MOVIE REVIEW 「太陽の子」
(監督:黒崎博 主演:柳楽優弥、有村架純、三浦春馬 2021年/日本)
2020年の夏、NHKの特別枠で放送されたドラマの劇場版。
春馬くんが亡くなる直前にこの作品の存在を知り、これは見なければと思っていた矢先の訃報。
見たいと思う理由ががらりと変わってしまい、戸惑いながらチャンネルを合わせたことを覚えている。
戦争や原爆をテーマにした作品はすでにさんざん世の中に出ているし、どうしたって重いストーリーになってしまう。
そのため、視聴者には敬遠されがちなテーマのように思うが、柳楽優弥、有村架純、三浦春馬という若手実力派の3人を主演に据えたことだけでも、「この作品を多くの人に届けるんだ」という作り手の意志を感じた。
柳楽優弥演じる石村修は、京都帝国大学の学生で、原子物理学を志す科学者。海軍から原爆開発の密命を受け研究に没頭するのだが、原爆の開発が成功した暁に待ち受ける結末を思い、葛藤する。
アメリカが長崎と広島に原爆を投下する少し前に、日本でも秘密裏に原爆の開発が行われていた。ストーリーの核となるその事実に、まず驚いた。
国家がかける予算や原料の調達などに天と地ほどの差があり、アメリカに先を越される結果となったのだが、もし先に日本が原爆を完成させていたとしたら、歴史は180度違っていただろう。
その可能性がほんの少しでもあったことに、震える想いがした。
ただ純粋に化学に魅せられ、未知の世界を突き進むことが楽しくて仕方のなかった修や、研究室の仲間たち。その素晴らしき好奇心や頭脳を、国は殺戮兵器を作ることに利用した。
自分たちが作っているものが、人の命を奪うものだとうっすらとわかってはいるのものの、狭い研究室のなかではその実感は得られにくい。だからこそ、これまでにないものを作り出すという行為にだけ、彼らは力を注ぐのだ。
大きな現実が完全にぼやけた世界で、目の前の鮮明なものだけをひたすらに見つめる。彼らだけではなく、戦時中、国民の多くは国家によって盲目のうちにそのような状況に陥らされていたのだと思う。
修の弟で、三浦春馬演じる裕之もまた、同じだった。何の疑いもなく、「お国のために」出兵して、命を落とすことも厭わずに戦地で戦う。
けれども、肺の療養のため一時帰郷したことで彼は一瞬、「本当に大切なもの」に気が付いたはずだ。
前線での壮絶な戦いとはかけ離れた、家族との温かな時間。それを体感した彼の中には、当たり前に信じていた「国のために死ぬ」という選択肢への疑念と無念が沸いたのだと思う。
だからこそ彼は、戦地に戻る前に自ら海へと向かって足を進め、入水自殺を図ろうとした。
寸でのところで沖へと引き上げられた裕之が、泣きながら言った「怖いよ…俺だけ死なんわけにはいかん…死なんわけにはいかん…」という言葉にすべてが集約されている。あまりにも切ないセリフ。
先日読んだ、平野啓一郎著『空白を満たしなさい』に、自殺についてこんな考え方が書かれていた。
自殺とは、病んでいる自分が健全な自分を攻撃することではなく、健全な自分が「健全に生きること」を望んで、病んでいる自分を「消す」ことなのだと。
理想の自分とそれを邪魔する自分との戦いが激化した結果、選ばれるのが自殺という手段ということ。
そう考えると、裕之の自殺未遂は、「国のために命を落とすことを厭わないあるべき理想の自分像」が、「家族や好きな人と幸せに生きたいと願うダメな自分」を葬り去ろうとした行為なのかもしれない。
本来ならば、理想が「家族や好きな人と幸せに生きたいと願う」ことで、間違っているのが「国のために命を落とすことを厭わない」ことなのだけれど、その考え方を逆転させてしまった、当時の国家の洗脳はとてもとても恐ろしいものだと思う。
戦争の理不尽さと、戦時下の異様な国民心理と、生と死の狭間に生きる若者の葛藤と。
三浦春馬の死を差し引き、ひいき目を除いても、それらを表現する柳楽優弥、有村架純、三浦春馬の繊細な演技と、ストーリーや演出の良さが際立っていた。
何度も繰り返し多くの人に届けて、末永く見続けてしかるべき作品だと思う。
そして本当に本当に、これほどまでに素晴らしい俳優である三浦春馬の、この先の活躍が見たかった。その想いが抑えられない。