いつか和音になる 2人目:奏太の場合
1
母がまたがんになったかもしれない。
そのことに僕が気づいたのは、家のPCで秋学期の授業の履修登録をしようとした時だ。検索履歴に「乳がん 再発」「がん 50代 治療」「乳がん 抗がん剤」「がん 家族 支え」「妻ががん どう対応」などの項目がずらりと出てきた。父が検索したんだろう、甘いよ親父。こういう履歴はちゃんと消さないと。
母は、僕が小学生の頃も乳がんになっている。学校から帰ってくると妹と2人リビングに来るように促された。そして、お茶もおやつもないままに話が始まった。
母の体の中にがんという悪い奴がいる。そいつが母に悪さをしているのだ、と教えてもらった。流石にその日の晩は、母さんが死んじゃうかもしれないとひどく不安になり、妹の部屋で一緒に寝たことを覚えている。だが、実際には母のがんはかなり早期だったらしく、4日ほどの入院と何度かの通院で寛解となった。そのあとは、大きな病気をすることもなく元気で活発な母親だった。
母は子供の頃からバイオリンを習い、音大を出てオーケストラに所属していたバイオリニストだ。結婚を機にオーケストラは辞めたが、今も時折演奏会に呼ばれて演奏をしている。それと、自宅でバイオリン教室もやっている。僕の口から言うのも少しこそばゆいが、魅力的な人だと思う。
母のレッスンはとにかく褒めて伸ばすタイプだった。バイオリニストだがお淑やかとは遠い性格で、とにかくよく喋る。褒め倒すように喋っていると生徒がだんだん自信をつけて上手く弾けるようになる。音大受験に向けてピリピリしていた高校生とその親がレッスンに来て、帰りにはほっとした顔で帰路に着くのを子どもの頃から何度も見ていた。
だが、そんな母は僕達に音楽をやれと言うことは一度も無かった。だから、僕はなんとなく就職に有利かな、と経営学部へ、妹の琴子は手に職をつけたいからと薬学部に進む予定だ。父は化学メーカーのサラリーマンで、穏やかな人だ。長男の僕と父は普通の人、優秀な妹、明るい母親。母の病気というトラブルはあったものの、平穏で普通の日常が続いていくものだと思っていた。
2
父の検索履歴を見つけた次の日はアルバイトの予定だったが、どうもやる気が起きずにサボってしまった。普段から時折サボっているから、いつものことといえばそうなのだが。
家のドアを開けると、リビングから父と母の言い争う声がした。珍しい。父は基本的に、家庭では無抵抗主義者のはずだが。
「だから、手術はします、でも抗がん剤や放射線は無理よ」
「…」
「前もやったんだからわかっているじゃない、どういう治療をすればいいかって。すぐ死ぬってわけじゃないんだから」
「でも、今回は化学療法も放射線も必要なんでしょう?」
「先生はそう言ってはいたけど、別にいいの。あの子達ももう大きいし、そこまでして長生きしたくもないわ」
母ががんになってから、僕も妹もがん保険のCMが流れるとチャンネルを変えてしまう。それなのに、ネットの記事でがんのことが書いてあると読んでしまう。化学療法は抗がん剤のことで、髪が抜けるらしい。それに放射線治療は毎日病院に行かないといけないらしいという知識は、僕もなんとなく知っていた。
母にとっては、そんなの冗談じゃないと思ったのかもしれない。でもそんなふうに言わないでほしい。琴子はまだ高校生だし、僕だってまだ20歳になったばかりだ。親を亡くすには早すぎる。
「教室で受験の子が3人もいるのよ、休みたくないし、それに髪が抜けたら演奏会だってできない。それに、今度は卵巣と子宮も取るかもしれないのよ。それなら、治療なんてしなくてもいい。平気よ、そんなにすぐ死ぬ病気じゃないんだから」
「…」
母が心を決めると、大抵のことは覆らない。でも今は説得してくれ、今だよ親父、本気を出すのは今だ。しばらく無言だった父が、震える声で言った。
「仕事は休んでも、辞めてもいいと思う。それでも、いてくれたらいいから。それだけでいい」
口下手な父の精一杯の表現だ。いいぞ親父。
母の声が聞こえなくなった。考えが変わっていたらいいんだが。音を立てないよう、そっと部屋に戻ろうとした時。
「ただいま、あれ、お兄ちゃん?」
まずい。
「あれ?奏太も琴ちゃんもう帰ってきたの?」母が廊下に顔を出す。少し目が赤い。
「私は今帰ってきたけど、お兄ちゃんは何突っ立ってたの?」
「あら、聞いてたの?」
僕の盗み聞きは簡単に露見した。
結局、母から僕たちに病気の説明があった。リビングにいた父は目を真っ赤にしながら静かに隣で聞いていた。病気が再発したこと、手術の時は数日家を空けること、そして。
「今回は抗がん剤と放射線治療もあるから、ちょっと色々家のこととかお願いするかもしれないんだけど」
それを聞いて、親父がふっと息をついた。治療をする気になってくれて嬉しかったんだろう。僕だって嬉しい。
「平気だよ、食事の支度ならお兄ちゃん出来るし。だって中華料理屋でバイトしてるんだから!」
「任せなさい、とびきりの青椒肉絲を作ってあげよう」
「抗がん剤の時そんなの食べていいのかしら、今度先生に聞いてみましょ、ちょっとぶっきらぼうだけど聞いたことには答えてくれる先生だから。あぁ、そういえばご飯炊くの忘れてたわ。お父さん、お米研いでおいて」
病気の再発というショックな出来事があっても、結局のところお腹は空くし、日々の生活は続いていく。
3
翌週、何か荷物が届いた。
「抗がん剤で髪の毛が抜けますから、かつらを用意してくださいって言われたの。だから買ってみたんだけどどうかしら」
母がそう言って出してきたのはカツラだった。かなり明るい茶色のロングのものと、やや暗い色のセミロングのもので、大層立派な、大きな箱に入っていた。
「似合うんじゃない」
母は演奏会の時に巻き髪などをしていたので、ロングのカツラは似合っていた。
「私も被ってみよ」
「琴ちゃん似合うじゃない、受験終わったらこのくらい明るくしたら?」
「ちょっとお兄ちゃんも被ってみなよ」
こうなった時の母と妹は止められない。
「どう、韓流アイドルみたい?」
「…意外と似合うんじゃない」
「嘘だ、全然ダメだよ。後でお父さんにも被せようね」
母と違って妹の意見は辛辣だ。
でもカツラか。いよいよ治療が始まるのか。
4
治療が始まってからの母はかなりしんどそうだったが、薬の効果はあったようだ。化学療法を終えた後で、母は入院することになった。母からは、お見舞いには来なくていい、色々と学校やアルバイトで忙しいんだから、と言われた。確かに忙しくはあるが、家族の入院よりも大事な用事はない。
「あと、入院中暇だからお兄ちゃんの漫画何か貸してくれない?」
「いいよ、何かリクエストはある?」
「面白いやつならなんでもいいわ」
さて、何がいいだろう、グロいのは無し、話が重たすぎるやつも無し。そう思って本棚を端から眺めた。暇で仕方ないだろうし、どうせならいいやつを選んであげたい。
母は食べるのが好きだ、でも治療中は食欲も落ちていたから、美味しいものを食べる孤独のグルメとか。でも自分が食べられないのにな。
そうだ、これはどうだろう。ダンジョン飯。妹を助けるために主人公ライオスがダンジョンを攻略しながら、ダンジョンに住み着く生き物を食べる漫画だ。ある種のグルメ漫画と言えなくもないが、出てくるのはサソリ鍋とか干しスライムだ。これは面白いし、きっと大丈夫だろう、多分。
気に入ったら続きを持っていくから、と言ってひとまず5冊を入院用の荷物に入れた。
母の手術は、乳がんの摘出だけでなく再建を行い、かなり長時間になった。その後の検査でがんは遺伝性だとわかり、リスクになるからと後日子宮や卵巣の切除もすることになった。
「面白かったから、続き持ってきて」
10時間近い手術を受けて、流石に顔色が悪い母だったが、ダンジョン飯は気に入ってくれたようだ。妹と交互に漫画を持っていくことで、お見舞いの良い口実になった。
「みんな得意なことを生かしてダンジョンを進んでいるのを読んでいると、なんだか自分のことに重ねちゃうわ。お医者さんも看護師さんもそれぞれの役割をしてくれてるじゃない。治療はダンジョン探索みたいなものかも」
「じゃあ母さんはライオスみたいなものだね」
「あら、主治医の先生の方がライオスみたいにぬぼーっとしてるじゃない」
「先生や看護師さんは魔法使いとかじゃない?冒険者が行こうと思わなきゃダンジョンの奥には行けないんだから」
胸と子宮と卵巣を取る、その苦しみは男の僕が本当に理解できるものではない。妹は、子宮だからって何よ、ただの内臓よ、と言っていたが、そう簡単に割り切れない気持ちもあるだろう。
病気は理不尽だ、別に悪いことをしていなくても襲いかかってきて、平穏だった家族を揺らす。それでも、漫画の話をしている時だけはがんのことを忘れられた。病気と戦う時に、エンタメの力はとても強いのかもしれない。僕も就活で出版社とかエンタメ系の企業も受けようかな。
その後、母の治療は順調に進んだ。治療中はかつらを使っていたし、うまく日程を調整したから周りにもほとんどバレることはなかった。母ががんであったことは、1回目の時と同じように、だんだんと僕たち家族の日常から消えつつあった。
5
母の再発から3年が経った。その間に僕は大学を卒業してエンタメ系ではなく自動車部品のメーカーに就職した。なんだかんだ手堅い性質なのだ。配属先は実家から車で20分という立地だったので、まだ実家でお世話になっている。
妹は薬学部に入り、そこそこ良い成績をとって特待生になっているらしい。優秀な妹だ。僕は昨日もエクセルの入力をミスして先輩から大目玉を喰らったというのに。
妹と夕食を食べていると、母が「そういえばね、今度、講演会で話そうと思うの」と言った。
「講演会?なんの?音楽関係?」
「ううん、病気のこと。ピンクリボンの啓発のお話をしないかって、リンドウの会長さんに言われたの」
リンドウとは、母が通っている病院の患者会だ。最初看護師さんから患者会を紹介された時はあまり乗り気ではなかったようだが、行ってみると病気であることを気にせずにコミュニケーションが取れて良かったんだそうだ。でも患者会以外の場所で母はがん患者だったと周囲にはあまり言っていなかったように思う。
「最近ようやく、私ってがん患者なんだって思うようになってきたのよ。2回もなったのに変な話だけど。自分の経験が誰かの役に立てばいいなと思って。だから最近ピンクリボンコーディネーターの勉強してるの。それに、2回目の治療のおかげで、あなたたちと対等な関係になった気がする、もう子どもじゃないって思ったのよ」
確かに、母の病気をきっかけに無口だった父は意識して母に声をかけるようになった。僕も妹も守られる子どもではなく、みんなで家族を支えるような感覚が芽生えたのは、母の入院があったからかもしれない。
「それに、前はがんをやっつけなきゃ、ってがんと戦おうとしていたけど、がんも自分の一部なのよね、そう思ったら受け入れてもいいかもと思えたのよ」
がんは悪いやつだ、やっつけてください。子どもの頃は僕もそう思っていた。でも、誰の体にもがん細胞はある。それはある種の自分への攻撃になるのかもしれない。がんはやっつける対象から、ダンジョンのように探索するものになり、今の母はこの病気を受け入れたのかもしれない。
「いいんじゃない、母さんみたいに元気になっている人が喋ったら、がんの見え方も違うだろうし」
「やってみたらいいですよ、僕たちが最前列でうちわでも出して応援しましょうか」
父の軽口を聞いて笑う母を見て、あの時父が説得してくれて本当に良かったと思う。
今後、がんか、それ以外の病気がまた僕たちを揺らすかもしれない。それでも、その時はその時だ。きっと、なんとかやっていける。