エッセイ:ビジネスと創作について、あるいは金の話から胡散臭さを抜く方法
私、ビジネスが好きなんですよ。サラリーマンの息子として育ったので。父も母も、金の流れの話をするときはイキイキとしています。金を使ってどう遊ぶかというよりも、人に富をもたらしてくれる商売の構造自体に興味を持つタイプです。私もその影響を受けました。父は自分の話したいことだけを話すタイプなので、ときどきうんざりすることもあります。でも、私が金について考えるときは、父の血が自分にも流れているのを常に感じています。
私の実家の棚にはビジネス書が並んでいます。三流コンサルが書いた1000円ちょっとのクズ本もたくさんあります。でも私が惹きつけられたのは、ちゃんとした経営学の教授や、一流どころの投資家が、一般向けに300P以上かけて書いたような奴です。『フラット化する世界』『ブルー・オーシャン戦略』『ピーター・リンチの株で勝つ』etc……金のことであっても、心の底からの興味に基づいて書かれたものには魂が宿ります。そこにあるのは、「おれがこんなに素晴らしいと思っているものを、みんなにも知って欲しい!」という、純粋な熱意。私もそれに感化されています。ビジネスの構造を見るのは、解剖学の本を見るのと同じぐらい楽しいです。
でもそれをそのまま創作の世界に持ち込むと、どうしても胡散臭くなってしまう。私を含め、みんな心のどこかでは働きたくないと思ってるし、非課税で5000兆円欲しいって思ってる。本を読むときは、働くことを忘れて楽しみたいのに、働くことを考えるなんて矛盾です。そもそもが水と油。金は魅力的ですが、人生すべての目標にしたくはない。金は不幸を遠ざけてはくれますが、それだけで幸せはこないからです。ビジネスについて語る私を、みんなどこか胡散臭い目で見ているのは、どうしても感じてしまいます。私もそこまで鈍くはないです。
例えば、『ザ・ゴール』はビジネス書としては名作ですが、エンタメとして読むとどうしても胡散臭さが拭えない。ビジネスの法則を作品世界のルールとして持ち込むと、どうしても教条的になるからです。ビジネスの教科書としてはよくできていますが、純粋なエンタメとしては何度も読み返したい本ではありません。ビジネス書を勧める方々で、そこに気づいている方は少ない。あるいは、気づかないフリをしているのでしょう。
なので、ビジネスを創作に使うときはひねります。主人公の主要な動機には据えません。主人公を仕事熱心にするのはいいんです。なんだかんだで、仕事に熱意があって有能な奴はかっこいいので。でも、主要な動機には必ず別のものを用意します。正義とか、愛とか、趣味とか。どんな背景を持つ人にも理解できて、誰もが憧れるような奴です。おそらくプロの作家さんはみな当たり前のようにやっていることなのでしょう。
『ラーメン発見伝』を初めとして、ビジネスを主題にした青年誌の名作には枚挙に暇がありません。発見伝の主人公の藤木クンは、趣味としてのラーメン作りには熱心です。しかし仕事そのものには熱心ではありません。上司の陰謀でラーメンの仕事が回ってきて、結果として熱心に取り組んでしまうだけ。金のことは考えたくないけど、独立してラーメンのことをたくさん考えるためには、ビジネスのことも考える必要がある。ライバル兼師匠の芹沢サンは、覚悟を決めろ、その葛藤を乗り越えろと発破をかける。オマエには熱意と才能があるのだから、人生をかけろ。幸福のために、金のことを考えろ。そこにジレンマがあり、作品を面白くしています。
もちろん、悪人や中立的な立場の人には積極的に活用します。芹沢サンとかね。金で人を感動させるのは難しいですが、人を動かす舞台装置としては優秀ですから。金の流れを見るのは、血の流れを見るのと同じぐらい面白い。商売は、面白い。見せ方次第では、読者もそう思ってくれるはず。我々人間は皆、心の底では好奇心旺盛なのですから。
今の世の中、心の底からビジネスに興味が持てる人というのは、はっきりいって変人です。今後も多数派になることはないでしょう。みんな5000兆円欲しいから。何もしなくても! それが人間というもの。それに抗っても仕方ないので、変人は変人なりに自分のポジションを理解して、自分の熱意を活用していきましょう。どんな題材であれ、自分の美意識を信じて行うことには魂が宿ります。それで読者の皆さんを楽しませることができるのなら、それで良いのです。