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【菊花賞予想】こじれる世界と羞恥心

キングオブコントの点数がなんやらかんやら。騎手のスマホ持ち込みになんやらかんやら。ここ2週間、無数の主観に頭が疲れ、スマホを置いた。自由に意見できるのは健全な社会だろうが、なんやらかんやらも度が過ぎると、こんがらがる。これほどこじれる世の中において、なにかを書くのは気疲れする。世の中はわかりにくいから面白い。これは当方のスタンスで、「わかりやすいですよ」と謳うヤツほど疑うのが筋だと考えるので、こんがらがりながらなんとか整理して生きてきたが、こじれる世界にうんざりした気分も高まってしまい、いよいよ山奥に籠ってしまいたいとも。

だが、こじれた世界は興味深い。審査員の主観と自分の主観が違う場合、相手のそれを否定するのも、じつは裏にはこんな取り決めがあってなど陰謀論に走るのも、それぞれの思考のあらわれ。だが、私はちょっと踏みとどまる。はたして、自分の思考を徹底的に発露することは恥ずかしくはないのかと。自分の頭の中を開放する気恥ずかしさがどこかにある。はたして、こんなんで物書きなんてやってられるかと思うが、昔からこの気恥ずかしさが捨てられない。

その昔、演劇の脚本なんぞを書いていた小生意気な時代のこと。なにが一番辛いかと問われると、書けないことではなく、書き終わったあとに、自分の脚本を役者たちが声を出して本読みする瞬間だった。あの最初の本読みがもっとも恥ずかしく、正直、聞いていられなかった。自分が紡いだ言葉を他人が声に出し、それも感情たっぷりに読んでくる。猛烈に恥ずかしいったらない。できれば、その場にいたくなかった。自分のいないところで読んでくださいとはいえないので、ただただ恥ずかしさに耐えるしかなかった。今も、私は自分の書いたものへの感想などには極力触らない。当然、エゴサーチもしない。特定の信頼できる人の声なら耳を傾けられるが、不特定多数なんて耐えられない。本当によくそんなんで物書きの端れでいられるものだ。

競馬の予想もやはり思考の開示に近い。自分はこのレースをこう考え、勝つのはこの馬だと結論を出す。思いっきり思考の開示だ。自分の脳を人の目の前に差しだす行為はやっぱり恥ずかしい。だが、脚本を進んで書いてきたように、その恥ずかしさに耐える時間の先にあるものが、どうしたって止められない。あれさえ越えれば、待っている快感。みんな、快感を求め、思考を開示する。自分の脳を差し出して、褒めてくれるという快感。あの魅惑の物質を求め、世の中がこじれているのだとしたら、激しく同意する。違うなら、よくわからない。よくわからないから面白いんだが。

菊花賞。馬券おじさんにとって横山典弘ダノンデサイルが勝って、タケホープ以来の二冠達成という瞬間はみたいし、どうにも逆らう気にならない。だが、ルメールのアーバンシックが勝って、やっぱりルメール買わなきゃダメだよなと若者に言われるのも癪に障る。馬券歴が彼らの年齢ほどある馬券おじさんだって、ルメールを買わなきゃいけないのは百も承知だ。わかっている。わかっちゃいるけど、やめられない。ゆきやなぎ賞を勝った時点でステイヤー認定を受理されたショウナンラプンタはその後、青葉賞2着、スローのダービー大敗、神戸新聞杯3着なんて絵を描いたようなステイヤーの戦歴。中距離ではよく伸びてくるも間に合わない。しかもそれを繰り返すなんて、健気にもほどがある。キズナは天皇賞(春)4、7着と結果を残せはしなかったが、産経大阪杯は2.00.3、2.03.2で1、2着と時計がかかっていた。ダービーも2.24.3で、遅めの時計で結果を残した。スピード志向とはいえず、だからスピードあふれる牝馬が合う。ノーザンFが配合と育成で中距離に強い産駒をつくってきたが、キズナの本質は急かさない競馬であり、ステイヤー資質を秘める。社台F産ショウナンラプンタにはキズナの本質がみえる。社台F産キズナ産駒はインプレス、シャムロックヒル、アスクワイルドモア、ローズボウルと遅れ差しやひたすら粘る持久力型ばかり。鮫島克駿よ、残り1000m勝負だ。自信を持って動いてくれ。

ああ、恥ずかしい。

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