ピアノ講師の実態と「良い先生」の見分け方
世の中に存在するピアノ講師の中で、真摯に教える責任と向き合っている先生は半分にも満たないかもしれない。他の楽器でも、スポーツや語学などの講師でも当てはまるかもしれない。
一部の先生は、本当にその道のプロである。しかしそれ以外はというと、学業や演奏活動の傍らで“時間給(レッスン代)だけを目的“として(つまりレッスンの時間以外にその生徒のことを考えることはない)レッスンしていたり、または先生という立場の上にあぐらをかいて、時代によって変動する最新のメソッドや多様化するニーズをアップデートすることなく、“その人の従来のやり方“で続けている場合もある。前回の記事にも懺悔したように、私も紛れもなくその一味であった。
いずれのケースでも、生徒がそのレッスンに満足できていれば問題ないのかもしれないが、同業者として(自分のことを棚に上げて)側から見た時に、「その教え方はないだろう」「その対応はあまりに不親切だろう」「そのレッスン代でたったこれだけの内容は詐欺では?!」と、その実態に目を剥き、胸が痛むケースが少なくないのは事実である。
同じお金と時間を費やすなら、なるべく良い先生に習いたいと思うのが世の常だろう。では、「良い先生」とはどんな先生だろう。見極めるポイントは「プレーヤーファースト」かどうか、である。当たり前のようで、実はなかなかできないことなのだ。
どんなに素晴らしいメソッドを学んでレッスンに反映したとしても、それが生徒に合っていなければ悲劇が生まれる。「生徒のため」と与えられた課題も、果たして本当にその生徒のためになっているのか。そもそも「○○のため」という発想自体が独りよがりではないか?
何も先生の怠惰や傲慢だけが諸悪の根源なのではない。先生という立場は様々な責任を生む。その責任を果たすため、「こうしないといけない」「こうした方が良い」と視野が狭まり、生徒であるプレーヤファーストの軸からズレてしまうこともあるのだ。
確かに、短期間でその先生の本質を見極めるのは難しい。だが、少なくとも「生徒の気持ちや視線にどれだけ寄り添って考えられるか」はレッスンでの先生の言動から分かるだろう。
言うまでもないが、子どもの習い事であれば、親がレッスンに同席し、隅々までしっかりと観察することが「良い先生」を見分けるための大前提である。口コミを鵜呑みにしないように注意しよう。