【短編小説】カンヅメの歌(10)

「……私のお母さん、韓国人なのね。芽衣子には、分からない立場、気持ちがあるの。いろいろ言うのは芽衣子の勝手だけど、本人不在で人をけなすの、汚いよ」
 リナンの反撃に、芽衣子は一瞬だけひるみながらも、下を向いて拗ねたよう、不明瞭に口を動かした。
「もし、私が変なこと言ってたら、ごめん。でも、リナンだって、日韓ハーフでしょう。韓国人のお母さんの立場や気持ちって、分かるの?」
「少なくとも、芽衣子より、私は分かると思う。一緒に暮らしてる、娘なんだから」
「一緒に暮らしてるからこそ、私はリナンが心配なんだけどな。どこの国の人か、っていう事情と、ああいうふうに娘を人前で叩くっていうの、また違う話だと思うよ」
 目の前の言い合いに雄太郎はうろたえ、リナンと芽衣子にきょろきょろと、もともと下がった眉をなおさら下げた、心許ない表情を向ける。それから彼は、「ちょっと、落ち着け」と取り成すよう片手を上げて、二人の間に割って入った。
「今日は、卒業式だぞ?もう、この中学で集まるのは最後だし、もしかすると、二度と会わない相手だって、いるかもしれねえよ。だから、今になって、わざわざバトルしなくていいじゃねえかよ」 
 よりにもよって、雄太郎にたしなめられてしまったリナンは、無表情で席を立つと、私物の入ったトートバッグの持ち手を引っ掴んだ。
「雄太郎のおっしゃる通りかも。芽衣子は高校、国立大学付属だったよね?勉強、がんばって。じゃあね」
 そこでリナンは、卒業式の国歌斉唱のシーンと同じく、ぐい、と肩を引っ張られた。背後には、眉間にしわを寄せ、口を一文字に厳めしく結んだ光村がいた。
「リナンさん!みんな、あなたの心配をしてるでしょう。なんでそんな冷たい態度、取るんですか?リナンさんらしくもないですよ」
 光村の勝手な勘違いに、リナンはもう、なにかを誰かに説明する気にもならなかった。肩に掛けられた光村の手を、リナンは害虫よろしく、さっさと払ってしまうと、廊下にひとりですたすた出た――と、誰かがリナンの右手を掴んだ。
 雄太郎は、そのままリナンの手を離さなかった。苦虫を噛み潰したような顔をするリナンに、彼はまったく振り返らない。階段を降りて渡り廊下を出て、ひとけの少ない校門そばまで、上履きを履き替えることなく、雄太郎はリナンを連れていった。