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おしゃれなネイルサロンでJ・A・シーザーの『奴婢訓』と4枚組ライブアルバム『萱草歌1980』を流しても良いですか?
最近「やべーやつ」という表現をよく目にし、また耳にもする。
やべーやつ…。
うん、この言い方なんか面白いし、おれも使ってみたいなー(いつか)と思っていた。
「やべーやつだね」と言ってみたいけどなかなか該当者がいないのである。
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私はずっとシェアオフィス、コワーキングスペースなる場所で日がな一日、作業などをしていることが多い。
住宅街にある静かな場所である。
ほぼ毎日、そこに通っているような現状だ。
ウッドハウス風の、おしゃれすぎず、質素すぎず、かといって無愛想なオフィス風でもなく、神経質で気難しいような自分でも何となく居心地が良いという稀有な場所なのである。
そこでほぼ毎日、一人で作業をしている。
音楽はもちろんイヤホンで流しっぱなしだ。
最近は中国の実験音楽(騒々しいアバンギャルド含む)を聴き狂っているが、無性に聴きたくなる音楽というものもある。
それは日本の大音楽者、J・A・シーザーの音楽である。
シーザーの音楽は成人前から聴いているので、もはや自身の血肉の一部になっているようなところはあるかもしれない。
久しぶりにシーザーの音楽を聴きたいと思ったのである。
昨日は吹萬 chui wan という北京の前衛ロックバンドのアルバムをエンドレスで聴いていた。そういえばシーザーにも何曲か中国語の歌があった。
天井桟敷音楽集3のディスク5、確か1曲目だったはずだ。天井桟敷音楽集の「3の5」と記憶している。あの盤は名曲揃いなので曲順通り何度も繰り返し聴いてしまう。
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シーザーの音楽は「肉体で感じる」音楽だ、と評されることもあるようだが、然り、確かに。しかし肉体に響き、更にその奥のタマシイにも響いてくる。
たましいに直接、ふれるので、その音楽や印象は眠りの中、夢の世界にも現れることがある。
そう、つい昨日、寝て起きたらシーザーの印象があったので「久しぶりにシーザーの音楽を聴きたいな」と思っていたのである。
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最近は音楽配信ばかりで、音楽を聴くのも便利すぎて、ネット配信未対応のCDを買っても、PCにデータを取り込んだりするのが面倒で、買ったままそれらを放っておいたりしてしまうこともあったりする。
最近は中華圏の前衛音楽、インディーズばかり聴いていたのであんまりシーザーを聴いていなかった(といっても数週間)。
シーザーの一番の傑作アルバムを1つ挙げろ、と言われれば、私はやはり『奴婢訓』を挙げるだろう。(カセットテープ版、オリジナルの60分のもの)
私は久しぶりにそれを聴くことにした。
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私の利用しているシェアオフィスは基本的には静かな場所である。個室はあるがそこは専用契約が必要なので、パーテーションで区切られた大部屋のような所で、利用者たちは(おそらく)デジタル関連の業務などに集中しているようである。
私は(空いていれば)ロフトになった中2階の隅にいることが多い。後ろに人がほとんど通らないので、集中できる(といっても音楽を聴いてるだけ)のだ。
周りに人がいると気が散ってしまう、というのは神経質な類の人なら、ある程度はあるのではなかろうか。
静寂が保たれたシェアオフィスでは、無用の雑談もあまりない。利用者たちは「大人」なので挨拶はするが、立ち入った話などはほとんどしない。それぞれ各人の業務が忙しいようにも見える。
パソコンに向かってる人に声を掛けるのはなかなか難しいものである。(たとえ『原神』の攻略サイトを見ているだけだとしても)PCに黙々と面してる人は「忙しい業務」をこなしているように見えてしまう。
今日もまたメールをチェックして、slackでやりとりをする1日の始まりだ。音楽は、そう、今日はシーザーの『奴婢訓』(オリジナル版)にしよう。
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去年(2020年)冬に発売されたシーザーのライブアルバム『萱草歌1980』を愚かしくも自分はまだPCに取り込んでいなかったのである。
本日、シーザーが夢枕に立ったことだし(シーザーは生きてるけど)これらのCDはパソコンに取り込まないとなーと思った。『奴婢訓』の後は、『萱草歌1980』4枚組を聴き狂うことにしよう、と決めた。
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シェアオフィスの個室数は5部屋程度と少なく、契約料も高い。そこについ先日、新規入居者があったのである。その場所は1階の中央で、ちょうど私が利用しているロフトの真下にあたる場所である。
新入居の方は、ネイルサロンをこのシェアオフィスで開業するらしい。
シェアオフィスの管理人さんは山下さんという、60代の親切な男性である。
山下さんは私に「新しく入られる方のために、部屋を改装するのでちょっとうるさいかもしれませんが、すいませんね…」と言った。
ネイルサロンか、ずいぶんお洒落な感じだな、と私は思った。
改装中の部屋には、白く塗られた木製の棚にカラフルな美容品(名称は不明)がいくつも置かれている。
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シェアオフィスににほぼ毎日通っているのは、管理人の山下さんともしかしたら自分くらいではないだろうか。
建築事務所風の男性が時々、数名で利用しているのは目撃する。あとは「子供のための美術教室」が週1回、開催されている。
その他にはライターの方や、版画家やインターネットショップ経営(?)の方などもいるようだが実際のところはよく分からない。
自分こそ「なんだかよくわからないが毎日いる」人間として周囲から少し怪しまれているかもしれない。
ネイルショップ…、自分には全く縁のない世界だ。利用者のお客さんたちはやはり若い女性たちなのだろうか。このような住宅街にそんな需要はあるのだろうか。
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私は自身に課せられた業務を行いながら、精神(たましい)は、まあ自由にと、音楽を傾聴してるのである。
今日はシーザーの音楽を聴くのだ。たましいの我が家のような気もする。それぐらいシーザーの音楽には思い入れがあるのだ。
『奴婢訓』には狂犬となった天井桟敷俳優陣たちが呻り、喘ぎ、咆哮する、アバンギャルドな前衛サウンドが収録されている。これは好きな曲だ。何も知らない人がいきなりこれを聞いたら、驚くかもしれない。コンビニやコマーシャルでは流れないような類の「狂犬サウンド」である。
この自由な音楽が自分を長い間、支え、精神(心)を晴々とさせてくれる。美と狂が豊潤に含まれている超一流の音楽だ。
住宅地、しぇあおふぃすのロフト、片隅の席で(業務をこなしつつ)おれは音量をぐぐっと上げた。
今は亡き、怪優サルバトール・タリの狂人風の哄笑もカタルシスである。ここは何度聞いてもぞくぞくする個所だ。
新高恵子の女主人ロックも混沌たる狂騒のバラエティ豊かなサウンド群にあり、ピシリと(手にしたムチさながら)爽快にキメてくれる。このサウンドはやはり最高だ。シーザーは天才としか言いようがない。
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『奴婢訓』は2度目のアルバム全体リピート、に差し掛かっていた。
『萱草歌1980』のアルバム取り込み作業は1枚目が終わったようだった。
おれはその1枚目を聴くことにした。
発掘音源とのことながら、音質は良いのではないか、シーザーのボーカルがクリアに聞こえる。なんと、これは素晴らしい。おれは絶句した。
音量を更に上げねばならない。シーザーの声を間近で(耳の中だが)聴きたい。音量を上げよう。
と、そこで誰かが席の後ろに来たような気がする。
誰だろう、ときどき来てくれる山下さんだろうか?
「はい?なんでしょう?」と(片方のイヤホンを外して)おれは大声で訊いた。
山下さんだ。初老の好人物である彼は、少々申し訳さそうな顔をしている。何なのだろう。お茶かお菓子でもくれるのだろうか(何度かそういうことがあったので勘違いした)。
「あの、すいませんが、音を、もう少し…」と気まずそうに山下さんは手ぶりでも示している。「下げてもらえないでしょうか」
どういうことであろうか。おれはイヤホンで音を聴いているのである。
まさかイヤホンが抜けているなんてことはない。イヤホンから音ははっきり聞こえてるのだ。
「音が洩れてるようなので…」と山下さんはこわごわと言っている。
まさか、そんなことが、と思ったがおれはとりあえず「すいません」と謝り、パソコンの音楽再生ソフトを停止した。
何かの間違いだろう、と思うが山下さんは「昨日も漏れていたようなので…」と言う。
「すいません」と言ったものの、身に覚えがない。
イヤホンプラグはパソコンのオーディオジャックに完全に入っているのである。
これで音が洩れるわけないじゃん。まさかイヤホンから音が洩れるなんて、それもない。微かに聞こえたとしても山下さんは1階の端にいるしロフトの隅から下まで聞こえるわけがない。
おれは、確認するため、イヤホンを耳から取り、音楽を再生させた。
こんなことあるわけがないと思った、その現象が起きている。
イヤホンが差さっているのに、パソコンスピーカーからも音が出ている。
これは何なのであろう。イヤホンを付けながら(確認するために)それを外す瞬間、3Dサウンドのような音場がそこに現出した。
パソコンからも音、出てるじゃん、これ。いつから? 昨日からずっと、音がスピーカーからも流れっ放しだったのか…
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パソコンにイヤホンを差しても音がスピーカーから流れる、という現象は(調べると)まあ、あり得る現象らしい。その辺は自分も心得ているつもりだったが、まさか自身に発生中だとは思いもしなかった。
シーザーの『奴婢訓』がシェアオフィス全体に鳴り渡っていたようだ。
もしかしたらおれは周囲から「発狂した」と思われたかもしれない。
好人物の山下さんがあそこまで怯えていたのもそれなら解せる。
新入居した階下のネイルサロン女性もサルバトール・タリのセリフ(シーザー楽団の一部)には血の気が引いたかもしれない。
おれはサウンドドライバーを更新してPCの問題を修繕した。
しかし「イヤホンからも通常通り音が出て、パソコンからもしつこく音が出ている」というのはあんまりな仕打ちではないか。イヤホンをしている限り、自らの愚行に気づくわけがない。
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おれは器機の修繕後、(恥ずかしさもあり)山下さんに話をしにいった。
「いやーあの、すいません、何だかパソコンの問題で、イヤホンからも本体からも音が出ていたようです」
山下さんはそれほど気にしていないようではある。
「私も耳が最近ちょっとおかしくなって、『なんかどっかで音がきこえるぞ、これはどこからだ』なんて思ったんですよ」
「昨日も音は洩れてましたか?」自分としてはそこも気になるのだ。昨日は中華ロックフェスを(1人で)やってたから。
「まあ、そこまでではないですが、なんか聞こえるなあ、と」山下さんはあくまで優しい。けして問い詰めるようなことはしない。
中国語の歌詞だと空耳のように、もしかしたら聞こえるのかも知れない。
しかし今日はシーザーリサイタル(と『奴婢訓』)の大音量サウンドである。
さすがに耳がちょっと遠くなったという初老の山下さんも「これはちょっと…」と思ったのかもしれない。シーザーと寺山の音楽は歌詞も(重要な詩作であるので)しっかり聴き取れるのだ。
靴に住んでいる女中たち 午前零時の零時の零時の殺
門番 掃除夫 料理人 主人 あたしの馬になれ(高らかな哄笑)
(語り)1人の中国商人が鉤の先端に毒饅頭を引っ掛けていた
いざというとき歩哨兵を毒殺するために(含み笑い)
私が傾聴する度、毎回カタルシスを禁じ得ぬ個所も、おしゃれなネイルサロンの真上で新高恵子の狂女笑いと共に鳴り響いていたようである。
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「パソコンのドライバーを更新したので、もう大丈夫です」とおれは山下さんに言った。
「『えっちなやつ』じゃないので大丈夫ですよ」と老夫はやさしくほほえんだ。
『えっちなやつ』…?、そうか、もしかしておれがパソコンでポルノ映像などを見ていたら、と山下老人は思ったのだろう。
金髪女性の激しい喘ぎ声などは聞こえなかったので大丈夫ですよ、ということなのだろう。
うむ、なるほど。しかしそれは心配には及ばぬ。私はそのような映像については完全にミュートにし、別で音楽を再生するからだ。
(ということを山下さんに説明しようかなどと思ったが、そのような解説は一切意味がないのでやめた。)
シェアオフィスの方々とはあんまり交流もなく、水を飲んだり、プリンタに近付いたりするときに顔を合わせる位で、名前すらほとんど知らない。
しかし「どうも気味の悪い騒々しい音楽をロフトの片隅で聴いている人物」と認識されたような気もする。
しばらくはイヤホンの片耳を外して、パソコン本体からも音楽が流れていないか確認して過ごすようになりそうだ。
アンビエント音楽ならおしゃれなネイルサロンの女性も問題なかっただろうか、よりによってシーザーの『奴婢訓』はまずかったかと思う次第。
というわけで自分自身が正に「やべーやつ」になってしまったというつまらない話である。
※私が利用しているのは以下の町田にあるマチノワという場所です。良い場所です。(時々、シーザー音楽が洩れ聞こえる点を除けば)