気づきの瞑想」ともいいます。
お釈迦様が悟りを開いた南伝上座部仏教の「ヴィパッサナー瞑想」という心とからだを観察・洞察する瞑想がベースになっています。
マインドフルネスのブームの始まりは、1970年代にジョン・カバット・ジン博士が「マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)」開発したことから始まります。
2005年からGoogleがマインドフルネスを社内で導入します。
ベトナム人の禅僧ティク・ナット・ハン師やチベット仏教の僧侶などを招いて、社内で勉強会などを開催しています。
そして、2007年にサーチ・インサイド・ユアセルフ(SIY)というGoogle独自の研修プログラムを開発しました。
これを機に、企業や一般人にマインドフルネス広がり、ブームになりました。
2.マインドフルネスが広がる時代の時代背景
1970年代にジョン・カバットジン博士が「マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)」開発した時代は、どういう時代だったのでしょうか。
歴史的背景を知ると、マインドフルネスが広がってきた理由が理解できると思います。
1970年代のアメリアは、「ニューエイジ」という精神世界・スピリチュアルブームが起こった時代です。
日本では、少し遅れて1990年代にニューエイジブームになってきます。
神智学、神秘主義、占星術、チャネリングなど、神秘的なもの、スピリチュアルなものが流行した時代です。
私が最初に瞑想を習った「TM瞑想法(超越瞑想法)」も、ビートルズやローリング・ストーンズのメンバーなどの著名人が超越瞑想を支持して話題になったりした時代です。
その後、1990年代になると「現代のヨガ」が誕生します。
バラモン・ヒンドゥー教の古代ヨガである「伝統的なハタ・ヨガ」の流れとは別に、宗教色を排した身体的なエクササイズとして、現代風にアレンジされた、今行われている一般的なヨガが広がっていきます。
身体的ポーズ(アーサナ)を中心にした、フィットネスのような現代風のヨガになります。
1970年代のアメリカは、東南アジアから多くの移民した時代です。
ミャンマー、スリランカ、タイなど、東南アジアで伝えられてきた上座部仏教がそれとともに広がっていきます。
アメリカで受け入れやすいように、サティの英語訳である「マインドフルネス」という用語を用いて、広げていったようです。
この時代、マインドフルネスを広げるために活躍した方で有名なのは、
スリランカ上座部仏教僧ニャナポニカ・テラ師
ベトナム人の禅僧ティク・ナット・ハン師
この2人の名前が一番多く挙がっています。
そのような僧侶の方々が、英語での上座部仏教やマインドフルネス(気づきの瞑想)の書籍を多く出版され、多くのアメリカ人が実践していきます。
そして、ミャンマー、スリランカ、タイなどに修行に行くアメリカ人も多くなり、その方々が帰国した後に、各地にヴィパッサナー瞑想の瞑想センターなどを設立していきます。
この流れの中に、ジョン・カバット・ジン博士もいたんですね。
ジョン・カバット・ジン博士は、マインドフルネスを学び、ヴィパッサナー瞑想や禅、ヨガなどを修行してきた方です。
このような要素を取り入れ、宗教的要素を完全に排除し、治療目的に現代風にアレンジしたものが、「マインドフルネス・ストレス低減法(MBSR)」になります。
3.私がヴィパッサナー瞑想を知った気かけ
20年ほど前になりますが、代替医療などの学会に関わっていたときに、海外の有名な先生方が来日され、学会やセミナーで講演されていました。
その講演の中で、何人もの先生方が、ブッダの教えやヴィパッサナー瞑想、マインドフルネスなどの話をされていたんです。
私は、それまでヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスなどの話を聞いたことがなく、すごい新鮮でした。
私はそれまで、マントラを使った瞑想やアーユルヴェーダなどを勉強し、それとともに、ヴェーダやチベット仏教、日本の仏教などへの多少の知識がありました。
しかし、上座部仏教のブッダの教えやヴィパッサナー瞑想のことは、まったく知らなかったですね。
講演後にある先生とお話できる機会があったので、「なぜそんなに仏教、特にお釈迦様の教えに詳しいのですか?」と質問してみたことがあります。
その先生がビックリしていまして、「日本は仏教国なので、皆さん詳しいのでは?」とすごく不思議がられたことを記憶しています。
その当時、日本にはヴィパッサナー瞑想や上座部仏教の情報は本当に少なかったんです。大きな本屋さんに行っても、関連書籍はほとんど置いていませんでした。
その時に、ヴィパッサナー瞑想に興味を持ち、私もやってみたいと思ったのがヴィパッサナー瞑想を知るキッカケになりました。
4.南伝上座部仏教とは
南伝仏教、上座部仏教は、以前は小乗仏教ともいわれていました。
ミャンマー、スリランカ、タイなど東南アジアで伝えられてきたもので、お釈迦様の教えである初期仏教のパーリ語の経典が残っています。
上座部仏教は、初期仏教・お釈迦様の教えを純粋に守り、受け継いできました。
ヴィパッサナー瞑想は、上座部仏教の中で純粋に実践され、受け継がれてきたものです。
日本の仏教は、大乗仏教であり、北伝仏教ともいわれます。
ブッダ入滅後、500年後ぐらいして成立したといわれています。
インド、ガンダーラ地方、シルクロード、中国、日本と伝われってきたもの
パーリ語、サンスクリット語、中国語と経典が訳され、編纂され、たくさんの宗派が生まれてきました。
北伝仏教には、お釈迦様の初期仏教の経典がすべて伝わっていたわけではなかったのです。
ビックリする事実ですが、パーリ語の経典が日本に伝わったのは、明治以降になってからでした。
そのため、初期仏教の教えやヴィパッサナー瞑想のノウハウは、日本の仏教には伝わっていなかったんですね。
5.上座部仏教におけるお釈迦様の教え
上座部仏教でのお釈迦様とは何なのでしょうか。
上座部仏教では、お釈迦様であるブッダは、あくまでの一人のヒトとしての扱いになります。
お釈迦様は「ドゥッカ(苦)」をなくすためにはどうしたらいいか。
その方法を見つけて、こうしたらいいよと教えてくれた方なんです。
「ドゥッカ(苦)」をなくすための真理を探究し、真理を発見した方です。
そのための道と解決方法、教えを示し、実践しなさい、日々精進しなさい、体験を通じて自分で悟りないさいと指導してくれた方です。
「ドゥッカ(苦)」をなくすためにのメソッド、その実践方法がヴィパッサナー瞑想になります。
そのお釈迦様の教えは、とてもシンプルだと思います。
お釈迦様は苦をなくすために、
「苦」とは何なのか。
「苦」が生まれる原因とは何なのか。
どうすれば「苦」を滅することができるのか。
そのためには、どのような道を進めばいいのか。
お釈迦様は、これを突き詰めていったのです。
自分のこころとからだの内側を観察し、探求し、分解し、バラバラにして、奥深い微細なレベルまで観察・探求していきます。
そして、この世にある不変的な真理を悟り、苦を消滅させる方法とそれに至るための道、具体的な実践方法を教えてくれたんです。
その実践方法がヴィパッサナー瞑想になります。
その苦を滅するためには、大きく3つの段階があります。
シーラ(道徳の訓練)
苦を生み出さないための日々の言動に関する教えです。
サマーディ(精神集中の訓練)
苦を滅するための「サティ・気づき」と「精神集中」の育むための教えです。
アーナーパーナ・サティ(呼吸による気づき)の実践を行います。
パンニャ-(智慧の訓練)
苦を滅するための実践段階で、智慧を育むための教えです。
ヴィパッサナー瞑想の実践を行います。
最終的に、真理を悟り、すべての苦を消滅させ、ニッパーナ(涅槃)に至る教えです。
6.アーナパーナ・サティ(呼吸による気づき)
マインドフルネス瞑想は、ヴィパッサナー瞑想をベースにはしているのですが、特にサマーディー(精神集中の訓練)であるアーナーパーナ・サティの訓練が中心になっているもの、そう私は解釈しています。
アーナパーナ・サティ(呼吸による気づき)とは、
自然な呼吸に意識を置いて、今この瞬間「いま、ここ」に気づいていてことであり、その瞑想法です。
アーナーパーナ・サティでの呼吸瞑想のやり方は次のとおりです。
その呼吸に意識を置き、鼻孔から入っていく息、出ていく息、これに意識を向け続けて、ただ観察する。
呼吸をコントロールするのではなく、自然な呼吸に意識を置く。
何の力も加えずに、コントロールせずに、身体が欲するままに、ただ息を吸ったり、吐いたり、自然に呼吸する。
息が出たり、息が入ってくる感覚を、ただじっと感じるだけ。
呼吸に気づくこと、常に呼吸していることに気づいていること。
吸っている瞬間瞬間、吸って吐き始めるまでの「間」、その瞬間にも気づく。
吐いている瞬間瞬間、息を完全に吐き終わった後の吸い始めるまでの「間」、その瞬間にも気づく。
呼吸に意識を置き、呼吸全体を観察し、感覚に気づくこと。
アーナーパーナ・サティでは、次のことを育みます。
・心を鎮め、心の平静さを育むこと
心のベクトルがあっちこっち行くのを鎮める
・精神を集中(samadhi)させること
今ここにベクトルを向け続ける
・気づき(sati/maindfulness)を育むこと
この瞬間の体の感覚、心の動きに気づく
⇒ 自分の心をコントロールできるようになること
お釈迦さまは、次のように言っています。
息を吸いながら、吸っていることをしる
息を吐きながら、吐いていることをしる
呼吸をすることと、その呼吸を深く味わうことを、忘れないこと
これが、アーナパーナサティにおける呼吸の瞑想です。
マインドフルネスの気づきとは、
「今ここ」にフォーカスし、その瞬間の自分のからだ、心、心の内側を観察する。
今この瞬間、今の瞬間の感覚や心の内側、無意識に反応している心の働きに気づくこと。
になります。
※ アーナーパーナ・サティに関して詳しく説明をしている記事もありますので、よろしければ参考にしてください。