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山下達郎の「販売戦術」とは?~失われたトータルアルバムの思想

 山下達郎が1982年に発表したアルバム『FOR YOU』がアナログレコードとカセットテープで再発売され、ロングセラーを続けている。アナログ盤はすでに多くの店舗で売り切れて、在庫がない。転売屋による高額のオークション出品を問題視され、ついに追加プレスが決定するほどの人気ぶりだ。
 
 このアルバムには、シングル曲が収録されていない。最もポップで大衆受けしそうな「LOVELAND, ISLAND」は、当時、シングルカットが企画されたもののされることはなかった。2002年にテレビドラマの主題歌として起用された際に、「YOUR EYES」とのカップリングで発売されたことはあるが、あくまでも時代を超えた例外だ。
 このことについて、山下達郎自身は2002年の再発CDのライナーノーツで以下のように述べている。
 
 CMが好評で、シングル化の要望もありましたが、この時代は意図的にシングル・カットをしないことでアルバムのセールスを伸ばすという販売戦術が流行だったことなどから、結局シングルにはなりませんでした。
 
 疑問がわく。果たして本当だろうか。
 この時代、シングル曲を収録しないアルバムはどのくらい多かったのだろう。そしてそれは本当に「販売戦術」だったのか。
 
 
 
 そこで、このアルバムが発売される直前、1980年と1981年の年間売り上げ50位以内に入っているアルバムを調べてみた。ここにリストアップしたり割合を算出したりといったことは(面倒なので)行わない。
 代わりに、分かったことを二つ挙げる。
 一つ目は、やはりシングル曲を収録した作品が圧倒的に多いということ。それはそうだろう。聴衆は、テレビでヒット曲を聴き、シングル盤またはアルバムを買う。そのとき、アルバムにヒット曲が入っていなかったら残念に思うはずだ。寺尾聰『Reflections』を買えば、「ルビーの指環」が聴ける。ザ・ヴィーナス『ラブ・ポーション No.1』を買えば「キッスは目にして」が聴ける。客のニーズに合わせてアルバムを作るということだ。
 分かったことの二つ目は、アルバムにシングル曲を収録しないという「戦略」は、ある特定のミュージシャン、シンガーに偏っているということだ。
 
 まず、松山千春がこの時期にリリースし年間チャートにランクインさせたオリジナルアルバムをみてみよう。(ベストアルバムや企画アルバムは除外。以下同じ。)
 
『浪漫』(1980年5月発売)
『木枯しに抱かれて』(1980年11月発売)
『時代をこえて』(1981年5月発売)
 
 松山千春は、この間、「恋」「人生の空から」「長い夜」「ふるさと」といったヒットシングルを生み出しているが、その一切がアルバムに収録されていない。シングル曲は、定期的に発売しているベストアルバムのシリーズ『起承転結』にまとめて収録している。
 シングル、アルバムに加え、ベストアルバムも2~3年おきのローテーションでリリースする。まさに「販売戦略」である。
 
 続いて、さだまさしである。
 
『印象派』(1980年10月発売)
『うつろひ』(1981年6月発売)
 
 この時代のさだまさしもヒット曲が多い。「道化師のソネット」「防人の詩」「驛舎(えき)」「生生流転」のいずれもオリジナルアルバムに収録されていない。
 その代わり、1981年11月に発売されたベストアルバム『昨日達…』に4曲とも収録されている。まさに松山千春と同じ「戦略」である。ただし、さだまさしのベストアルバムはシリーズ化されてはいない。
 
 1980年にデビューしたロックンロールバンド、T.C.R.横浜銀蝿R.S.は、アルバムにシングル曲を入れないという方針を公言していたらしい。
 
『ぶっちぎり』(1980年9月発売)
『ぶっちぎりII』(1981年1月発売)
『仏恥義理蹉蝿怒』(1981年7月発売)
 
 『II』に収録されていた作品を後に再録音してシングル発売したという例はあるが、基本的にはシングルとアルバムの棲み分けが行われていた。しかも、松山千春やさだまさしと違い、シングル曲をまとめて収録したベストアルバムを発売するという配慮もなかった。
 
 次に、中島みゆきと松任谷由実の例をみてみよう。まず、中島みゆきである。
 
『おかえりなさい』(1979年11月)
『生きていてもいいですか』(1980年4月)
『臨月』(1981年3月)
 
 1979年暮れに発売され、1980年の年間チャートにランクインした『おかえりなさい』はセルフカバーアルバムのため、シングル曲は収録されていない。
 オリジナルアルバムの場合は、「戦略」が半々である。『生きていてもいいですか』はシングル未収録。『臨月』は「ひとり上手」と「明日天気になれ」を収録している。
 この時代前後の中島みゆきのシングル、アルバムを俯瞰しても、「戦略」が適用されている場合とそうでない場合が混在している。
 
 松任谷由実も同様で、シングル曲が収録されている場合とそうでない場合が混在している。
 
『悲しいほどお天気』(1979年12月)
『時のないホテル』(1980年6月)
『SURF&SNOW』(1980年12月)
『昨晩お会いしましょう』(1981年11月)
 
 このうち、『昨晩お会いしましょう』のみ、シングル「守ってあげたい」「夕闇をひとり」が収録されている。
 この時代前後のアルバムも、両方の「戦略」が混在しているという点で、中島みゆきと共通している。
 
 
 
 山下達郎が言うように、「シングル・カットをしないことでアルバムのセールスを伸ばすという販売戦術」は、1980年代初頭に確かに存在していた。しかし、「流行」していたとは、必ずしもいえない。一部のミュージシャンの、一部のスタッフによる一つの方法ではあっただろうが、それによって売り上げが伸びたのかどうかまでは、もはや検証の余地はない。
 ただ、その「戦略」を行うことによって、シングルヒットにとらわれない、アルバムをトータルな作品としてとらえ、制作しようとする思想が担保できたという見方はできるかもしれない。
 山下達郎は、以後、この「戦略」は行っていない。それどころか、2000年以降は、シングル・リリースを基本としながら、曲がたまったらアルバムにまとめるというスタイルに移行している。1980年代とは真逆のスタイルだ。そして、そのスタイルは、山下達郎に限らず、多くのミュージシャン、シンガーにとってスタンダードなリリース形態になってしまった。
 かつて、CDが普及することによってA面、B面の概念が失われていった。そして現在は、先行配信曲の「寄せ集め」の時代が到来している。アルバムを一つの作品としてとらえ、トータルに制作するという思想は、今や過去のものとなってしまった。

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