見出し画像

世界で輝く日本と日本で光を放つ海外 ジャパンカップは直感に従う

世界で輝く日本。島国日本は幕末から明治維新と西洋を追いかけることで文明を発展、花開かせてきた歴史をもつ。同時に西洋コンプレックスも根が深い。いいじゃない、日本は日本なんだから。ときどき、そんな空気を醸すときはありながらも、それでもやっぱり西洋を追いかけたくなる。憧れや羨望の眼差しは中毒症状に近く、代々DNAに入り込む。

サッカーワールドカップもWBCもオリンピックも大好きな国民性は世界で輝く日本を目にし、日本が世界にどこまで肩を並べたのかを確認したいから。なんて勘繰りたくもなる。個人的には単純に世界規模のスポーツ大会が面白いからなんだが。しかし、日本国内では目撃できない場面とは日本が遅れているからなのか。はたまた単に日本と西洋の文化土壌の違いなのか。たまにそんなことを考えてもみる。

西洋文化をとりいれ、折衷することで発展した日本の文化は西洋文化との歴史の深度が違う。遅れているのは当然で、追いつく、もしくは越えるのは時空の歪みにでも入らないといけない。つまり土台、無理な話。遅れてはいけないじゃなく、遅れているのは当然と開き直りたい。人はいつもなにかを追いかける生き物だから、追いかけるのは性というもの。追いかけてもなぁとは思いつつ、ついつい追いかけたくなってしまう。立ち止まるよりは進む方が気分がラクだったりもする。

競馬はまた独特で世界で輝く日本も楽しみたい一方で、日本特有の競馬もまた受け入れている。世界と日本の競馬はそもそも競技は同じでも種目が違うという小難しい哲学をファンも理解しつつある。トラックの統一規格がない競馬だからこその現象だろう。複雑な世界のさらに上を行く哲学世界を泳ぐ競馬民は達観までが遠い。私もまだまだだ。

ジャパンCで外国馬が馬券に絡んだのは06年ディープインパクトの3着だったウィジャボードが最後。勝ったのはその前年アルカセット以来あらわれていない。過去10年データを使うと壊滅的な外国馬。今年はそろそろ一発ありそうな予感がする。シャフリヤール、ダノンベルーガにヴェラアズールといった布陣もあるが、なにより参戦する外国馬のプロフィールが不気味。

だが、外国馬に重い印を打つには日本の馬場、それも東京コースにマッチするかどうかが重要。明確な根拠はない。これはもう気配というか勘の世界。なんとなく馬柱を眺め、なんとなく通用しそうだなといった程度で買う。でないと買えない。だが、それでアルカセット、ファルブラヴ、サラファンに重い印を打ったので、それでいい気もする。

マジカルラグーンの件もあるので、強気にはなれないが、シムカミルが気になる。ニエル賞勝利後、凱旋門賞をパスし、ここへ。フレッシュな臨戦過程もよく、パリ大賞で逃げて2.27.8は雰囲気がある。オネストはあの凱旋門賞を走っての参戦。パスしたシムカミルの意欲と野心は魅力的。

2000年以降、ジャパンCで外国所属騎手1~4枠【6-3-6-47】、5~8枠【2-2-2-57】。馬群に入り込んで、馬をなだめて最後に爆発させる形はスローばかりの海外競馬で乗る騎手の得意技。そして今年は外国人騎手が内枠に固まった。この辺も外国馬が気になる勘の根拠。オネストのルメールさんは日本所属扱いなので、データから外れる。そういった意味でもシムカミル。日本の騎乗経験があるブノワの連続騎乗は追い風だ。なおヴェルトライゼンデ、グランドグローリー、ヴェラアズール、テュネス、デアリングタクトもこのデータにハマるので、注意。

世界で輝く日本の反対は日本で光を放つ海外。どちらも世界レベルであることに変わりはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?