「私は下手だから」は言わないでおこう
「私は下手だから」と言い続けてきた。
謙遜でもなんでもなく、本当に下手だと思うからだ。
何と比べて下手かというと、自分の頭の中で再生できる「こう弾きたい」と思う理想の演奏と比較して、そこには到底及んでいないから下手だ、という訳である。
若い時は、「そんなことないよ」と言われる度に「この人には分からないんだ、私のこの下手さ加減が」とドツボにハマっていた。自分の演奏にお金を払って貴重な時間を割いて聴きに来て頂くことに罪悪感さえ覚えていた時期もあった。
ところが、今は人前では言わなくなった。
何故なら、「私は下手」と言ったところで、その会話には気まずさ以外何も生まれないからである。どこで誰を傷つけているかも分からない。それに、私にとっての「下手」の定義で言えば、私が下手なのは敢えて言う必要もない程当たり前のことだと気がついたからである。
また、初心者にピアノを教えるようになって、益々「下手」という言葉は使わなくなった。生徒に変な劣等感を植え付けたくないということもあるが、それ以上に、「下手」が価値のないものではない、ということを知ったからである。
ピアノを弾けるというのは、それだけ生活に余裕があると言うことである。周りの人や環境に恵まれ、音楽に打ち込めるその有り難き幸福を「下手」という言葉で汚してはいけない。その人の人生がピアノを弾くことでより輝くものにできているのなら、それは「上手」よりも遥かに崇高なことなのだ。