20190120空

肯定と否定のモーター。

そうだとは申しあげましても、、、

ってゆうのは前回noteで申しました
「じぶんのことがどうにもダメに思えてきてしまって、
だれもじぶんの味方がいない。。。
って感じてしまったときには、
じぶんが、じぶんの味方でありたい。」のことなのですが。

とは言ってみても、
「じぶんのダメさ」みたいな部分は、
そのままにせず、ちゃんと見つめたい。

ちゃんと見つめながら、
できるものならば、改善できたい。

そのためには、やっぱり、
「批判」というものもおそらく必要で。

でも、「批判」ってば、他人から言われるのは、
イヤだとは思わないにしろ、
だけれども、ちょっとつらくなったり、
なんだか怒れてきたりもしたり。
ですから、たぶん、言う側のほうも、
相手にそう思わせるぐらいなら
面と向かっての「批判」はしないほうがよい。とも思ったりして。

つまり、他人から直接言われる「批判」ってぇのは、
ほとんどありえないんじゃあないか。
ってのも感じる。

ともすれば、
もう、他人から言われないんだとすれば、
じぶんからじぶんへ「批判」するしか方法はなくって。

そういうような、
じぶんへ「批判」できるようでありたいし。
そのじぶんからの「批判」を聞けるようでありたい。

じぶんへの「肯定」もできるし。

じぶんへの「否定」もできたい。

なんだか、それはたとえば、
「S極」と「N極」に囲まれたコイルが回転するモーターのように、
「肯定」と「否定」に囲まれることによって
じぶんのコイルをぐるぐると回転させて、
そのモーターでじぶんを動かせたい!

という、そのためにはさ、
「肯定」も「否定」もどちらともが大切だわ。
って思うんだよねー。

平成31年1月20日