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私には普通ってのがわからない

馬鹿

「頭がおかしい」とか、「変」とか、「馬鹿なの?」とか。違うことを否定する言葉はいくらでも耳にする。それか、「そんなのもわかんないの?」「かわいそう」などの憐れむ言葉だ。

 わからないとは違う。え? 同じじゃないじゃん。

 ムカついてた時もあって、喧嘩っ早かったからやたらと喧嘩した。
 共感するより、それのどこがいい? とか言って敵を作ることが多かった。言葉選びも下手で、そのことを指摘してくれる人もいなかった。

「じいちゃんも喧嘩っ早かったから、あんたは似たんやろうね」
 母からはそんな的外れなことを言われたりしていた。

「生まれてくる時代を間違えたんじゃろ」
 そう言われても…。

「お前は空を見とる。遠く彼方を見とる」
 何のことやらさっぱり。
 おっかない伯父さんから、叱られるでもなくそんなことを言われたりもした。今思えば生き辛さを見透かされてていたんだろう。

毎日違う

 子どもの頃、とある学年で、不思議な点呼の取り方をする担任がいて、呼ばれると「はい! 元気です!」と答えなければならなかった。
 他の子たちがほぼそのテンプレ通り答えていくのに対し、私だけは必ず「はい! 頭が痛いです」とか、転んで足を捻っていると「はい! 足が痛いです」とか、何となく朝からテンション低くて「はい。あまり元気じゃないです」とか言っていたので、まわりがゲンナリしたような顔をしていたものだった。

「普通の時は『元気です』でいいんだよ」と言われて、「え、でも足首痛いし、手首もおかしいし…」と、落ち着きがないからよく転んでたし、あちこちぶつけてたし、その時のコンディションの細かい違いを逐一伝えなければと思っていたので素直に答えた。

 昔から無自覚だったが感覚過敏があったので、自分のコンディションに、他の日と同じと感じる日はなかったのだ。

 普段メガネをかけている人がメガネを外した時、違和感を感じる人は多いと思う。子どもは、メガネを外すとかなりの確率で「変~!」と言ってくる。『変』というのは違和感を覚えた時出る言葉なのなのだと子どもとの関わりの中で理解した。

 普段メガネをかけていない姿ばかり見ている子は、メガネをかけた時同じように『変~』と言ってくる。否定語なのに悪意が無い。

 一方、大人の言う『変』は、『馬鹿じゃね?』とか、『意味不明ー』、『理解に苦しむ』、『頭大丈夫?』というような悪意が垣間見えることがある。

 思考回路が何か違うのか、物事を考えるにあたって前提として踏まえていることや、配慮している部分が根本的に違うのか、頭の回転速度が異次元のレベルで早く、自分には見落としていることだらけなのか。

普通

「普通はさ」とか「いつも通りで」といった、平均値がわからない。とある妖怪アニメに出てくる主人公の特性が欲しいとか思う。

 妖怪のせいにしてしまえば、友だちは増えるのかもしれない。

 よし、妖怪が見える時計作りから始めてみるか!

誰かの心にほんの少しでも風を送れるものが発信出来るよう自己研鑽していきます。 当面はきっと生活費の一部となりますが、いつか芽が出て膨らんで、きっと花を咲かせます。