開運に繋がるアイテムとは
いつもブログを楽しみにして下さり、ありがとうございます。
MACRAME KANOの石野愛です。
本日は「開運に繋がるアイテム」について書きたいと思います。
私は12年ほど天然石に関わる仕事をしてまいりました。この仕事を一番最初に始めた時は、パワーストーンを信じていましたし、天然石には現代の科学では証明し得ない不思議な力があるのだと思っていた時期もございます。
今回はそうしたお話ではなくて、12年間の仕事の中や、日常の中で経験した事柄を踏まえて「開運に繋がるアイテム」っていうのはこれだ!というものが私の中にありますので、そちらのお話をしたいと思います。
・まずは結論から
私が考える「開運に繋がるアイテム」と言うのは、つまり、人でもモノでも場所でも好きなものです。当たり前すぎて「なぁんだ」と思われる前に、その理由をひとつずつ紐解いていきたいと思います。
プラシーボ効果と言われるとそれまでなのですが、人でもモノでも空間でも。
自分が好きだな、居心地がいいな、ここにいると気分がいいな、この服着るとテンション上がるな、このかばんを持つといい買い物できそう。このスケジュール帳を使うと、いいことあるな、と思ったり自分の中で感じられるようなものが、自分にとっての「開運に繋がるアイテム」ではないか、と考えます。
・主語が「私」であること
天然石は様々な種類や色合い、形のものがございますが、ひとつとして同じものがございません。それと同じように人も一人として同じ人はいませんし、その好みも千差万別です。
すこし横道に逸れますが、私は占いをあまり信じていません。というのも、例えば朝の情報番組の中で十二星座の占いがあったとして、日本だけでも約一億人がいて、その一億人が12に分けられるのだとしたら、それぞれの星座の人々がその星座占い通りの事柄に当てはまるわけではないと思っているからでもあります。
同じ星座でも当たる人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう、と言うのが前提なのと一緒で、「これを持ったからみんな確実に幸せで開運に繋がるもの」というものはないのではないかな、と思っています。
誰かに「あなたはこれを持つと幸せになれますよ」というものより、「私が」これがあると安心であるとか、嬉しいとか、楽しいとか、テンションが上がるとか、なんか運がよくなった気がするとか、そう思っていた方が確実に本人さんにとっていいでしょうし、その方がある意味での実感を得られるのではないかな、と思っています。
・不幸を呼ぶアイテムの見つけ方
ここでちょっと、面白い(?)お話をしたいと思います。私にとっての開運でないアイテムのお話です。いわゆる「不幸を呼ぶアイテム」(笑)ですね。
それは形がどうとか、由来がどうとか、いわくがどうとかと言うわけでは決っしてなく、特別に高いとか安いとか、誰かからもらったというものではないものです。
しかも確実に事前にわかったり察したり、使う前にピンとくる、というたぐいのものでもありません。不幸を呼ぶアイテム探しのの共通点は「後付け」なのです。
開運でないな、と思ったアイテム(人でもモノでも場所でも)は様々あるのですが、今回は私の仕事に絡めて「石」の話題にしたいと思います。
その「石」はパッと見た瞬間からとにかく素敵で、形も形状も申し分なく、絶対に手に入れて身につけたらテンション上がるだろうなぁ、と想像して仕入れたものでした。個人的な仕入れとお店の仕入れは使うお財布が違うので、(前者は私物なので会社のお金ではなく、完全にポケットマネーです)私費で購入したものです。
1ケ月を経て到着したその日は土砂降りで、封筒は破けてふにゃふにゃになっていて、中のビニール袋が露出して大変な有様でした。雨に濡れた封筒がポストの中に突っ込まれて破けたのだろうな、と思っていたのですが、家に持って帰ってみると、一緒に購入したオパールが砕けて割れていて、タンザナイトのルースが何かに轢かれた後のような有様で、文字通り粉々になっていました。
その中で唯一、その石だけが無事で、これは強運の石なのではないかと思ったのですが。
せっかくなのだからと、いそいそとペンダントに仕立て、装着した当日の夜。目がものすごく痛くて、朝起きるとひどい目やに。視界がほぼ真っ白になってしまっていて、とにかく眼球がものすごく痛い!慌てて病院に行って見ると「アデノウイルス」でした。
えー、アデノウイルスって子供がたまに感染してたりしたけど、こんなにひどいの!?と吃驚しました。
実はこれだけではなく、このペンダントを身に着けて運転をしていたところ、横から急に入ってきた車に追突されかけたり、仕事で何度もトラブルに見舞われたり、この「ペンダントを付けると」ということが何度もその後起こりました。
結局、アデノウイルスは主人から感染したものでしたし、車に追突されかけたのは、どんなに気を付けていてももらい事故というのはあり得るのだということだし、仕事のトラブルは先方の不注意だったり取引先側のミスだったりします。体調管理ができていないことで風邪を引いたり、お財布を落としたりしたのも疲れがたまって注意がおろそかになっていたからでした。
ですが、連鎖的に「ケチ」がついてしまったものはどうしてもテンションが下がりますし、モヤっとしてしまうことがあります。気にせず身につけられる人もいるとは思うのですが、私は意外と気にしてしまう性格なので、そうしたものはせっかく最初気に入っていてもだんだんと使わずしまい込んでしまうことになります。
それはその「ペンダント」が悪いのではないし、何か良く無いものや悪いものがついていたりするのではないと思います。
ただ自分の気持ちを下げてしまうものとは極力縁を切ってしまった方がいいし、避けて行った方がいいのだと学んだことの一つでした。
・自分にとっての「開運」を作っていく
結局上記のペンダントは、石がとっても好きだったので、捨てるに捨てきれず未だございますが、「身につけたらよくないことが起きてしまう」とインプットされているので身に着けるというより観賞用で、遠目から楽しんでおります。(逆プラシーボ)
今回は石の話をしたのですが、人でもモノでも空間でも、ありとあらゆるところに自分にとって合うもの、合わないものがあります。
人生の全ての合わないものを排除することはできないのですが、逆に「いいこと」にあやかったり、そういうものを感じられたりしたものは、「ラッキーアイテム」として私なりの開運グッツとして使ったり、利用したり、集めたりということができるようになりました。
この考え方は、お相撲さんが昔テレビで語っていた事柄がきっかけです。
お相撲さんは「ツキ」をとにかく気にする。
勝った日の当日にした行動、食べたもの、土俵入りの最初の足、着るもの、持つもの。「勝ち」につながるちょっとした出来事や「ツキ」を大切にするという内容でした。
「運」というものは日常のあちこち、そこらかしこに転がっていること。
そうしたツキが運に繋がるので、日常のちいさな「運がいい」と思えた行動を振り返って繰り返す、という話でした。
話は戻りますが、結局、タイミングがたまたまよかったり、嬉しいな、とその時思えるようなことがそれを身につけたり、楽しんだりしている場所でたまたま偶発的に発生しただけの話なのですが、「ラッキー」を見つけて「利用する」ということは、たわいのない日常の中で喜びを倍増させたりする装置の一つであると感じています。
誰かにこれいいよ、と勧められたものが自分に合わなかったりする現象は、有名メーカーの化粧品が自分に合わない時と同じですよね。
自分の肌質にあった化粧品を使えば、お肌はトラブルを防げますし、無用なかぶれやできものを防ぐことに繋がります。
ただ、その時の体調の良しあしによって、いつも使っているものでも合うもの、合わないものなどもあります。いつもはまったく気にしないような小さなことでも、気分が沈んでいると、ちょっとしたことでも気になってしまうこともあります。なので、ちょっとしたトラブルがあったからと言ってそれが必ず、間違いなく「不幸」や「不運」を呼ぶとは必ずしも言い切れない事もあるのだと、知っておくだけで心が少し軽くなります。
大切なのは「自分がその時どう思い、どう感じたか」です。
自分にとって、人でもモノでも場所でも「運がいい」「テンションが上がる」「気分がいい」「楽しい」「面白い」「最高!」と思えるものが傍にあれば、それが開運に繋がるのではないかなと思います。
・あとがき
アメリカの社会学者ロバート・K・マートンが提唱した「予言の自己成就」というものがあります。
「予言の自己成就」とは、根拠のない噂や思い込みであっても、人々がその状況が起こりそうだと考えて行動することで、事実ではなかったはずの状況が本当に実現してしまうこと。アメリカの社会学者W・I・トマスが説いた「もし人がその状況を真実と決めれば、その状況は結果において真実である」という定理を基に展開された理論です。
開運・幸運・不幸といった考え方も、もしかしたら「意識」で変えることができるのかも、知れません。
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