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【レポート】OSAKA URBANDESIGN EXPLORE vol.6『アートと都市』(講師:忽那裕樹さん・寺浦薫さん)

大阪で先進的な都市デザインを実践されてきた方々をお招きし、直接レクチャー頂くハートビートプランの社内連続講座『OSAKA URBANDESIGN EXPLORE』。 
 vol.6は、「水都大阪」や「おおさかカンヴァス」、「大阪府立江之子島文化芸術創造センター(enoco)」など様々な都市、アートプロジェクトを手掛けられてきた株式会社E-DESIGN代表取締役の忽那裕樹さん、寺浦薫さんに、「アートと都市」をテーマにお話を伺い、そのレポートをお届けします。(担当:新津)

 これまでの講座のレポートはこちらからご確認いただけます。


〇プロローグ:大阪のアートとの関わり

忽那裕樹氏(以下、忽那氏)
寺浦さんとやり始めたのは「水都大阪2009」の準備期間中で、2008年頃かな。当時の橋下府知事が「あとに残らないイベント的なアートはやらない」とちゃぶ台返しして、大阪府独自の水都大阪プランをつくることになって、それで僕のところに相談が来たのが大阪府と関わるようになった始まりです。急いで2週間ぐらいで大阪の現状や未来について色々な人に話を聞いて、河川利用含めて中長期のプランをつくって提案しました。「水都大阪2009」では北川フラムさんが参加型アートやアートワークショップを軸にアートを展開し、その時の成功もあって、橋下さんのアートに対する考えも変わったと思います。「水都大阪2009」の後、寺浦さんが中心になって「おおさかカンヴァス」という都市でパブリックアートを展開する事業を橋下さんに提案して実現しました。その時に、創造都市みたいな考え方をモデルにして、産業構造転換でダメになった都市を、アートをきっかけで再生していこうということを考えて、おおさかカンヴァスの構想時にも提案しました。アートだけやってたり、都市づくりもアートと関係なしにやってるから日本はあかんのです。きっかけはアートだけど、それを都市構造に効かせていく、アートが未来ビジョンを示す最初のきっかけになるというやり方がヨーロッパの都市で実践されてきました。そういうことを大阪でもやりたいねというところで議論し始めて、泉さんたちと水都大阪にアートを入れたストーリー作りを具体的に動かしてきたというようなところです。
ということで、寺浦さんから、大阪府が公共空間でどういうことをしていたのかっていう話をしてもらいましょう。寺浦さんは3年半前に大阪府をやり尽くしたので辞めて、大学で3年程教えて、4月からE-DESIGNで頑張っております。アート&コミュニケーション部のディレクターということで、色々なプロジェクトに関わってもらってます。

 寺浦薫氏(以下、寺浦氏)
大阪府には元々美術館を建てるという構想があったので、私自身は学芸員として、美術館のオープンを準備するために採用されたのですが、結局大阪府が財政難で美術館を建てられなくなったので、文化政策の立案やアートプロジェクト、アーティスト・イン・レジデンスなどを企画・実施していました。2007年と2008年、北川フラムさんに頼み込んで大阪の街を舞台にしたアートイベント(大阪・アート・カレイドスコープ2007、2008)を実施したことが大きな転機となって、さらに水都大阪2009の時の橋下さんのちゃぶ台返しで、忽那さんや泉さんにお会いして、ホワイトキューブ中心のアートだけでなく、アートと都市をボンドすることで、アートの違う魅力を伝えられるな、と、私の興味の在りどころも変わってきて、おおさかカンヴァスなどを企画するなど方向性が変わってきました。都市の中でアートを実現することで、アートも都市もその役割を上手く果たせるのでは、という実感がありまして、これからも皆さんともぜひそういう動きを創っていきたいなと思って、今日はお話を聞いて頂きたいと思います。

〇海外事例


寺浦氏
「アート✕都市」というテーマ、文化で都市を創っていくということの成功事例にまず挙がるのが、「ニューキャッスル・ゲーツヘッド」ですね。元々イギリス最大の炭鉱町で、造船や武器製造などで発展した都市ですけれども、ご多分に漏れず大戦以降の産業構造の転換で都市自体が非常に衰退していって、失業率が17%ぐらいになり、これはなんとかしなきゃいけないっていうところで文化施策が進められました。ヨーロッパがすごいなと思うのは、最後に藁をもすがるというときに、文化に頼るっていうところがすごいなあって思いますね。
それで毎年実施都市が変わる欧州文化都市にニューキャッスル・ゲーツヘッドも立候補して、一生懸命運動したんですけど落ちてしまったんですよね。ただ、その時にいっぱい集めた基金を基に文化都市の道を歩むということで、まず最初にやったのが、「アントニーゴームリーのパブリックアート」です。

鉱山跡地に作品を設置したのですが、元々彼らが持っていた造船技術を使って作品を創ることで歴史にちゃんと誇りを持とうとした。今は誰も住みたくないまちになっているけれども、歴史に再び光を当てて、自分たち自身が誇りを持つための技術を全部結集して作品を立てたんです。最初はこれを作るにあたって、非常に巨大な彫刻なので、無駄遣いだと非難が多く反対運動が起こったのですが、実際に完成してみると市民もメディアもウェルカムで、以降ここが観光地として非常に人を集めるシンボルになっていきました。印象的な写真もいっぱい撮られていて、この大成功を機にミレニアムブリッジを造ったり、文化センターなどもでき、文化都市として大きく花開いていきました。

忽那氏
これ皆さん知ってますかね。ミレニアムブリッジは実は都市構造に効いてるもので、ただアームになってるのではなく、軸線で中心都心と中心都心を結んでいて秀逸のデザインやなと思います。また、全員全裸で街を埋め尽くすスペンサー・チュニックのアートプロジェクトを実施するなど、アートを取り入れた都市のブランディングをしていることがすごい。

 寺浦氏
こういった文化センターを建てたり、フェスティバルをやったり、プレイスメイキングもやったりと、まちの知名度アップを図り、観光地としてのリソースをどんどん蓄積させていきました。あと彼らがやっぱりすごいなと思うのは、自分達が何に投資し、どういう成果を上げてきたのか、どういう風に歩んできたのかという事を、かなりのお金をかけて継続的にリサーチをしてきたということですね。その結論として「私たちはなぜ文化が重要なのかを調査してきました」「文化は我々の人生の質、健康、地域のプライド、才能の育成、そして志と自身を我々が抱くことに貢献するものなのです」と、文化は必要不可欠なものだということをはっきりと宣言して、以降ニューキャッスル・ゲーツヘッドは住みたいまちナンバー10以内に入るほど都市の知名度も、環境も向上しました。創造都市、文化によるまちづくりがが都市再生に効くのだということの成功事例としてまず挙げられるのが、ニューキャッスルゲーツヘッドというのはこういうところですね。


住みたくなるまちランキングが全然下だったのに10位内に上がったっていうことが、指標として非常に効いてるってことですね。
 
寺浦氏
はい。そして、どういう成果があったのかっていうことを詳細な項目を立てて調査をしたんです。ボランティアの数とか雇用の増加といった量的なことから、住民の意識変化などの質的なことまで、お金をかけて毎年調査して、やっぱり文化が大事なんだっていう結論を出して、文化への投資が有効だということを証明しているのがすごいなと思います。

あるいは、効果的な建築によって都市全体を復興するというやり方としては。ビルバオ・グッゲンハイム美術館が好事例ですね。中世の町並みが残っているところに、いきなり超モダンな建物が現れ、好対照によって人を惹きつけています。美術館の前に設置されているジェフ・クーンズのアートも印象的です。


ビルバオ・グッゲンハイム美術館


ジェフ・クーンズ(子犬)

◯水都大阪2009

寺浦氏
大阪でも、ニューキャッスル・ゲーツヘッドのようなことを是非やりたいなあということで、2009年以降徐々にやってきたところがあります。「水都大阪2009」では、供用開始前の中之島公園を使って、アートと市民参加をテーマに52日間の野外イベントを実施しました。会場デザインは忽那さんです。

「水都大阪2009」中之島会場

忽那氏
この左側の作品は淀川テクニックという男二人組が淀川で拾ったゴミでアートを作ったというもの。全部が淀川のゴミからできています。それをこの会場で一番最初に見える場所に設置しようということで、入口に配置した。

「水都大阪2009」中之島会場の入り口 作品:淀川テクニック「金チヌ」

寺浦氏
水都大阪2009はまちづくりとアートと市民参画を同時に行おうというもので、大阪府、大阪市、それから経済界が3億円ずつ出し合ってやりました。北浜テラスの社会実験も実施されました。水都大阪2009は大阪のまちづくり、アートの大きな転機になったイベントだと思ってます。北川フラムさんがアートのプロデューサーをされていて、私はアート部門のチーフ・キュレーターをつとめ、非常にいい勉強になりました。
期間中、会場でずっと活動し続けるアーティストさんも複数いらっしゃって、その一人が藤浩志さん。これはマクドナルドのおもちゃとか子供がどうしても要らないなって捨てちゃうようなものから生まれたアートですが、藤さんは現場のパビリオンにほぼ常駐され、ひたすら作品や活動を生み出し続けました。

藤 浩志  おもちゃの交換市場「かえっこ屋」、廃材から飾りをつくる「かえる工房」

その他、ヤノベケンジさんの火と水を吐くラッキードラゴンという船の作品、これは様々な許可を取るのがすごく大変だったんですけれども、こういったプロジェクトをやりつつ、毎日違うアーティストがワークショップを実施するためにやってきて、52日間で171組のアーティストが来て、約650のアートプロジェクトやワークショップを展開しました。

ヤノベケンジ 「ラッキードラゴン」火と水を吹いて川を巡った

先程話のあった橋下さんは当初のアートの企画内容には反対だったんですけれども、この52日間会期が終わる頃にはしっかりファンになられて、フラムさんとも仲直りしてっていうこともありました。

◯おおさかカンヴァス

作品募集のポスター

寺浦氏
この時の成功が基になってできたのが、あとで忽那さんが説明されるenocoと、それから「おおさかカンヴァス推進事業」ですね。これは橋下さんが元々水都大阪でクリエイターやアーティストに触れたことをきっかけに、大阪中がウォ―ルペインティングで溢れるまちにしたいっていうのが最初の発想でした。それはえらいことやなと思ったので、「アートにはウォールペインティングだけでなく色々な表現があるので、都市を舞台に多様なアートを実現させるというアートプロジェクトをやりましょう」と橋下さんにプレゼンして、おおさかカンヴァスを立ち上げました。

目的としては3つ。「アーティストの想いを実現」「公共空間の活用」「都市魅力の創造・発信」です。アーティストにはとにかく好きなことを都市でやってもらおう、行政としては公共空間を活用することによって大阪にしかない都市の魅力を発信しようということで、ここで初めて「まちづくりとアート」が戦略的に提携するということを目的に掲げました。それまで大阪府でのアートは美術館やギャラリーでの実施が多かったんですが、まちの中で展開していくことで、先ほどの創造都市のような、都市再生に効くアート、文化ということを大阪も是非やっていかねば・・ということで、おおさかカンヴァスを立ち上げました。

7年間やったんですけれども、パブリックスペースで作品展示を実施するので、鑑賞者数も非常に大きくなります。アーティストはすべて公募で選定しました。

審査員もアートの専門家に加えて都市を分かっている人も招聘し、忽那さんには第1回目から入っていただいていました。特別審査員として明和電機さんや増田セバスチャンさんにも来ていただきました。おおさかカンヴァスではことさらに「アート」と打ち出すことをしないというのがその時の戦略でした。「いやこんなのはアートじゃない」と批判する人たちもいたのですが、「私達がやりたいのは都市を舞台とした表現です」「表現したい人がいる限りは何でも受け止める都市にしよう」と。そういう大阪にするにはどうすればいいかという点を審査員と議論しながら、アーティストでなくとも、素人の案でも面白ければ受け入れるということで、審査していただいていました。

忽那氏
審査が面白かったんですよ。クリエイターとか、東大阪の工場の人たちとか、アーティスト以外の人たちからの応募がすごく多くかったんです。僕らは一次審査で少し多めに候補作品を選んで、大阪府がそれらを実現するために警察や場所の管理者との交渉に行くんですよ。僕は何が認められて、何があかんかは全部知ってるんで、逆に大阪府の人が正式に大阪府警に交渉に行ったら判断が変わるかどうかを見たかった。審査では絶対に許可が出ない作品も候補として選ぶから、「誰がどう言ったから実現できなかったっていうのをアンビルドなアートとしてアーカイブして、それ自体がアートや」っていう考え方で審査をしていました。寺浦さんは毎年通っているうちに、警察に「今年は何を持ってきたんや」と言われるようになりましたけど(笑)

 寺浦氏
警察などと交渉することで、何が都市でダメなのかとか、何がクリティカルなのかということが分かって、非常に勉強になったんですが、最終的には案を作品として形にしないといけないので、まあやってるときは本当に地獄でした。
例えばこのyottaの作品「花子」の時は、警察から「高速道路を走る車と花子の目が合って衝突事故が起こるからダメ」っていう理屈を言われました。なので、花子と同じ13メートルの高さにバルーンを上げて、高速道路からビデオカメラを回して、いかに視線誘導にならないという証拠の映像を撮って、何度も警察に通ってやっと許可が出ました。この当時、中之島公園では高さ3.5mまでのものしか設置を許されていなかったのですが、今は 13mまで高さ制限が緩和されています。

このように、アーティストは都市で好きなことをやる一方、行政や都市側にとっては、アート作品によって都市の許容度が変わってくるので、 そういう点が非常に面白いなあと思いました。アート作品を介入させることで都市のルールが変わっていくということですね。

忽那氏
先ほどの高さ制限3.5mも、大阪市の公園の運営の内規上のことで、 法律で規定されているわけではない。その内規を変えたという話ですね。

寺浦氏
また、中之島公園は風致地区にあるので、作品に使用する色も高速道路の橋脚の色、すなわち灰色か薄緑にしなさいって言われました。1週間の設置なので・・などと交渉しながらなんとか許可をいただきました。
 震災の影響を受けた作品もあります。加藤翼さんの「H.H.H.A.」というプロジェクト、世界中で実施されているんですが、もともとは皆で大きなオブジェを引き倒してがっしゃんって潰すっていうプロジェクトだったんです。ただ、このプロジェクトをやろうとした2日前に東日本大震災が起こって、作品を潰すことは、もうまさに震災で起こったのと同じことを敢えてやることになるので、「それはダメなんじゃないの」という声もあがったので、アーティストが、大阪城の前で車座になって、観光客とかスタッフを呼んで、「俺たちはこれをやるべきかどうか」と問う話し合いを30時間ぐらいやりました。結局結論として出たのは、倒して潰すのではなく、引き起こすというプロジェクトを皆で力を合わせてやるっていう形に変わったんです。彼はそれ以降、引き起こしプロジェクトを世界中で挑戦されています。

おおさかカンヴァスはその時々でやり方が変わるんですけれども、このときは緊急雇用基金を2億円ぐらい使って、ニートの人や引きこもりの人を雇用して、いろいろな作品づくりに関わってもらいました。アートプロジェクトの中できっちりと役割を担ってもらうことで、人との関わり方にも慣れ、社会復帰ができた方もいらっしゃいました。
淀川テクニックさんのプロジェクトでは、ゴミを集めて形にするということされていて、何が面白いかというと、その時々の都市の人間が出すゴミの様相が見えてくるところですね。素人の人が描いた絵画作品があったり、花火大会が終わった後に捨てられたうちわが大量に集まったり、都市のその時の営みというのが作品に表れています。

こちらは工事用のコーンを置くことで一瞬にしてまちの見え方を変えてしまうプロジェクトです。大阪府庁の建物なんですけど3,000個のコーンを玄関の外と内部にも置くという作品で、近代建築の重厚さとプラスチックコーンの遠慮のない軽さの対照性が際立っています。元FM802のプロデューサーの谷口純弘さんのプロデュースです。

それから「四十七人のオバチャーン」プロジェクト。これは大阪名物であるおばちゃんをプロジェクト化しようということで、おばちゃんと一緒に写真を撮ったり、おばあちゃんがまちなかで飴を配ったり、人生相談にのったりするもので大人気になりました。人との関わりをどんどん生み出していく、都市でこそ実現されるプロジェクトでした。

「四十七人のオバチャーン」プロジェクトオバチャーン

「水都大阪2009」の後、忽那さんや泉さん達がプロデューサーとして、一年のブランク後に「水都大阪フェス」を引き継がれました。そこでぜひおおさかカンヴァスも一緒にということで、ラバーダックも呼んでプロジェクト化しました。都市の色々なイベントを重ね合わせて、アートも一緒にやることで相乗効果が引き出されます。

「水都大阪フェス」と一緒に実施するので、水辺を活用した作品も実現させました。これは河川の護岸に出て、ゴルフの打ちっ放しをするという作品ですが、本来、護岸の柵の外に出ることも、川にものを投げ込むことも、絶対してはいけないことですが、それを作品としてやっています。このゴルフボールは東大阪の化学化合物関係の会社に協力いただいて、水質浄化の材料でできてるので、打てば打つほど川がキレイになるという理屈で、許可を得たものです。都市の中でこういうことを実現するには理屈をどう作るのかということが大切で、かなり鍛えられましたね。

有賀
 アーティストの提案の時点で、水質浄化のもので作るという提案だったんですか?

寺浦氏
 いやそこまでは最初になかったかな。許可を得るためにストーリーを作ったり、アーティストと議論する中で、企業等にも協力いただきながら進めました。


 これ、中に人がいて漕いでるんですよね。動くグリーンにボールを乗せるという。めちゃ難しい。

 寺浦氏
これは、行政としては安全面から護岸は人は出てはいけない空間として規定されているのですが、都市空間として活用する可能性はないんだろうか?という問いかけをしている作品でもあります。安全性を担保できれば楽しく使ってもいいのでは?という議論を起こすきっかけにしたいというところで、こういう風景をつくりました。

 これは西野達さんによる、中之島にある公衆トイレを一部占有して、増築してホテルを作るというプロジェクトです。中はこんな感じで、トイレのマークがあるのが見えると思いますが、女子トイレを一部占有して、高級家具とかも全部協賛いただいて、コンシェルジュも置いて、ホテルにするという作品です。これもかなりたくさんの法律に抵触していて、周囲からは絶対できないって最初は言われていたんですね。建築基準法とか鉄道軌道法、旅館業法、都市公園法など7つぐらいの法律やルールに抵触していて、実現不可能言われていたんですが、法律やルールの読み替えや解釈を変えることで実現できないかと検討しました。建築基準法上、こういう建物の場合はコンクリートの基礎を打たないといけないと言われたんですが、一時休憩所として位置づけるならば打たなくてもいい、など大阪府のいろんな分野の専門家に協力いただいて、なんとか逃げ道を考えました。旅館業法は、バスローブを特注で作って、これを買ってもらうというのを宿泊料金の対価にするという形にしました。西野さんとしてはどうしても料金を取ってホテルとして運営したいという考え方だったので、妥協点を見つけた形です。1万円ちょうどぐらいの料金にしました。


宿泊料金じゃありません、バスローブ代ですってことですよね。

 寺浦氏
そうですね。表向きは宿泊料金って言ってましたが。大阪観光大学の学生さんにリーガロイヤルホテルで研修を受けていただいて、コンシェルジュを務めていただいて、本格的なホテルとして運営しました。
 西野達さんはスケールの大きい「都市✕アート」のプロジェクトをされていて、代表的な作品としては、シンガポールのマーライオンを囲ってホテルにするというプロジェクトをされています。2011年のシンガポール・ビエンナーレに出品されました。この期間マーライオンは見えませんっていう情報を、シンガポールの外務省が世界に向けて発信するぐらい、シンガポールは国家として、戦略的にアートを使って、文化度の高さを世界にアピールしていて、すごいなあと思います。

西野 達「マーライオンホテル」 
西野 達「マーライオンホテル」 

先ほどお話しした、ヨーロッパの都市再生的なプロジェクトをどうしても大阪でやりたいということで、中之島の西の剣先で井上信太さんとMuDAによるMuDA特区というプロジェクトをやりました。これは泉さんや忽那さんが当時されていた中之島ゲートの活性化プロジェクトと協働して、お客さんを呼び込もうというプロジェクトですね。夜も営業しました。

そしてこれは下の白い箱がトイレになっていまして、おしっこの圧に従って水が出るという、大小便小僧というNANIWAZAさんの作品です。先ほどのゴルフの打ちっぱなしの作品と同じグループによるプロジェクトです。恥ずかしくて、特に女性はやらない、と言われていたのですが、女子にも人気でした(笑) 中之島公園にある東の剣先に立派な噴水が設置されているので、こちらはそれに対抗する?ものとして、都市を空間的に捉えた作品です。作品を設置していいかどうかの許認可の段階では、小便小僧から水が河川に流入するので河川管理者から環境アセスメントが必要と言われたのですが、環境アセスメントだけで6千万円もかかることがわかり、どうしようかなと困りました。毎回毎回どんな作品でもいろいろな課題が出てくるので乗り越えるのが大変です。

これは西野達さんのミラーボールカーという作品です。車にミラーチップを張り付けて、ミラーボールのように空中にぶら下げる作品で、まち中を全部クラブ化してしまうというものです。中之島ゲートの活性化のプロジェクトと一緒に実施させていただきましたが、先のMuda特区の作品もあり、朝から大行列で、1週間の展示期間に5万人の来場者がありました。元々何もない倉庫街にこれだけの人が来たということで、このエリアの新しいポテンシャルをアートによって示すことができました。


この展示を見た維新派の松本雄吉さんが、この場所の魅力に気づかれて、ここでぜひ維新派の公演をやりたいということで、我々の方でつないで、10年ぶりの大阪での新作「透視図」が実現しました。市内中心部のビル街の夜景をバックに、河から舞台に水が流れて来る幻想的なしかけが印象的でした。2週間ほどの公演期間がずっと満員御礼で、このエリアのポテンシャルが更に上がり、その翌年には中之島漁港が常設でオープンしました。

まずはアートでその土地の見えない魅力を可視化させる、あるいは見方を変える、都市のポテンシャルを上げる、それによって投資を呼び込んで商業などで都市のリソースを更にパワーアップさせていくという、ヨーロッパで実践されている都市再生の手法を大阪で一つ実現できたなと思っています。中之島ゲートに関してはその後、残念な結果にはなっていましたが、今は再び開発が進んでいるようです。

忽那氏
ここは最初に泉さんたちと一緒に中之島ゲートの将来構想を描いて、都市側が最初に仕掛けていくことを決めて、そのきっかけとしてアートと連携する、というストーリーを描いていたのですが、大阪府の中では、ゲートのような人の来ないところでアートイベントをすることに否定的な意見もあった。そのなかで、大阪府の文化課が、それでもゲートでおおさかカンヴァスをやること決めてくれたので、先行してアートイベントを実施して、その後ハートビートさん中心に次の都市側のストーリーを作っていく、という流れとなり、すごく良い連携だったなと思います。


アートが無かったら全然こうなってないですもんね。

忽那氏
僕がずっと言っている中間支援組織っていうことを、水都大阪で泉さんと一緒に実現しました。泉さんたちと僕らは主に中之島を担当したのですけど、アートが単独で実施されていれば、アートイベントだけで終わってた可能性もあったけれど、そのストーリーが漁港まで繋がっていった。僕ら水都大阪パートナーズという中間支援組織がなければストーリー化できていなかった。アートも大切やし、都市を創るのも大切だけど、それをストーリー化するストーリーテラーとしての中間支援組織もそれぞれのまちにとってすごい大切だなと思います。

 寺浦氏
 もう一つは都市インフラの成果にも焦点を当てるっていうのが、アートの一つの大きな役割としてあると思っています。これは道頓堀で実施したプロジェクトです。護岸がそびえ立って親水空間が無かったところに大阪市さんが遊歩道を整備されて、川と人間を近づけるという整備をされたおかげでClass株式会社さんの「ローリングスシー」のようなプロジェクトもできるようになって、人々が河の水面間近でアートを鑑賞するようなことができた。アーティストにとっては大阪は回転寿司発祥ということで、こういうことをやりたいっていうことなんですけども、都市側にとっては都市インフラの成果というのをアートでしっかりと光を当てて見せることができるということで、非常に良いコラボレーションになったなと思っています。当時阪神の優勝の時よりもたくさんの人が来て、事故が起こる可能性もあって、どうしようかなと思ったんですけど、日本シティサップ協会代表の奥谷さんに協力してもらって、スシーの隊列をゆっくりと先導してもらうとともに、最後尾にSUP2隻についてもらって、スシーが護岸に当たりそうになったら後ろからつんつんとつついてもらいました。

Cass株式会社「ローリングスシー」

忽那氏
 振れ留めが一番の問題だったのでね。

寺浦氏
そうですね。人が護岸に溢れて事故が起きてしまうかも問題については、このエリアを指定管理で受けている南海の方に相談したら、むちゃくちゃゆっくり動いたら絶対大丈夫って言われて、すっごいスローで動かした結果、誰も走らずじっくり見てくれたので、事故なくできました。

田中
これは何で動いているんですか

寺浦氏
これは前で奥谷さんが引っ張ってくれているんですよ。


寿司が全部繋がってて、奥谷さんがゴムボートで引っ張ってくれてる。

野﨑
ツンツンで動くということは発泡スチロールとかですか。

寺浦氏
そうです。発泡スチロールの原型に塗装しています。元々アーティストが中に乗り込んで自分達で動かすという案だったのですが、ひっくり返って絶対死ぬってなって、それはやめてくださいってことで、こちらから色々提案してこの形になりました。
実際に河川で実施したところ、めちゃ話題になりました。この写真がSNSなどでいっぱい拡散されて、中国とかアジアからたくさんお客さんが見に来るような形になって。こういうのを毎年できたら大阪も本当に文化都市としてアピールできるのにな、と思うんですけれども。

それからこれが先程忽那さんが言っていた、アーティスト以外の人たちのアイディアも面白ければやるっていうところで実現した作品ですが、彼らはテーマパークで水中に落ちた恐竜のパーツを探したり、河に落ちたものを探すといったプロの職人の人たちなんですけれども、彼らがぜひカンヴァスに参加したいということで、水の入ったチューブを作って、その中でずっとエクセルの表を作ったり本を読んだり、作業したりして、働く大阪のサラリーマンを勇気づけるんだっていうプロジェクトです。

水中の便利屋「水面下で働く人 ~underwater office~」

忽那氏
すごい真面目な顔して水中で作業していて、それがもうギャップで面白かった。

寺浦氏
アーティストではない人たちなんですけど、面白ければやろうっていうのがこのカンヴァスの特徴ですね。まちがちゃんと受け止めて、実現していくっていう都市になればいいなと。

大阪カンヴァス推進事業は、全国知事会の第7回先進政策大賞を2014年に受賞してまして、その年に応募された教育、福祉、土木など、全政策の中で第一位になってしまったんですね。当時は熊本県のくまモン事業が絶対取るって言われたので、くまモンの本物が受賞を見込んで表彰式に来てたんですが、私たちが取ってしまったので、くまもんが取れなかったという新聞記事になってました。
 おおさかカンヴァスは2016年で終了したのですが、最終年は、本当はまちなかでやりたかったんですけれども、諸事情で万博記念公園での実施となりました。


ちびがっつというアーティストは実施期間中、腕を絶対おろさずに太陽の塔に対峙し続けるということをやってくれました。福笑いは高校生の作品ですね。岡本太郎に挑むことをテーマに実施しました。

手前:ちびがっつ「太陽の人」、奥:松蔭中学校・高等学校 美術部「おおさか福笑い」

これからについてですが、例えばヴァーティカルダンス(ビルの壁面を舞台に空中で踊るパフォーマンス)、enocoで実際やったりしてるんですけど、こういったパフォーマンスや空中綱渡りなどをなんば広場などで自由にやれるような、そんな大阪の都市になったらいいなと思ってます。
今、経産省が、全国の公共空間をアートや文化で活かして地方を文化で再興するパーセントフォーアート事業を進めています。その担当者の方によると、おおさかカンヴァスが最適なモデルのひとつだということで、全国の自治体でそういうことを進めていきたいということだそうです。規制緩和や条例設置などを経産省が後押しするような事業ですので、ぜひ皆さんも都市のまちづくりの中でもアートの実装について考えていただいて、一緒にできればなあと思っているところです。
 
忽那氏
中心市街地活性化に対する制度や補助の次のものとして、地方創生・地方再生に対して経産省が何ができるかっていうことを色々考えていて、その一つがアートである、という事業だと僕は捉えています。おおさかカンヴァスの前に寺浦さんが北川フラムさんとやっていたアートプロジェクト(大阪・アート・カレイドスコープ)の作品のなかには、地域の人から話を聞いて、昔ずっと使われていたのに、今は使われなくなった言葉や、昔は鯉が釣れましたというような文言をオブジェにして、川辺に設置したりするプロジェクトがありました。そういうことをきっかけとして、都市あるいは地方の忘れられた資源を発掘・視覚化して、産業構造を含め疲弊化している部分にアートやデザインを活用して再生していくっていうやり方が重要ではないかと思っています。パーセントフォーアート事業はまだ模索状態という形ですが、面白いチャレンジだなと思っています。ハートビートさんがやっている都市づくりや再生プログラムや、僕らが実践しているランドスケープデザインに、アートや文化的なことを実装していくことで、ストーリーができるきっかけができたら面白いんちゃうかということを経産省に言ってます。

◯デザインへの想い・プロジェクト紹介


忽那氏
住んでいる人や訪れる人が場を楽しく使いこなせる状況を作りたいというのが一番で、まちの魅力というのはそういうことが積み重なって実現できると考えているので、人が美しく見える風景を作りたいというのが僕のデザインの想いです。そういうことはやっぱり広場や道路、河川などのオープンスペースなど、ライフスタイルを豊かにしたいと思える場で花が咲くのだと思うし、そういう意味で身近な小さな公園などにもその可能性がある。それをオープンスペースネットワークという言い方をしていますが、人の行動と都市の構造が繋がってくるといいなと思っています。

僕らはランドスケープデザインということで公園のデザインなどを主戦場にしていた業界です。造園の人たちにとっては新規取得の公園はもうほとんど無いので、非常に苦しい状況です。その中で道路や河川が解放されてきて、土木系の人たちと僕ら造園系の人たちが、デザインをするという状況にあります。。先ほどのおおさかカンヴァスのように、アート作品やパフォーマンスを都市で展開するとか、インスタレーション的なものがずっと変化しつづけて表現される都市とか、そういうようなものが風景の一環として作られていくといいなと思っています。なんば広場でも言ってますけど、舞台としての建築、あるいはランドスケープ、というような話の作り方を今まではしてなくて、 用の美の話はしてたのですけど、使いこなす美というのは全然できてなかったので、それをやってきたというところですね。

そういった僕自身の事例を紹介していくと、まずはなんばパークスのランドスケープをデザインしました。

これは赤羽の団地再生です。ここは元々、車道だったところを広げて広場にするという建て替えのモデルです。有名な建築家が継続的に採用されて団地再生をしていくというものなのですが、こういう12層の建物が20棟くらい建て替えられる。また、八王子にあったURの研究所のようなところをここに持ってきて、博物館を作る計画もあります。このランドスケープをE-DESIGNがやっています。色々な人が色々な個性でやっていくのは僕はすごい良いと思うのですが、アートも含めてそれを受け止める皿としての環境と一体的に作るほうが、それに載せる料理(建築やアート)も美しくも見えるし、バラバラなものに見えないという話をしたいなと思います。

パブリック空間というのは別に行政の持っている土地だけじゃなくて、大学のキャンパスも当てはまると考えていて、多くの事例に携わっています。これ近畿大学のキャンパスです。

これは千里リハビリテーション病院です。運動機能を訓練する部屋があるのですが、その部屋で患者さんがリハビリテーションのメニューをこなすと、医療のポイントが付いて、病院も収入が増える。だけどボールを握らされるような単純な訓練だと退屈なので、患者さんが断ったりするのですが、園芸療法をやっている若い女性を僕らが紹介して、その女性に園芸の作業を頼まれると「わしには力がないから無理じゃ」と言ってたじいちゃんがいきなりスコップをグッと握って作業ができるようになったりする。モチベーションがちゃんとあると訓練も自発的にできるようになる。モチベーションが高まるプログラムを作って、患者側に達成度があったら病院側も儲かる。そんなモチベーションコントロールをしながらリハビリをする仕組みを作らないとね。結果的には、掘るっていうリハビリテーションメニューができたりしました。コミュニケーションできないと思ってる患者さんが農家さんだったので、畑をできる場所を作って活動しやすくしたり。それぞれ自分の活躍する役割を見つけると、その人たちがすごくクリエイティブになっていくっていうのが面白くて。おおさかカンヴァスではアーティストではない人たちの作品も実現していきましたが、たとえ市民や病人であっても、誰もがクリエイティブになれる状況を作っていかないとだめやなと思っています。

これは草津川跡地公園で、河川だったところを公園にしたものです。studio-Lと一緒にやりました。元々基本計画があって、基本設計のプロポで応募したのですが、その時に「基本計画を全てゼロから見直します。そうでないと僕はこの仕事は引き受けません」とプロポの提案の段階で主張しました。プロポに応募する立場で何を言ってるねんという感じですけど。実際、市民など参画している人が少ない状況でもあったので、元の計画のまま進めたのでは、この場所がもともと持っていた歴史や意味が無くなってしまうと思ったんです。アーティスト的な人もくるしクリエイターも来るし、自分の強い想いを持っている人たちを全部集めて風景化するという計画になると、それに関わりたい人も増える。なのに、行政の人は誰にも頼まず自分でやろうとする人が多すぎる。予算が無いから自分で考えるしかないという状況なのだろうけれど、そうやって行政が一方的に作った計画を押し付けられた形でやるというのは、本当に市民が実現したいものと違う仕様になるから、それを変えなければならないと思った。だからプロポの段階で、市や企業や我々が、対等にトライセクター型でやっていくという提案をした。結果、もう1回リスタートして、計画を作って、設計作業を同時にやっていくという提案が通ったわけです。設計が終わって公園が竣工し、今は指定管理も我々がやっています。

僕が「かたち」「うごき」「しくみ」と呼んでいるものがある。デザインとかクリエイティブはだいたい「かたち」の話ばかりになるのですが、「しくみ」と、「使いこなし」(うごき)のデザインをしていく必要がある。大抵「かたち」を作ってから「使いこなし」の話をするのですが、それだと「使いこなし」がうまくいかないとわかった。「しくみ」を変えてから、次に「かたち」を作らないといけないので、先に「かたち」を作ってからじゃ遅いんです。例えば空き地があったとします。まずは使いこなすという話を先にやって、どうやらこんなことをやりたいという人がいっぱいいる、あるいはこんなことをやりたいというアーティストの提案があるんやったら、じゃあやれるように条例やルールなどの仕組みを変えるデザインをして、その状況から形のデザインをする方が舞台の設計は上手くいくと思います。先に形だけ先行してやっていくというのが一番あかんなと思います。

これは阪神淡路大震災の時に被災した大日6丁目という商店街に僕たちが入ったときの事例ですが、街は疲弊しまくってます。バブルがはじける、鉄工所が無くなる…。このときは商店街の空き店舗率が5割というような状況でした。

このアーケードの架け替えのデザインを頼まれたのですけど、それを5億かけて付け替えても無駄だと思って、そうじゃなくて、子ども達に将来の夢、今の地域の良さを表す言葉を一文字で書いてくださいっていうコンペをアーティストと組んで実施しました。商店街のおじちゃんやおばちゃんが審査員になって、選んだ文字11枚をフラッグにしてアーケードに架けました。一枚5万円だったんで、5億かかるのが55万で済みました。子どもたちやその両親、おじいちゃん、おばあちゃんなど、たくさんの人が商店街に来てくれるきっかけにもなりました。

そもそも、この商店街に関わるのもプロポに通ったからです。名だたる都市計画家や、商業コンサルの人たちも含めた地域活性化の指名コンペだったんですが、僕らも指名メンバーに入れてもらって、プレゼンをしたのですが、審査員のおじさんが「お前ら何やってくれるねん」とか、そんなことばっかり言われて、腹が立ってきて。その時からプロポで喧嘩する癖がついたんですけど、「やるのはあなたたちです。コンサルに資料だけ作らせても商店街は活性化しない。あなたたちが行動しないとあかんねん。」と主張した。その結果、プロポに通ったんです。このプロジェクトに関わり始めたのが僕が独立するきっかけとなった。
この商店街ではまちづくりの議論を3年も続けていて、アーケードの付け替えもできない状況だったんですけども、僕らが入り始めて、ワークショップを積み重ねた結果、3ヶ月で答えが出たんですね。ワークショップをひとつやれば決まったことを実施して成果を出す、またひとつやったら成果を出すっていうように、小さく成果を回収しながらやっていくっていうことが大事かなと思います。
ここの商店街の真ん中で会議をやろうと言って、通勤・通学中の人たちに「何してはりますの?」とか言われたり。朝市やったりとか、鎮魂の意味を込めたヒト・モノ写真展とか、小学生の子の見守りとか、そのお返しに小学校のプログラムを全部引き受けるとか。卒業式に何したいと聞いたら「皆のために陶器市がしたい」と、めっちゃ渋いことを言う小学生もいて、実現させたりしました。

かたちのデザインだけで終わっていたら、商店街との関係もそれまでやったんですけど、この場所は神戸市の仮換地の場所なんで、そこを1年か2年貸してくださいという話をして、結果10年借りることになりました。そのあと病院がきて、病院に来る人も商店街を歩くようになった。空き店舗もまだありますけど、今は空き店舗は2~3割ぐらいになったということです。商店街の倉庫を回って、要らなくなくなったものを集めてチャレンジショップやったりとかもしましたが、やっぱり仕組みを変えないとあかんと思います。僕がそういうことをやった最初が、この商店街の事例かなと思います。もう一度繰り返すと、先に「うごき」、つまり関わる人たちの活動から始めて、その次に商店街も含めた「しくみ」を変え、それから「かたち」のデザインをしていく、ということが大切だなと思ってやってきたということです。 

〇大阪府立江之子島文化芸術創造センター(enoco)

忽那氏
ここから大阪府立江之子島文化芸術創造センター(enoco)の話をします。水都にかかわり始めたのは寺浦さんがきっかけです。

大阪府立江之子島文化芸術創造センター:E-DESIGNは2012年から10年間、指定管理を務めた

寺浦氏
私は水都大阪2009でアートプログラムのチーフ・キュレーターを務めるのと並行して、enocoの企画・立ち上げも準備していました。もともとはenocoを現代アートに特化したアートセンターにする計画を進めていたのですが、当時の橋下知事が従来型のアートセンターには反対で、enocoの計画そのものが白紙になる可能性もありました。そんなときに、水都大阪2009でいろんなアーティストやクリエイターがわいわいやってるのを橋下知事が見ていて、アートに対する考えも変わってきていたので、enocoを通常のアートセンターではなく、そういった多様なクリエイターが集まる拠点にして、課題解決などもやっていくというコンセプトに変更してプレゼンをしたところ、やっとGOサインが出たといういきさつがありました。

忽那氏
E-DESIGN は長谷工コミュニティと組んでenocoの指定管理を2期10年やりました。enocoは色々なことをやってたんですけれども、一つはクリエイティブ・フォーラムというのをやっていました。さっきお話した「かたち・しくみ・うごき」を同時にデザインしていくという視点について、海外ではちゃんと考えてやっているし、その話をしっかり皆と共有して、大阪でも実践しようという話をしたかったというところです。
もう一つは、大学の先生も含め、委員会に行ったら謝礼15,000円とか買い叩かれているっていうのを変えたかったということです。クリエイティブ・フォーラムは指定管理の中でもらったお金で僕らが運用するので、NYのブライアントパークに関わったノーマン・ミンツさんに来てもらった時も、飛行機代や講師料など彼のポジションに見合う手当をちゃんと位置付けて支払った。海外は普通そうですからね。そういうことをきちんと積み重ねていくことでクリエイターにお金がいく、あるいは尊敬されるというあり方になる。

・プラットフォーム形成支援事業

地方創生や地域の課題解決にクリエイターを位置づけてて進めようしたのが、デザインの力で解決していく「プラットフォーム形成支援事業」です。おおさかカンヴァスのような事例を地域に見合う形で実施して活性化を目指す、というようなことにチャレンジしました。
 情報量の格差があるなかで、いろんな立場の人を集めるだけ集めて「お前が考えろ」っていうワークショップは一番だめだと思っていて、行政も企業もすべての参加者に同じ情報を全部共有したうえで、関わる人全員でプラットフォームを形成して課題解決を進めるサポートをする、というのがプラットフォーム形成支援事業です。市区町村から寄せられる課題から毎年いくつか選定して、enocoと大阪府が協働して解決を目指しました。

・木津川遊歩空間整備事業

木津川遊歩空間整備事業、これが一番大きな事例です。土木の設計は入札で、安い値段を入れた業者が事業を取るというしくみで、クリエイターのアイデアがまったく採用されない。だから、大阪府の事業の中に、資格をまったく問わないコンペを作りました。住民ワークショップをやって、公募の条件を決めて、最初に優秀作品を5個選んで、各々が最終提案として形になるまで僕らもできるだけサポートしたうえで最優秀案を選ぶという仕組みとした。



普通だと、大阪府が土木コンサルを選んで、土木コンサルがつまらない絵を描いて、大阪府が「こんなんがええかな」っていうつまらない話をして、工事入札して終わりっていうことになるけど、それではあかんと。

忽那氏
それだとアイディアが問われる社会になってないので。実績ばっかり問われて、その実績も失敗した実績ばっかりだから、新しい若い人のアイディアが活かされない。なんなら市民でもすごい頑張る人は提案できるような人になっていくんです。大阪府の設計のコンサルの実績がないだけで、アイディアはすごい良いんですよ。だから資格を問わないコンペを設計したんです。アイディアが通れば、もしかしたら学生でも技術者とJVを組んで、いきなり独立してやっていくということも可能になる。 


すごい画期的ですよね、これはアイディアを問おうと思っても、土木の設計だから土木の技術資格を持ってないと駄目だし、コンサルタントじゃないとそもそも入札で一番安い業者が選ばれるから。だから普通のデザイナーとか学生とかはアイディアがあっても応募すらできない。でもその人たちは土木の構造も理解してないからその人たちのアイディアだけでもできない。

忽那氏
アイディアはいいけど、コスト内に収まっているか、構造的には大丈夫かということをサポートしていく仕組みをつくりました。このときは豪華なメンバーで、審査員に篠原修さん、みかんぐみの曽我部昌史さんたちに入っていただいて、応募者のテクニカルサポートをするのを僕と西村浩さんと小野寺康さんが担当しました。

有賀
一次審査の時点でそのテクニカル部分は問うてないのですよね。

忽那氏
審査員のそれぞれがこれはちょっと技術的に無理とか、コスト的に無理とか思っている人はいますけど、一次審査ではアイディアの問題。一次審査を通ったアイディアについては僕たちがサポートしてブラッシュアップをして、二次審査で最優秀のプランを決定する。最終審査の時には、各応募者に実際にプレゼンしてもらうんですけど、それも全部公開してやりました。

有賀
すごいですね、5点の優秀作品に全部プロが付いてるんですもんね。

忽那氏
 僕はもうやっぱりね、人とか会社をどう選ぶか、それ自体がデザインやと思うので、日本はそれもデザインだという発想がない。その時参考にしたのは、デザインコンペとかプロポを作る人を選ぶコンペが海外にあるということ。そこで5社競争するようなコンペが生まれていて、それに全体の事業費コストの2.5%をコンペ作りのために掛けろというのが、ドイツの法律で決まっていてる。そういうところが感動的にかっこいい。ポートランドなどでやってるのは、ワークショップの実施に対して例えば2千万円の予算がついていて、どんなプランが出てくる可能性があるかをフィージビリティスタディをして、リーガルチェックして、予算内に収まるかチェックして、その条件の中でアイディアを出してくださいというかたちでワークショップをします。ワークショップで決まったアイディアについては、もともと定めた条件の中にあるんやったら絶対実現しますと法令で決めている。それを実現しなかったらワークショップに使った2千万円もドブに捨てることになるし、時間も捨てることになるから、行政が訴えられたら負けることになるという条件を行政自らが作ってやってる。
なんで日本はそういうことができないのかっていう話なのですが、木津川では色んな人が動いてくれて、行政の中に位置付けることができた。当時28歳の建築家の岩瀬諒子さんが、土木の実績もほとんどないなか、最優秀案に選ばれて、トコトコダンダンという遊歩空間が実現した。これを寺浦さんがいた文化課と河川課とが共同でコンペをするという、先例のないやり方で進めました。

行政と専門家と市民によるトライセクターがプラットフォームを形成して、その中心にenocoがコーディネーターとしてトライセクターリーダーをする、という仕組みです。

できるだけ作っている現場を子供たちに見てほしいということで見学会をしたりなど、いろんなチャレンジをしました。

やっぱりパブリックの空間で何かクリエイティブなことや新しいことをやるというのは、どうしても軋轢が出てくるので、丁寧に話をする部分と、おかしなことをいう人には断固とした姿勢で当たる、というところを同時にやっていく。


こういうのがenocoに相談に来るのですか? 

忽那氏
プラットフォーム形成支援事業は大阪府の事業なので、各自治体に公募のお知らせをして、応募があった中から選定した案件について大阪府とenoco が一緒に課題解決をサポートする事業ですが、enoco独自で多用な主体から相談を受ける枠組みもあって(エノソーダンという相談事業)、二つの流れがありますね。


自治体はenocoにお金を払うんですか。 

忽那氏
プラットフォーム形成支援事業は大阪府が予算を持っていて、各自治体の課題解決に予算を割り付けて、それをenoco に委託する形で実施していました。例えば他の自治体にも汎用性があるような自治体の課題については、大阪府が300万円の予算をつけて、向こうの自治体の予算が0でも最初の初動期はサポートすることもある。各自治体は初動期の予算を取れないんですよね。初動期をプラットフォーム形成支援事業の予算で実施して、その300万円で実績をつくって、その次の年に各自治体が自分の力で予算を付けてやっていくという形。最初のドライブを300万でやっていくとか、最初から向こうが100万持ってるけど100万じゃあ充分できへんから大阪府で200万足すとか、あるいはやる気のない自治体の提案は切るとか、そういうことを大阪府とenocoでやってきた。enocoにお任せでなく、自治体自ら本気でやるというところでなければ僕らはアドバイスしないという姿勢でやってきた。

・河川の防災マップ

これは河川部局から防災マップを作りたいという相談が来た事例。地域の自治会主導で防災マップをつくるということが従来的なやり方なのですが、今の自治会には人を集める力がなくなっているところも多く、高齢者が中心の自治会もたくさんある。昔にマップを作ったきり、更新されない例も多く、また高齢者がたった数人で集まって防災マップをつくろうとしているようなところもあったので、それはもうあかんって言って、一番伝えないとだめなのは子供たちでしょっていう話で、同じマップを作るお金があるんだったら、大阪府のプラットフォーム形成支援事業のお金も足して、クリエイターをプロセスに位置づけて、PTAなど関係者にもヒアリングをして防災マップを作りましょうということを提案しました。河川部局としては、河川氾濫の防災マップを作りたいだけなんですけど、一般の人は河川氾濫についてはあんまり興味ないんですよ。河川の防災マップに協力してって言うだけではダメで、PTAは防犯マップも一緒にしてもらったほうがいいって言うんですね。ただ、河川部局の予算は防犯マップには使えないので、このプラットフォームのお金を足すことで進めました。ワークショップで、変質者が出現する場所や、防犯上危険な場所の情報を全部集めて、その情報に河川防災的視点で気を付ける場所も加えてルートをつくり、ルートのポイントごとに、変質者に変装した劇団員がいていきなり子どもたちを連れて行こうとしたり、防災に関するクイズを出す劇団員が突然登場したりして、子どもたちが実際に街を歩きながら防犯と防災について身をもって学ぶという防災演劇まち歩きの仕掛けを作ったんです。そして子供たちが学校に戻ってきて、ルートを歩いて実際に学んだこと、気づいたことを防災・防犯マップとして完成させる、ということをやりました。

・安威川

安威川ダムの建設を進めていたダム事務所から、安威川ダムが完成する前から地域の人たちと周辺の地域活性化を進めたいという相談がありました。今僕らは大和リースさんや吊り橋を作る事業者と一緒に組んで、このエリアのデザインと、設置される予定の公園の指定管理をやるというプランに関わっていますが、相談された時点ではダムの完成はまだまだ何年も先という状況で、都市の人がダムや、その周辺の環境に関わっていくきっかけをどうを作ろうか、ダムができてないうちから治水利水とかの話をどう考えていくかっていうことを議論する場を作りました。

もともと流域の32万戸に定期的に配布されていた安威川ダムニュースはダムや工事の話ばかりで誰も読まないものになっていたので、自然やお店、地域の人たちなど周辺環境の魅力を伝える媒体「安威川ニュース」に変えたりもしました。

またAIGAWA FESという形で、ダムが完成する前の工事の現場を見れるとか、地域の色々な手に職を持ってる人、アーティスト、漁協等、いろんな人に参加してもらってイベントをやりました。自分の特技を子供たちに伝えたい、クリエイティブになりたい、自分の役割を見つけたい、といった想いを持った人がたくさんいる。泉さんと一緒にした水都でも、人が来るのは良いんですけど、動員が目的とかいうのではなくて、もてなし側に回る人たちを増やすというのが、僕たちの一番の手法だということなんですね。毎年やるようになって人が増えてくる、関係者が増えてくる、メニュー提供者が増えてくる。地域のクリエイターみたいな人材を発掘するのが僕らの一番の仕事なので、木材で家具を作ってる人、茨城南高校の先生ですごいピザの作り方を知っている人など、そういった人たちを数珠つなぎにしていく。だからまあ、イベントが大切なんですけど、その作り方のプロセスにクリエイターを絡めさせていくというストーリーも大切で、それが繋がったよねっていうことを視覚化することがイベントになるのだと思います。


すごい何年も続いてますね。 

忽那氏
そうそう。ここは日本で一番都市部に近いダムなのですが、一方でダム周辺のエリアは過疎化しているので、バスが来ていなかった。そこにバスを運行させるとかっていう癖付けをさせる為に毎年やっているわけで、これだけ人が来たんでバスの定期運行も考えてみませんか?ってどんどん関係者を増やしていった。初動期・転換期・定着期という3年間が大体のタームになるので、こういうことは3年くらいやらないと定着していかない。

フェスに係る費用は最初のうちはダム事務所が払ってくれたんですけれども、それがなくなり、市に事業を移行してワークショップをやって、公園を作って、ダム完成後は吊り橋事業で儲かったお金の一部を市民活動のプラットフォームの応援のために充当させる、というようなスキームで進めています。コロナがあってプロポが遅れたので、僕たちが現場に帰ってくるのが遅くなったんですが、今もう一回プラットフォームを作り直しているところです。


これから指定管理でやろうっていうのはどういうことですか。

忽那氏
大阪府がダムを造って、その周辺の土地は茨木市が用地買収しました。元々、大阪府は18個の府営公園を持ってるんですけど、19番目の公園をここに作るって言ってたんです。ダムは治水と利水も含めた計画だったんですが、当時の橋下知事の考えで利水撤退したんですよ。だから市が用地買収をしてたのはめっちゃ大きかった。ただ、その場合、府営公園を整備するお金は無いという話なので、もう一回その周辺をどうするか市を中心に話をした。でも市もお金が無いから、民間に公園整備の一部の予算を出してもらう、その分、指定管理料を減らした形で指定管理制度で公園を運営をし、民間の儲かったお金で運用するという形です。そのスキームも僕らがずっと提案してたんですが、コロナがあったので遅れた。

・大阪国際がんセンター

忽那氏
 がんセンターから殺風景な病院にしたくないという相談があり、ここを美術館にしましょうという取り組みをしました。ただ、絵を展示してるだけだと病院としては手間がかかるだけなんですよね。しかし、「ここには何が描かれていますか?何色が見えますか?」と絵を通してコミュニケーションをすること自体がリハビリの治療になるので、海外ではそれを治療として位置づけてやっているんです。ただ、日本では医療行為としてはまだ認めらないという段階なので、療法という言い方をするんですけど、それを医療として施せる、医療ポイントになるようにもしましょうという提案をしています。

絵は半年に一回全部入れ替えていました。そうしないと作品保全ができないので、フロアごとに設定したテーマに合わせてどんどん変えていく。その展示替えの費用やパンフレットを制作する費用は全部この病院が負担しないとあかんことになるので、お金はかかるけれどもすごく好評です。そういう美術館並みの事業を、病院というアートの場所ではないところでやってきました。

大阪府が美術館を作らないという決定をしたので、本当は市の美術館に府の所蔵品を全部寄付して、それを運用したら良いなと思っているのですけど。こういう形で所蔵作品を活きたものにするという取り組みをしたわけです。

・おおさかカンヴァスの水平展開プロジェクト

忽那氏
おおさかカンヴァス事業を市町村でも展開し、課題解決に結びつけようという水平展開プロジェクトでは、交野市での「かたのカンヴァス」などがあります。市民の活動自体はいろいろあって盛んだけれどバラバラにやっていて、「それらを束ねてプラットフォームを作りたいけれど、どうしたらよいのか分からへんねん」っていう地域に対して、おおさかカンヴァス的な事業や水都大阪フェス的な活動を展開することを目標にして、ひとつの場所を共有してやっていってはどうかっていう提案をして、その実施をサポートしました。交野市では「交野おりひめ大学」という市民による自治的な活動体にもつながって、自分たちで米の栽培から始める酒づくりなど、色々な活動に繋がってます。僕たちは初動期をサポートすることが多いですね。泉南市でも埋蔵文化財センターの活性化と文化財の意義の周知を目指して、「せんなんカンヴァス」を実施しました。

枚方市ではモビリティ・マネジメントを広く市民に啓発したいということで、市民、交通事業者、NPO等とワークショップを実施し、啓発ツールとして「ひらかた交通すごろく」を作成しました。すごろくの作成にデザイナーに関わってもらい、クリエイターとの協働をおこないました。

豊能町ではシティブランディングやシティプロモーションのお手伝いをしました。有名人を呼んで集客して、市のいいところだけを紹介して、というようなやり方では意味がないので、市の魅力的なところをレポートする人、「トヨノノレポーター」をちゃんと市民から作りましょうねっていう提案をしました。僕らが関わる以前のワークショップには10人位しか集まらなかったらしいけれど、僕らはレポーターをボランティアでやってもらう代わりに、取材方法とか編集の仕方、写真の撮り方などをプロから無料で学べますという講座を実施しました。その結果、10代から85歳ぐらいの人たち80人ほどが集まったんです。「トヨノノPORTAL」というWEBサイトを立ち上げ、そこにトヨノノレポーターが市の魅力的な場所や人やモノを紹介、更新していくという仕組みを市民協働でつくりました。

こういうポータルサイトはスタートし始めた最初はいいんですが、しばらくすると宣伝するネタが無くなって更新が途絶えてダメになるので、それを止めるためにトヨノノドリームっていう事業をやりました。豊能町さんの各課に声をかけて、予算を集めてもらい、市民から町をよくするための提案を公募して、いい提案には予算をつけるというやり方です。提案者は公開で自分のアイデアをプレゼンし、市の予算の争奪戦をするような形になります。すごい面白い提案がいっぱい出てくるので「あんた10万円、君30万円」とか、案の選定と支援額を公開の審査会で決めるんです。

提案内容としては空き家開発とか農村を活性化するアイディアとかが出てきた。選定後、1年間の成果を共有しましょうというマルシェもやりました。僕たちがいう「フェス」というのは皆の活動を一日にすべて集めるという考え方なので、そこで自分達の成果を皆に見てもらうとしたわけです。「暮らしの見本市」みたいなコンセプトです。

このプロジェクトのプロセスを全部レポーターがレポートして、記事にして、ポータルにあげていくという形で関係づけているので、その達成するまでのプロセスや達成した成果がずっとレポートされ続けるという循環を作るわけです。
「トヨノノドリーム」で、空き家を使ってシェア住宅とかシェアオフィスを提案する人たちが豊能町の外部から来たので、そのプロジェクトでいきなり住民が増えるようなことも起こりました。

これまで説明してきました市町村等の課題解決事業は「プラットフォーム形成支援事業」としてその成果を冊子にとりまとめました。プランニングの仕方とか、トライセクターリーダーの作り方とか、まちづくりのノウハウとかデザインにつなげていく方法をまとめています。

〇質疑応答

山田
 おおさかカンヴァスの話の中で、アーティストであってもアーティストでなくても応募できることに意味があると思うのですけど、それで生まれる効果というか、アーティストを公募してやるということと、間口を広げるということで、どういう風に違いがあるのでしょうか。

寺浦氏
「おおさかカンヴァス」では、アートのためのアート・プロジェクトにはしたくなかったので、アイディアさえあれば都市や専門家がバックアップして実現しますよという形で実施しました。やりたいことがある人が提案できる、色々な人が応募できるということは都市にとっては重要なリソースだと思うので、「このアイディアを提案したら、もしかしたら実現できるのかも」って考える人が増えたっていうのは都市にとって大きなアドバンテージだと思っています。アイディアさえ面白ければ、それを拾う審査員もいて、めちゃくちゃなアイディアでも専門家じゃなくても実現できてしまうかもしれない都市にどんどん大阪がなっていけば良いんじゃないかなと。別にアーティストの専売特許でもなんでもなくて、面白い事をやりたい人がどんどんチャレンジできる都市、ということの方が都市としては面白いですし、逆にアーティストの案も弱ければ負けちゃうわけで、例えば西野さんの作品は圧倒的にパワフルなんですけど、逆にアーティストの案よりも、素人が面白いと考えて出した案が勝ったりだとかっていう形もある。じゃあクリエイティビティとは何だろうみたいな議論とかもあったりとかして、そういうのはやっぱり都市の中で重要な議論なのではないかなと思います。プロのアーティストの作品が売買されるマーケットはもちろん重要ですが、そうじゃないフィールドも必要じゃないかと思っていて。なので、おおさかカンヴァス的な事業はぜひ復活したいなあと思って画策しているところです。

忽那氏
カンヴァスはトコトコダンダンで岩瀬さんを選んだのと一緒で、僕はやっぱり選び方が重要だと思っています。過去の資格を問うなと言いたい。今現在の新しいアイディアを問うことが重要で、審査方法も含めて議論していました。アートは土木よりももっと資格を問わなくていいので、そういうことを大阪府でやったという実績は大きいと思う。トコトコダンダンだけではなくて、色々なところでアイディアを問う社会の仕組みが広がれば良いなと思います。
あと、カンヴァスでは審査員もアートの専門家以外の人も委員になっていて、社会企業家や、メディアの方などが入っていて、多様な視点から作品を選んでいました。「あんなものアートちゃう」と言われたりすることもありましたが、都市における公共空間だからこそ実現する意味がある作品を選んでいる、という姿勢でした。まあそういうことができるのも審査員のメンバーが良かったからですね。
カンヴァスで選ばれた人たちの中には、「隣の人間国宝」になったり、岡本太郎賞を取ったりとか、ものすごい出世するのですよ。都市に対して力を持つメッセージ性を持つものを作れる人っていうのは、そんなに多くなくて。そういうところでアーティストも都市ということを意識するし、本当はアートでやっていきたいと思っている建築家が学生と一緒に面白い作品を応募してきたり、戦いが起こる。だから何がアートなのか制限は無いわけで。都市で乱舞するという機会を作るということ自体に意味があると思うのですよね。

有賀
敢えて変な言い方ですけど、そうなった時に最初の設定、アーティストじゃない人も出せるっていう、アーティストっていう線引きはどこにあるのですか。

寺浦氏
なくていいと思ってます。アーティストとして、所謂ギャラリーがいて、マーケットにちゃんと作品を売ってというのはヨーロッパや日本でもあるのですが、私はそれとは違う市場もあっていいのではと。例えばカンヴァスで扱う作品がどんどんドバイで売れていくとか、そういう世界があっても良いのではと思っていて、そういうのを作りたいのですよね。でもそれって本筋の所謂アート界の人たちからするとバカみたいな世界だと思うんです。でもそれってほんとにバカみたいな世界なの?と。都市を豊かにしていくために、両方あって良いんじゃないか。都市のルールを変えていくとかいうのは、カンヴァスのようなプロジェクトだからこそできることもあるので、一緒にやりましょうよって話をいろんな方面でやってます。


クロスしてるとこありますよね。まちの色々なプロジェクトの中でも、そういう面白いクリエイティビティを発揮する人は、パブリックスペースを使って、「お、こんなことか」みたいなことをやったりしている人もいるし。でもその人はアーティストではないと。そういう寺浦さんみたいなプログラムに応募して、公共空間で都市の何かを新たな視点で見せるようなものをやることって、本当はそんなに違わないことなんですよね。その活躍の舞台が分かりにくいんですよね、多分。

忽那氏
僕は堺でもまちづくりをやってて、空き店舗を使ってアイディアを出して、商店街のおっちゃんに子供の面倒を2時間見てもらうとかっていうプロジェクトをしてるのですけど、そのおっちゃんに一度、水都大阪のアートの現場に見に来てもらった時に、カップルが互いにその時に着ている服を交換して、日頃、相手がやってる仕草を真似して、それを写真に撮るというアートをやっているアーティストがいたんです。それを見た瞬間、おじさんが「こんなやり方があるんや!」とものすごい楽しそうにしてて。アーティストの活動とか提案とかを実際に見ると、発想が豊かになって、自分もクリエイティブになれるっていう、それが面白いですね。そんなことがまちづくりと合致すると思う。本当はそうあるべきなんですよね。映像があったりパフォーマンスがあったり、デザインがあったり。それをずっと絡めながらやっていくべき。アーティストに補助金を出して囲い込んで、自分で稼がなくていいアーティストを作るというアート行政自体がおかしいのとちゃうんという話です。アーティストを支援することと、まちづくりを豊かにすることがWin-Winになるようなプログラムを提案できる人が必要です。

田中
なぜカンヴァスを今復活しようとしているんですか。

寺浦氏
行政はセーフティネット的にやり続けないといけない事業以外は、毎年その成果を問われ、当初の目的を果たしたと査定されると、一方的に終了させられることも多いです。カンヴァスも一定の成果を出したということで2016年で終了しました。
しかしそれ以降、先ほどお話しした経産省の動きがあったり、これから万博もひかえていますし、大阪は忽那さん泉さんたちの取り組みのおかげもあって、道路も水辺も公園もめちゃくちゃ先進的な活動が行われています。大阪としてはそれを利用しない手はなくて、公共空間にアートを持ってきたら日本全国一番になれますよねっていう思いがあります。先日、大阪府さんがアートの事業をくみたてる際にヒアリングに来られたので、公共空間でのアート展開を必ずメニューに入れるべきと提案しました。大阪の行政の方々が、公共空間にアートを実装することに対して、いかに大阪はアドバンテージがあるということを理解して、事業や予算がそういう施策の実現のために集中するっていうのを目指しています。

忽那氏
カンヴァスは行政の予算でやって、一定成果が出たわけだけど、だからといってずっと行政がやり続けるのもおかしい。最初のきっかけが行政のお金であったとしても、民間のお金で続ける、あるいはマーケット化するっていうことに行かなあかんと思うので、次はマーケット化などを狙ったカンヴァスの可能性も含めて考えていきたいと思ってる。
面白かったのが、寺浦さんが大阪府を辞めた3カ月後だったかな、カンヴァスを復活させたいっていう民間からの提案が直接、寺浦さんに来たのですよ。IRを進めている企業がIRの会場だけでなく、まちなかにもちゃんと貢献したいという思いがあって、まちなかでカンヴァスを実施したいということでした。一方、夢洲のIRサイトでは世界的なアーティストの作品が展示されるわけです。僕らが彼らに提案したのは、IRの会場でも若手アーティストを登用すべきということです。そうすると、世界的なアーティストの作品と同じ空間に置かれることになるので、若いアーティストにとっては大きな実績になるのですよね。もう一つは東大阪などの工場の技術と、クリエイターの人たちが協働して、アートを生み出すという展開。ラスベガスでは「これなんぼ?」ってキャッシュでアートを買う人もいる世界なので、IRサイトでアートを展示し、まちなかでは、道路、公園、河川を活用してアートをカンヴァス的に展開して、まちなかで評価された作品はIRサイトにも展示されるという仕組みをつくって、公共空間の活性化をしましょうという提案を計画に盛り込んでもらっています。


それはIR事業者以外も、そういうことにお金を出してくれる可能性はあるのですかね。

忽那氏
かなり厳しいと思うねんけど、結構な予算が投入されているのにアイディアがしょぼい事業を、ブラッシュアップするところから入り込んでいく必要がある。僕らもハートビートさんもチラシ一つで集まる人が変わることがわかっているから、ワークショップでも、チラシ費用をちゃんとみてもらってデザイナーにデザインしてもらうっていうことをやりますが、段々それが当たり前になりつつあります。そういうデザイン性とかクリエイティビティ性がまちづくりには必要で、そうでないとそのまちが死ぬんですよということが理解されつつありますね。そういう意味では、ブランディングなどにプロのクリエイターが関わってくれなかったら、まちが死ぬと言う感じを分かってきているまちがあるのは、簡単には言えないけどチャンスかなと思うけど。

有賀
それで難しいなと思ったのは、民間の企業のスポンサーが出ることよりも、公共空間での表現があって、そこがマーケットになるっていう話の方が僕はぴんとくるんですけど、スポンサーになっちゃうとマーケットにならないじゃないですか。そこはスポンサーするところが抱えた話になる。忽那さんが言ったラスベガスで3億払って、パっと買っていくみたいな世界が僕はなんか面白いなと思うんですよね。公共空間で表現できて、置かれてるものがそのままマーケットにっていうのをどういう風にやっていくのかなと。そこのお金の流れがどうなるのか。そうなると、作る方がまずはお金を投資して作らなきゃいけなくなるじゃないですか。そうするとすごく都市にインパクトがあるものを作るときには制約にもなる。それともマーケットになるよりも、ちゃんとスポンサーがついて、ある種の都市のホスピタリティみたいな位置づけで作品が展開されるっていう方が良いのか。

忽那氏
それを2つに分けるのではなくて、2つともやるべきだと思ってます。寄付の文化が無い無いと言ってる日本の中では、もうちょっと寄付文化とかドネーションに対する理解を広めていかないとあかん。クラウドファンディングとか、今の団塊の世代が死んでいく時に、やっぱりちゃんと寄付して死んでいこうという人が増えてきてるっていうのは、チャンスと思っていて、それをドネーションでやっていくっていう話もあるし、儲かった企業が所蔵品として作品を買うっていう話が日本の中では一番多いと思います。公共空間でぽんって建てた作品が売れることもあるし、これを作った人の他の作品が欲しいと言う人もいると思います。これがアートの売買にも繋がってきたら良いと思うし、クラウドファンディングに参加して都市のことが見えてきた人が、それをきっかけに違う作品を買うということもあり得る。先日、世界的に売れているNY_さんというアーティストを招いて、enocoの指定管理として最後のシンポジウムを開いたのですが、そのテーマがNFTでした。NFT、つまりノンファンジブル・トークンという世界をクリエイターとしてどう考えるかということについて話を聞きました。それと日常と何が繋がってて、何が繋がってないのか、繋がってないからこそのプラットフォームにどういうお金が入りこんでるのかというのを研究すると面白いなと思ってて。一番チャンスだなと思ったのは、現実の空間でも、買い物で歩き回った後に休憩する場所があるじゃないですか。ネットの仮想現実空間の中でも、ちょっとした広場とか公園みたいな空間があるんですよ。アバターがそこでちょっとぼーっとするらしいですね。そのデザインが稚拙すぎる。ネットのパブリック空間デザイナーとしてデビューしよかなと。

有賀
日本もめっちゃ閉鎖的なオークションやってますが、公共空間に置かれることで、ギャラリー空間が介在しないマーケットっていうのはすごい良いなって思ってます。そういうまちになったら良いなと。
 
忽那氏
アートの関係者だけでそういうことをやろうとすると大変だし、うまくいかないところもあるので、まちづくりの人たちがつくる中間支援組織のプラットフォーム、そのまちの規模とかテーマによって有り方は様々なんですが、そういう中間組織的プラットフォームにアートも乗せていって、その中間組織の差配の中にアートの売買を手掛けるギャラリストの視点とかデザインの視点とかマーケットの仕組みとか、起業するスタートアップとか、ちゃんと商売が回るのかとか、そういうことを統括して、都市の中でアートも一緒にやりましょうという仕組みに、僕はすごい可能性があると思うんですね。

園田
都市側の視点でいくと、さっきのご説明だとカンヴァス事業は行政の理屈で定着したんで役割を果たしたので終わりますっていうことでしたけど、突破口としてはそういうプロジェクトだからっていう位置づけで規制緩和を一時的にやって、定常化できるものは緩和したまま定常化するみたいな話になれば、多分カンヴァス事業じゃなくても日常的に公園とか河川とかで表現活動をして、さっき言ってたアートマーケットに対してアートを売って生きてくんじゃない表現を自由にできるっていうことだけでいけば、色々な定着の仕方はあり得るかなと思うんですよね。そこでいくと、カンヴァス事業を契機に、別にカンヴァス事業じゃないけどこういうものが続いてるよとか、その後ここでこういうことが定着してたり、もう少しローカルなエリアで、うちの地域でなんか支援するから、カンヴァス事業じゃなくても府の事業じゃなくてもうちの地域でやり続けてるとか、そんな話ってあるのですか。

寺浦氏
都市とアートを掛け合わせることで都市空間やルールなど、都市の部分で変わっていくようなことに面白さを見いだせているクリエイターとかアーティストはまだ少ない印象です。アートとして自分たちがやりたいことをどう担保するかという視点のほうに重きが置かれている部分が大きい事例のほうが多いと感じます。もちろん、どちらの視点も大切なのですが、前者のほうもやっていかないと、都市は変わらないと思っていて。越後妻有トリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭は、舞台が里山だったり島だったり、制約が少ないから成り立つ部分があります。でも、都市でやるとなると、本当にできない事だらけなんですよね。その中で自分の表現を叩いて叩いて変えてでも都市で表現しようっていうアーティストはまだまだ少ない。作品の形を変えないといけないことを飲めるアーティストもいれば、そんなんだったらもうやめますって言う人もいて、そこで心折れずに都市とどうやって共存するのか、それが都市にとってどういう意味になるのかまで考えて、突き詰めようというアーティストはまだまだ少ないです。だから共存できるアーティストがもっと増えるといいなあと思っています。

忽那氏
水都大阪2009やおおさかカンヴァスでは、そういうアーティストにたくさん出会えましたね。もう一つ、僕は芝生に入ったらアカンて看板がある芝生広場が一番嫌いなんですけど、水都フェスの舞台でもあった中之島公園は最初から芝生に入ってよかったのですけど、やっぱり皆入らなかったんです。それがこのフェスを継続してやってると入るようになった。もちろん時流もあるのですが、やはりフェスを通して使いこなした記憶が、今ここを使う自由さに繋がっていると僕は思っていて、アート自体の成果がどこにあったのですかと問われるとまともに説明できない部分はあるのですけど、園田さんが言ってたみたいに、そういうところが僕は活かされてるのではないかと思います。
これからなんば広場がオープンしていくわけですが、静岡でやっているような大道芸フェスみたいに、空間に人の行動が自由に満ち溢れているというイメージが最初に付くかどうかは、なんば広場の命運を握っていると思います。
大阪では巨大なアヒルのアートであるラバーダックは何度も展示してますが、東京も何回もチャレンジしてるけど、どこでも成立してないんですよね。最初は皇居に浮かべるとかいうアイデアもあったけれど、皇居はあかんやろとか、隅田川もあかんかったし、やっぱり受け止め方っていう話はある。カンヴァスのようなものがあったことが大きな違いで、大阪の「やってみなはれ精神」が出てる。だからそれを継続的にやる仕組みを作っていきたい。やっぱり公園の方がどう考えてもやりやすいですよね。道路でやろうとすると警察との協議なども必要なので。
公園のPARK-PFI制度を作った時の課長ともずっと話をしてるんやけど、その課長いわく「いえいえ公園法にはやったらいけないことなど何も書いてません」と。PARK-PFIというのは、元々、公園でできたことを再度やろうよってエンジンをかけるために作った制度。だから先程の高さ制限のような内規自体がね、禁止の理由が全く分からないです。理由がわかれば、俺らもどうやってこれを超えてよいのか説明するけど、相手の禁止の理由がなんでか分からへんと、それを超える理由をこっちが考えることができないっていうのは、論理的におかしいじゃないですか。そういうところで、アートの持つ力は違う関係性をめぐる展開を生み出すので、それでなぜ禁止なのかという議論のなかで、内規がおかしいよねと。0から考えたら良いのちゃうかという話ができるきっかけになるんですよ。

有賀
寺浦さんの規制緩和と都市のポテンシャルを映し出す、生み出すみたいなのがすごい良いですよね。僕フラムさんと付き合いがある時に「アートは都市の病理を映し出すカルテ」みたいなことをよく言っていて、すごい今日の話で納得感がありました。できるはずなのにできない、できないものになっちゃってる、やったら気持ちいいのにとか、そういうのがどんどん触発されていくと言うか、炙り出されていくのが良いなと。

寺浦氏
ただ私自身は、アートは良いものだからやらせてくれっていうスタンスではないんですよ。やりたい人がいて、なぜやれないのかっていう協議はしますが、それが危険なことだったら市民の人たちもやりたくないはずじゃないですか。だから全部やらせろって言うつもりもなくて、今の私たちの考え方の総体、市民の人たちがどこがまでが安全で、どこまでが自己責任なのかについて、どう考えているのかは、アートを差し込むとよく見えるんですよね。人がどこまでリスクをとろうとしてるのか、あるいは全然取りたくないのか。アートを差し込むことでよく見えるので、私はそれを無理やりやろうとは全く思ってなくて、そのプロセスを経ることで今の都市の状況がよく見えるんですね。だから警察と協議する時もアートだからやらせてくれとは一切言ってなくて、やりたい人がいるんですけどなぜダメなんでしょうかという言い方をしてます。アートがなんぼやねんって皆さんも思ってるところがあるんだろうなとも思いますし。

園田
今、京橋に住んでて、JRと京阪の間に広場みたいなところがあってすごくカオスで好きなんですけど、献血車とか鶴折って欲しいおばさんとか誰に何を言ってるか分からないけどずっと紙をくしゃくしゃやりながら裸足でウロウロとしてる人とかいて、でもなんかそんな追い出されたりしないんですよね。ああいうちょっと理解ができない人が多いですけど、あれも自己表現というか、何かメッセージを持っていて、でもあれをアートだと思う人は殆どいないと思いますし。けど個人的には、なんかそれがアートっていうものと、ああいう何か分かんないけど表現とかメッセージとか本人的には持ってやってる表現活動の線引きみたいなものがあるのか、グラデーションでそうなっているものなのかとか、ああいうものがあること自体どう思いますかっていう話も、お二人がそれどう思われるかお聞きしたいのですけど。

忽那氏
僕ね、フラムさんと直接、話をしたことがあるんです。行政は行政体ごとに図書館も美術館もそれぞれがすべてを持つべきということでこれまでやってきましたが、僕の中では図書館とかも全部の自治体がそれぞれ持つんじゃなくて、「うちは図書館、うちは美術館」っていう風に、近隣の自治体で分担して分けて持てばよいのだと思っていて、越後妻有ではそういう施策を打っているところがあるんですよ。だから越後妻有はアート作品の展示に加えて、建築も含めて作ってきた。なので、「うちは美術館、こっちは図書館」って感じで、基礎自治体を超えたプログラムに変わっていってるのですよね。担うべき自治体の境界線を超えたというところ、そこはものすごい面白い。全部一通り無いとあかんという、行政自治体の考え方が越後妻有で外れたのですよ。それはすごい成果ですよねってフラムさんに言うと、「僕はそのためにやってません」って言うんですよ。都市づくりのためにアートを使ってるんじゃないと。フラムさんは理解してやっているはずなんやけど。それなら、なんでアートをやってるんですかって聞くと、「都市側の人たち」っていう言う方を彼はしてたんですけど、都市側の人たちは強制の概念を持っていると。教育をして強制して、このまちに住むということはどういうことかという話を理解させて、それを理解ができない人をオミットして弾くということを前提にしている考え方が嫌いだって言っていた。生きとし生けるものが、教育とか強制の概念を持たず、自由に存在できるためにアートをやっているという話をしてて、すごい深いなと思いました。そこに寝てる浮浪者であろうが、何だろうが、折り鶴やってちょっとおかしくなってる人も、それも僕にとってはアーティストであり、存在として全部にフォーカスして、認識すべきだと。それがやっぱり震災の時には、全部が破壊されて、全部が新しくなってることに対して、自分の居場所を見つけられへんって、気がふれたようにぼーっとしているおばあちゃんとかもいたんですよ。家がつぶれる前はちゃんとしていた人が、家族を亡くして、肉体的にも精神的にも病気になってしまうんですね。そういう人たちは新しくなっていくものについていけないし、だからその人たちが存在することができないのかと言うと、弱者としてじゃなくてちゃんと居場所があるべきだし。そういうことについて社会運動するの方法もあるけれど、アーティストの常軌を逸した表現を引き受けられる社会じゃないと、そういう人たちのこともまた引き受けられないのとちゃうかなと。ただ、都市づくりのためののツールに使われるアートはアートではないと言われることもある。やっぱりそこは一線を引くんですよ。欧米のコンテクストをちゃんと理解しているもの以外は、アートではないっていう話で線を引いているところがあるので、東アジアとか、日本の中で、アートについて、それらとは別の定義がないとあかんと思うんですよ。公共空間を使う中で、アートを価値化していかないとダメ。それについての議論はだいぶしてます。水都で得たことは、強制とか教育の概念が無くても、居場所を獲得できる社会が良いということです。

園田
その理屈でいくと、ある程度の規模の都市の方がある意味受け入れる余地があったりするのかなと。匿名性があるし。ある意味では、日本の中でもまだ色々な人たちがいて、そういう人たちもいていいよねと。ただあんまり規模の小さいとこにいくと、ローカルコミュニティで顔が見えすぎてるから、あの人はなんか変なこと言ってるとか、なんか知らん人が地域にいるみたいな話になると、なんかそういう意味でも大阪でさっきみたいなことが、カンヴァス事業とかでもやられた事とか、今みたいな文脈でいくとしてもいいんだよって言う人たちは、元々受け入れられている、良しとされているかどうかは人によりますけど、それがすごい面白いなというか、大都市でやることの意味がすごいあるのかなっていう風に思います。

忽那氏
その分、都市は警察がうるさ過ぎるというのが、この国の足を引っ張ってる。安全を守ってくれてるので否定するわけじゃないですけど、都市の中の匿名性も含めて、そんな人もおって良いというのは都市側がちゃんと提示すべきだし、それを線引きして、やったらあかんことを決めるというのはマッチしていないですよね。だから警察は安全とか生命を守るっていう風に言うのならば、生きづらくなっている人も守らないとだめで、その包摂性を否定するような事を言っているのは、結局、安心安全なまちづくりを否定することになってると思います。

園田
もう1個今の延長線で、今僕らもやってると警察がそういう風に見えるし、どっちかっていうと固い行政の管理者さんに対してすごく思います。一方で逆に言うとさっきの京橋の駅前みたいなところは、民間でちゃんとエリアマネジメントしようみたいになると、そのマネジメント対象としてあれを許容するしないみたいな話が、また結局違う人たちがそこに管理者として置き換わってその議論をしだして、どっちかっていうと排除の方向に行くとかそうなると思うんですけど、その辺のマネジメントを無くていいとも思わないし、でもやりすぎると包摂性みたいな事を失うし、それって官がやる民がやる、だけじゃない可能性もあると思いますけど、その辺のバランスがすごい今仕事でやってて、どこまでマネジメントすべきなのっていう、全部やりきったら良いとも思えないんですけど。その辺をいつも何て説明するかなとか。

忽那氏
僕自身がいつも思ってるのは、都市というのは選択性の高さが大切やと思ってるんです。だから京橋の駅前も、全部が管理される必要もない。往来という風景がものすごく見えてるところだし。将来、あそこの様相もまた変わってくるし。今、京橋駅近くにある商業施設のコムズガーデンをどうするかっていう相談を受けているんです。その先にあるNTT西日本本社のデザインにも関わったので、NTTにも公開性を高めましょうという話をしてて、デザインした。それでなんとなく、点が繋がりつつある感が出てきたのですよ。そういう状況で、ではコムズガーデンをどうするの?ということことですが、周りの不動産も含めて、どこまでホコ天化して、どこまで車入れるか、ということとか、エリアってどんどん変わるじゃないですか。その時に居場所として選択性があればいいと思っていて、それをエリマネとしてやったらいいのでは?選択性の高さをマネジメントしたらいいのちゃうかと。個々にエリアマネジメントが入ると全部が同じ性格になるというのは、僕はマネジメントじゃないと思っている。官の手を入れない場所というマネジメントと、商業やって儲かったお金を還元する場所というマネジメント。それ自体をどういう風に運用するんですかという構図も含めた話で、選択性の高いまちを作っていくというマネジメントが要るのではないかと思います。
 
園田
歌舞伎町が大好きなんですが、今東急さんが超高層ビル建ててめっちゃやりだしてて、不安なんですけど、その管理しないというマネジメントができるのかなっていうのが、すごいあります。

忽那氏
まあ日本では難しいですよね。東急は渋谷東急が一人勝ちしてしまったことで、結果、全然人来なくなった。それで裏シブとか、目黒川周辺とか、他のところで、自分と違う人たちと組んでウィンウィンならないとあかんと。駅の改変で上手くいく、ハブになるとか言ってるけど、通過しているだけなんで。東急一人勝ちと同じようなもの建ててたら、人来ないし。建ててみてはじめて気づいたと言っている。やっぱり選択性が高いエリアというのが重要やと思います。同じ性格の場に僕らずっといたくないので。選択性の高いまちほど生き残ると思います。

寺浦氏
さっき園田さんがおっしゃった、京橋にいる名もなきアーティストの話ですが櫛野展正さんっていうアウトサイダーアート専門のスペースを運営するキュレーターがいらっしゃって。本当に変わったおじちゃんとかおばさんとかいるじゃないですか。そういう人たちを丁寧に発掘・発信しているクシノテラスっていうスペースを運営されているんですけど、カテゴライズして掬っていくことも必要だと思います。「変な人たち」で終わってしまうんじゃなくて、価値を認めていく。クシノテラスは広島の福山のスペースなんですけど、そういうことを丁寧にされていて、めちゃくちゃ面白いんですよ。なので、都市だからって言うことでもないなと思ってます。

忽那氏
障がい者アートという枠を作って保全するべきか、やっぱりそれ関係なしに障がい者と言わずにマーケットに出した方が良いのか、それだけでもまだどっちもあるなっていう議論がずっとありますね。だから多様性とは何か、カテゴライズとは何かという話はやり続けるしかないものでもあるのかもしれないですが。

寺浦氏
アートは何かっていう難しい議論よりも、そういう多様性のある人たちとどうやって共存するのかという知性を鍛えてくれるのもアートなんじゃないかなと思っていて、そういうアートも都市に必要だと思います。

忽那氏
そういう定義でアートに対するマーケットができたらいいなと思ってて、欧米のコンテクストを知ってるか知らないかでアートを判断するのは一番嫌なんですよ。

園田
その定義でされちゃうと僕たち合流できないですよね。

寺浦氏
ただ、何が哲学的に新しいのかっていうことを、アートと哲学の両輪でやっていくのが絶対必要で。そうしないと知性が更新されないので。でもその一方で、オルタナティブのものがあるでしょうっていうところを、いかに楽しく経済も回しながらつくれるかということを思っていて、それがカンヴァス的なものだったり、まち自体がギャラリーになって皆が売買するとか、好きに投資していくとか、そういうことが起こると良いなと。

園田
今の忽那さんが言ってくれた話でいくと、アーティストの方は自己表現でもあるし、受け手にとっては何かこう問題提起をしてくれているものとして、受け取って、「あ、何かこういうことがあり得るけど発想が無かった自分はこれをどう解釈したらよいのだろう」みたいな事とか、今それができてるけど「これ何で今までじゃできない状況だったんだろう」っていう事に疑問を持つとか、なんかそういうきっかけってすごい大事。と思うと、なんか僕らとかよそで仕事でやった時に、スケボーの問題とか火を使えるかどうかとか、何かそういう話も似たようなものだと思うんですよね。今のこのルールって何のためにあって、本当にそれって必要なルールなんだろうか、何でダメなんだっけ、みたいな。今仕事でそれが一番なんて言うか、個人的にはやってるモチベーションになると思うんですよね。

忽那氏
岬町にある提供公園が全然使われていなかったので、「公園で何したいですか」って言ってアンケートとってみると花火とか焚火とか、禁止されているものばっかりで。そこで、焚き火でバームクーヘンを焼いたりといったイベントをやっていたら、岬町と自治会が包括連携協定を組んで、自治会で公園を管理するっていう話が出た。それは積水ハウスが作った提供公園で、誰も使ってなかったんですよ。その公園で自治会がやってるバーベキューパーティーみたいなイベントを展開するわけですが、お父ちゃん、お母ちゃん、おばあちゃんたちができること、得意な事を教えて、と事前に子どもたちにインタビューしてもらって、「得意なもの新聞」みたいなのを作って、聞いた結果を張り出すんです。で、イベントをやる時に子供と一緒に玄関でピンポン鳴らして「皆さんの得意なことで手伝ってもらいたいので出てきてください」って誘って、一緒にカレー作ったり、落ち葉のプールとかをつくったりするんです。平均年齢80近い女性が踊るフラダンスの出し物も登場しました。その時に火元管理責任者付き公園にすればいいと提案して、火元管理をする人をおいて、その人がその場にいるか、「うん」と言ったら火を使えるという公園にしようというようなルールを自治会で決めて、その結果、花火を楽しむことができたり。そういう新しいルールを使って、使えるようにする。行政が火を使うなと全部決めてしまうんじゃなくて、どういう時だったら使えるか、誰が責任を取ればOKか、というルールを作ろうとした事例です。
今、世田谷区と野毛町公園のパークマネジメントを進めていて、区民の方たち250人くらい参加してもらっているんですけど、その人たちが公園の生き物調査とか森づくりとかのチームとかを作って活動しています。それぞれのチームのリーダーをたてて、ちゃんと彼らが見えるようにするのを今年中にやろうと思っています。そのリーダーさえおれば普通だったら公園でやったらあかんことも全部できるような仕組みづくりと公園のデザインを同時に進めています。
できる方法を作っていきたいなと思うんですよ。責任者は行政じゃないとということで、住民の自治を認めて、その自治に自分たちで投資をするっていう公園をやろうと言ってます。5万円の小口投資でもなんでもいいのですけど、そういう投資をたくさんの人から集めて公園運営をしていきたいんです。自分たちが関わってる公園だという意識があると、ちょっとうるさいコンサートをやっても、文句が出なくなるんですよ。駐車場も含めて売上が上がるから。
泉大津でも公園のデザインからしくみづくりまでやっていますが、民間主導でやってる泉大津と、行政主導でやっている世田谷、その間に全ての公園があるのちゃうかっていうぐらい、公園としては新しいのを2つやってる。ちっちゃくてもいいから、花火一つでもいいからルールを変えて、行政の責任を放棄させて、自治側に責任を持っていきたいんですよね。

新津
enocoの事でお聞きしたいです。プラットフォーム形成支援がすごい良いなと思っているのですけど、これ平成30年に終わっているっていうことなんですけど、それは先ほどの一定の成果が出たから終わりになったということなのですか?

忽那氏
enocoの指定管理は5年間の債務負担を取って発注を受けていたんですが、プラットフォーム形成支援事業は指定管理事業とは切り離されて単年度の事業としてenoco に委託されていました。あまりにも先進的な事業だったので、指定管理の事業委託に含めることが行政としては不安、難しかったんです。指定管理の当初から、このプラットフォーム形成支援事業も指定管理者が自立してやっていくべき、という行政側の計画が立てられており、先ほどと同じで、一定の成果が出たということで事業委託としては終了することになりました。
大阪府からの事業委託としてはなくなったんですがこの間にそのスキームが各自治体に広がっていたので、各自治体が予算をつけて、プラットフォーム形成支援事業的にやってくれませんかっていう依頼をenocoに持って来るようになった。だから平成30年で大阪府の事業としては終わっているんですけど、そのあと大阪府の予算無しで、僕らが自主事業としてプラットフォーム形成支援事業をやりました。enocoの指定管理者として、この事業を7年間やってきたから、市町村とは随意契約で業務を受けられるケースも多くありました。そういう形で、3年間で10件程度の事業の支援をした。1期目は5年、2期目も5年で10年間、enocoの指定管理をやって2021年度に終了しました。

新津
社会課題をデザインで解決するっていうお話で、神戸の「KIITO」も同じコンセプトだと思います。KIITOもenocoもどちらも2012年に設立していて、それはたまたま同じタイミングなのかってこともあるんですけど、やってる事はやっぱり違うなと思うのですが、お二人からして同じコンセプトでやっている2つが、どんな違いがあるかとか、enocoは特にこれが特徴的なんじゃないかみたいなものとか、他との比較も含めて、どんなところを思いますか。

寺浦氏
enocoの開設を企画しているときにはKIITOも視察させてもらって、モデルにさせていただいた。単なるアートセンターじゃなくて、地域課題解決もミッションしている点はすごい共通していると思います。enocoはやっぱり忽那さん達と一緒にやってたので、府域の市町村の行政とガッツリ組んで、彼らから示されるあらゆる課題解決にクリエイティブに取り組むというモデルをプラットフォーム形成支援事業で作りました。KIITOはもう少しプロジェクト型で一定の課題を設定した中で参加者とアイディア出しをやって解決していくというようなことをされていた印象があります。我々は行政から持ち込まれる生(なま)の課題に対して、現場に入り込んで、市民や企業なども巻き込みながら課題解決の道を探っていくことをプラットフォーム形成支援事業でやったというのは、大きな違いかなと思います。

忽那氏
横断的にプラットフォームを作っていくということをパッケージ化してたので、取り組む課題の分野や内容は色々。プラットフォームをつくるには、案件によっては行政の各部局が連携することも重要なので、大阪府と一緒に各市町村に乗り込んで、各部長を集めた会議体をつくって、自分たちはコンサルとして来ているのではなく、全部、皆さんが主体的に課題解決していかないといけないんですよ、我々はそのプラットフォームづくりを支援するのが業務なんですよ、という話しをして進めていくんです。KIITOは、色んなテーマで事業を作って、それを一つのパッケージとして商品として売ることが重要だと言ってました。それがないと食っていけない。ちゃんとそれらを高く売るという商品パッケージ化を目指してた。その違いはあると思います。

寺浦氏
あと文化センターって、その場所でどんな活動をするかが一番の評価対象なので、enocoのプラットフォーム事業は舞台が市町村なので、外に出向いて実践するので、enocoという場にいても全然見えないんですよね。だから何を評価していいか分からないと言うか、行政側にとってはよく分からない事業とも言われていて。

忽那氏
文化課としてね。防災マップをなんで文化課が作ってるねんと怒られて。

寺浦氏
なぜ他の市町村の課題解決をenocoがやって、それを大阪府の文化課がサポートするのかみたいなことをずっと言われていました。一方で、館の中で一つのアクティビティとしてKIITOさんできちんとパッケージ化して、例えば「ちびっこうべ」という事業をセンター内でやったりとかっていうのは、非常に見えやすいじゃないですか。本当はアートセンターもああいう形でやって、評価を受けるっていうのが正当なんですけど、プラットフォーム事業は元々そういうことは目指していなかったので。クリエイティブに行政課題を解決するっていうことをキャラバンで外に出て実践する事業なので、その分、外からは見えにくくなってしまいました。enocoの指定管理料は5年間債務負担で払われていたんですけど、プラットフォーム形成支援事業は1年ごとに予算要求して事前に財政課の査定を受ける形になっていたのは、外からは分かりにくい事業だからだったんですね。何をやってるのか新しすぎて、評価できませんっていうことで、一年ずつ成果を見させてもらって査定しますと。毎年、膨大な予算要求資料を作ってました。

忽那氏
これほんまに寺浦さんすごいなと思うけど、他の行政マンでもこれ聞いたら驚くんです。通常は行政の予算というのは、何をするかがきっちりと決められて予算額が決められるんですが、プラットフォーム事業は事業の枠組みと全体予算だけが決まっていて、どの市町村と何をするかの詳細は一切決まっていないという予算のつき方だったんです。で、4月になって、課題解決のサポートを希望する市町村を募って、それぞれの担当者に詳細のヒアリングに寺浦さんが行って、6月ごろになってどの市町村と何をするかが決まるんですよ。だから、予算要求をしている時には具体的に何をするか分からない状態で予算の資料を作ってるんですよ。2〜3千万円規模の事業だったんですが、「そんなので予算とれるの?羨ましいな」って他の行政の人たちはすごい驚いてました。指定管理料でenocoを運営していたわけだけど、出た利益の半分を僕ら指定管理者の利益にして残りの半分は、enocoの環境改善に使うという仕組みを大阪府が作っていました。来館者にアンケートでニーズや改善点を聞いてね、サインを新たに作ったりとか、この場所に再投資するというやり方でした。

新津
今日は長時間ありがとうございました。















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