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東京都立大学エリカ混声合唱団 第49回定期演奏会第2ステージ「アイロニック・ブルー」―3

早いものか遅いものか、定演について書いていたら3稿目に突入してしまった。指揮者が音楽ではなく文章ででしゃばるのはいかがなものか、とも思うのだが、言葉は種であり新芽であり蕾であり花であり枝であり根っこであり葉っぱであり果実であり、人々の心を結ぶのだから、と誰かさんの「ことば」を借りて自分にも読者にもきわめて抽象的な言い訳をしつつ、ひたすらに自分との対話を文字に起こしている。残念ながら私は「読み手にやさしい」文章を書ける境地には未だ達しておりません!

定演本番のことを書く前に、定演を迎えるまでのことをもっと書きたいのだけど、それではさすがにこの連続投稿がいつ定演本番にたどり着けるかわからなくなってしまうほどだし、仮に演奏を聴いて私の稿に興味をもってくれた方がいるのなら、そういったことよりも本番に関することを読みたいだろうと思う。本稿からは、定演当日以降のことを軸に書き進めていきたい。


高揚

この演奏会のゲネプロは定演のちょうど2週間前に行われたのだが、その際の演奏を聴いていただいた当団のアンサンブルトレーナーである津久井康明先生(以下、津久井さん)には、「こちらからあえて言うことはない。大丈夫。」と声をかけていただいた。もちろんまだまだ完成度はもっともっと高まると思っていて、またこの日はピアニストの菊間さんが都合によりいない中での演奏だったので、満足や油断はしてはいけないと思っていたが、津久井さんのこういった前向きな言葉がけと、私や合唱団との繊細で適切な距離のとり方は私にとってとてもありがたかった。

ゲネプロを終えて定演当日(クリスマス!)を数日後に控えたある日から、私は今までに経験したことのない気分の高揚に困惑し、疲弊しつつあった。その要因には、たしかに「定期演奏会が開催できること」の喜びや、自分にとっての集大成と位置づけている演奏会を目前に控えた緊張感もあったのだが、それ以上に私が感じていたのは、「アイロニック・ブルー」というステージへの「たしかな手応え」だった。

早くみんなの前で演奏したい。私がこれまでの人生、ここまで自信に満ち溢れていたことはあっただろうか。私は合唱の本番では、伴奏を務めるとき以外は特別な緊張や高揚はしないし、伴奏はいつも逃げ出したくなる思いで弾いている(笑)。今回は本番3日前くらいからはずっと心臓の高鳴りが止まらなくて、そのせいか食事も全然喉を通らなかった。これは明らかに「緊張」ではなく「高揚」の発現だったと思う。


本番の演奏を聴いて、手応えを感じるほどのクオリティではないだろうと言われてしまえばそれまでだが、少なくとも私の中で、本番前にここまで前向きな気分になれることは新鮮で、驚きだった。そしてこのモチベーションが、私の指揮と演奏に良くも悪くも影響を与えたことは言うまでもないだろう。



最後の景色

エリカにとっての定期演奏会は、ただ「定期演奏会」という役割だけでなく、それは色々な意味での「終わり」を意味している。年度の活動は定期演奏会で一段落するし、定演で歌った曲を以降の本番に乗せることもあまりない。学部4年生・修士2年生にとっては全員揃って歌う機会は最後であり、学部3年生が務める学生指揮者は定演をもって任期終了となる。私は学部4年生であるにもかかわらず学指揮を務めている(詳しくは定演パンフレット参照)し、いろいろあって今年度は卒業もできない(泣)。ともあれ、私が学生指揮者として歌い手の前に立てる機会はほとんど最後であるから、この定期演奏会が終わるまでに少しでも自分の考えてきたことを伝えたり、団員が合唱を好きになるためのお手伝いがしたいと思っていた。

練習の中でそういったことは小出しにしてきたが、定演当日、最後のリハーサルには特別な思いがあった。学指揮を3年務めてきて、こうやってみんなの前に立つことが最後だと思うととても寂しかった。リハーサルで何を言ったかは団員だけの秘密にするとして、本番の演奏を最高のものにし、団員の今後の希望となるために、私は伝えられる限りのことを伝えたつもりだ。その様子を見ていた当団のヴォイストレーナーである湯川晃先生(以下、湯川先生)には、後日こんな言葉をいただいた。

練習のときに演説をし、みんなの気分を高めたり、リハーサルで全曲を演奏しないなど、プロの指揮者でもなかなかできないことをいとも簡単にこなす大河くんに感心されっぱなしでした。

プロの指揮者がどんなリハーサルをしているか、私にはわからない。無知というのは使い方によっては武器となるが、あまりに濫用してはならないということは肝に銘じたい。

そもそも私がなぜこんなにも定期演奏会にこだわるかといえば、その伏線は2年前に開催した弊団の「60周年記念演奏会」にある。私にとってこの演奏会での記憶はたいへんにわすれがたい。定期演奏会というのは、自分たちの歌声を聴きにお客さんが来てくれるものだ。私は2年前には1度目の副学生指揮者として第1ステージを演奏したが、その終演後の感動をはっきりと覚えている。だが第3ステージで歌った組曲「野辺に咲く花」(作詩 林望、作曲 上田真樹)の終曲『わすれなぐさ』に、「ひとはだれもかなしいことを そしてうれしいことだって いつかわすれてしまいます」という歌詞があり、この感動も究極的には次の瞬間には忘れてしまうことを思い、同時にこの演奏会の記憶を忘れたくない、と心から思っている自分に出会った。そして、それを「忘れない」という思いが、常にこの2年間の自分のモチベーションだった。コロナ禍は本当に涙が止まらないほどつらかったが、それを乗り越えて「アイロニック・ブルー」を迎えられたのは、間違いなくこの演奏会があったおかげなのだ。

だから、この「アイロニック・ブルー」も、団員の、そして聴いてくれるひとの希望でありたかった。それが、自分が指揮者として果たせる最後の使命だと思っていた。


みなさんが本番の演奏をどう受け止めてくださったかはわからないけれど、エリカの仲間たち、とくに初めての定期演奏会を迎えた1、2年生からは、「こんなに感動すると思わなかった」といった声を聞くことができた。その感動を、合唱はもちろん、今後の人生に存分に役立ててくれたなら、これ以上の喜びはないと心から思っている。



(続く)

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