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音響と怖い風景と自分らしく楽しむこと。
さくじつのブログでは、後藤正文さん×藤原辰史さん共著
『青い星、此処で僕らは何をしようか』を読みながら、
とくに、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの
後藤さんがおっしゃる「音楽」のことで、
読めて、よかったなあ! と感じた箇所を
引用含めて申しあげました。
そしてさらに、音楽に関する事柄で申しますと、
後藤さんと藤原さんによる往復書簡のページにて、
藤原さんが紹介される、ナチ時代に封切りされた
レニ・リーフェンシュタール監督の映画
『意志の勝利』(1935年)について、お二人が
感想を書かれていた箇所(書籍138頁〜)なのですが。
この映画は、1934年9月のナチ党の党大会の
ドキュメンタリー作品で、歴史学者の藤原さんが
大学の講義でもよく取り上げられるそうでして。
そして、藤原さんおっしゃるには、
映画の冒頭、ナチス・ドイツの第二の国家といわれる
「ホルスト・ベッセルの歌」が流れながら、
雲の上の飛行機からニュルンベルクの街を見渡す
ヒトラーの目線より始まる、つまり、
ヒトラーは、飛行機、民衆ラジオ、自家用車、
戦車、戦闘機、ミサイル兵器にいたるまでの
科学技術の力を最大限に利用していた。
また、藤原さんがハーメルンの文書館で
ナチスによる野外の祭典「収穫感謝祭」の史料を漁ると、
スピーカーなどを取り付けるための電気工事や器具等の
請求書が次々に出てきた、つまり、
音響技術がナチスにとって重要だった。。。
なんといっても、音響がナチスの集会にとって重要でした。巨大なスピーカーで多くの人々に声を伝える。これは、まさに後藤さんたち音楽の担い手が、ライブで欠かすことができない科学技術ですよね。ラジオだけではありません。音を増幅させる技術をナチスは存分に用いたわけです。収穫感謝祭は多いときで100万人を集めましたから、相当高い技術を持っていたと想像します。失敗するわけにはいきませんから。
藤原さんのこのことばを受けて後藤さんは、たとえば
野外ロックフェスでは、日が暮れてからのほうが
観客たちの集中力が高まる、つまりは、明るいうちは
観客の意識も思い思いに散らばっているけれども、
日暮れとともに、明るい場所、つまり
ステージ上に意識を傾けるようになる。
だからこそ、フェスへと出演する側のミュージシャンたちは
そうした夜の時間帯のステージに上がることを目指してゆく。
それは、いわば、暗くなってからが
スターのためのステージなのだから。
ヒトラーもまた、そのことをよくわかっていて
街頭で暗くなるまで演説を続けて、クライマックスに
夜の時間を選んだのは意図的だったのではないか、
と、後藤さんはおっしゃいます。(148頁〜)
また、さらに、
ロックフェスやコンサートについて、
後藤さんが付け加えておっしゃるのは、とくに
日本の音楽イベントから見える風景のことでして。。。
大きな会場では、観客たちが音楽のリズムに合わせて片手を振り続ける様子が印象的です。規律正しく、マスゲームのように波打つ人々の動きが、音のスピードを可視化するように後方に伝わっていきます。その場の支配者のような心持ちで眺めれば壮観なのでしょうけれど、僕はいつも怖い風景だなと思ってしまいます。(‥‥)随分前に「そういうのやめない? 海外でもライブをしてきたけれど、こういう風景は日本だけだよ」と呼びかけたことがあるのですが、「楽しんでいるのだから、否定するな」という意見が寄せられました。確かに、観客の楽しみ方をステージの側から強制するのは良くなかったと反省しました。それでも、自分の居心地の悪さについてはアプローチせねばと思ったんですね。それで「誰の真似もしなくていいから、自分らしく楽しんでください」と言い方を変えました。すると、手を上げない人が増えたんです。「微動だにしなくても、楽しんでいないだなんて思わない。楽しみ方は人それぞれだから」と伝えると、本当に思い思いの楽しみ方に変化したんです。もちろん、自分らしく手を振り続ける人もいました。
後藤さんの言われている、コンサートにおいて
お客さんたちが一様になりながら、
手を振る波打つような動きって、じつは、
ぼくも、すこし苦手なところがあって。
ぼくもそうやらないといけないのかな?
とも思いながら、でも、後藤さんが
MCで言われているかのごとく、
ぼくはぼくなりに身体を動かしたり、また
あるときにはじっとしていたり、もしくは、
歌ったり、歌わなかったり、している。
昨日も申しあげましたが、アジカンのライブでは
ぼくらオーディエンスに対して、
「おまえら、かかってこいよ!」
的なことは決して言われない。
そして、さらには、この逆のごとく
「自分らしく、自由に、楽しんで。」と言われる。
そういう雰囲気がぼくは好きなんだとも思うし、
アジカンだけでなくって、そういう雰囲気の
バンドさんやミュージシャンさんが好きなんだなあ、
って、読書しながら感じました。
しかし、ともすれば、
演奏中の大合唱はどうなんだ?
というふうにも懸念できるけれども。
お二人の往復書簡の中では、藤原さんが、、
アジカンのフランスでのライブをインターネットで観たことがありますが、音楽が言語の壁を超えていくことに素直に感激しました。観客が本当に楽しそう。アジカンのライブに行ったときも、私の目の前にいた人は、外国から来た方でしたが、体を大きく揺らしながらアジカンの音楽を全身で捉えようとしていました。車椅子でやってきたファンの女性は、フロアでアジカングッズの買いものを楽しんでいました。老若男女、さまざまな人が集っていました。(‥‥)
ナチスももちろん音楽を利用しました。軍需工場の労働者のためにベートーベンのコンサートを開きました。とりわけ西欧をルーツにもつクラシック音楽を、人を「ひとつ」にまとめるために。もちろん、ロックも西欧がルーツですが、しかし、後藤さんは何かの集団をむりやり「ひとつ」にまとめるのではない音楽を目指しているように私には思えます。
アジカンの音楽は、何かの集団を
「ひとつ」にまとめるのではない、
という音楽を目指されている、とおっしゃるのが
この答えなのではないかなあ?!
って、ぼくは存じます。
でも、こう、なんだか、たとえば
スピーカーやマイクやラジオ、及び、
音楽というもの自体が、
「政治」と結びついている、
というのは、ある意味では
とても怖いものであるのだなあ、
と、あらためて思っておりました。
令和7年2月23日