インターネットの情報だけでなくて。
インターネットの情報は、
正しいものばかりとは限らないので、
鵜呑みにはせず、それが
正しい情報なのかどうか、を、
判断することが大切である、ってゆうのはさ、
よく言われると思うけれども、それは、でも、
インターネットだけでも無いんじゃあない?
って思うこともある。
インターネットの情報だけでなくて、たとえば、
本も、テレビも、新聞も、教科書も、教師も、教祖も、
上司も、市長も、政府も、野党も、官僚も、友だちも、
コメンテーターも、親も、祖父母も、息子も、恋人も、
そのことばが正しいのかどうか、って、
本当はわからないやもしらない。
つまり、目の前に居る人のことを、
本当の本当に信じられるかどうか?
って考えるときにね、たとえば、
「インターネットの情報は、
正しいものばかりとは限らないので、
鵜呑みにはせず、それが
正しい情報なのかどうか、を、
判断することが大切である。」
とのようなふうに言われれば、
インターネット以外の情報は、
大丈夫! みたいなふうにも思えてくるから。
「天動説」が信じられていたころには、
教科書にだっても、先生だっても、
そう記されていたり、そう言われていたり、
していたと想像するけれど、
現在の時代では、それは
違う、違う、そうじゃ、そうじゃない!
とされているんだと存じますが、ならば、
そのほかのすべてのことにおいても、
真実が明かされているかどうか、
ってゆうこともぼくは知らない。
かと言って、そのすべてが、
嘘だとも限らないから。
そんな情報が溢れている世界の中で、
ぼくは、誰を信じて、何を信じて、
どう歩いたらよいものか。
そして、ぼくは、
ぼく自身のことを
信じ切ることができるのか。
そういうことも、ぼくは
よくわからないけれども、
そのことを、たとえば
ChatGPTならば、
何と答えるのでしょうか。
ぼくは、でも、その
唇ふさいで 何も 言わせない〜。
令和5年5月6日