ダイバーシティ
潜る方々の都市ではなく、多様性の方です。
特にニューロダイバーシティについて、深く考察することがあります。
昔からよく熟考していましたが、ニューロダイバーシティという言葉を知ったのは、ごく最近になってからのことです。
ニューロダイバーシティ
こちらの記事を読んで、初めてその言葉を知りました。
脳機能の多様性。
確かに障害という概念でくくるには、漠然と引っ掛かりを感じていて、必要だから生まれる生物学的な役割を持った存在と考えるとしっくりくる自分がいました。
そもそも、定型発達といわれている人たちの中には、診断を受けていないが為に発達障害と呼ばれていない人も数多く存在します。
生き延びるための技術として、処世術というものがあります。しかし、発達障害をもつ人たちの多くは、その技術が先天的に欠如していたり、著しく下手だったりします。
得手不得手にもキャパシティがあって、何かに秀でている人は何か苦手をもっているものです。
無さそうに見える人も、恐らく必ずある筈です。
偉人か奇人か変人か
歴史上で名を残した偉人たちの中に、実は発達障害があったといわれる例をよく耳にします。
納屋に火を放ったと言われるトーマス・エジソンや学校から追い出されてしまったアルベルト・アインシュタインらの話は有名ですね。
他にも織田信長や坂本龍馬、スティーヴン・スピルバーグの名前も何処かで見かけました。
着目点が普通ではないことは、社会を変革するためには必要不可欠な存在と考えられます。
偉業を成した人たちもまた、前後の歴史や背景を調べると、大変な苦労をしてきた人たちだと推察できます。
生き辛かっただろうなぁと。
それを乗り越えたからこそ、偉人なんだと思います。
数撃ちゃ当たる
いやー、それにしても最近多くない? とか思ってしまうのは、考えすぎでしょうか?
単に、遥か昔は迫害されたり、恨みをかって何かに巻き込まれたり、事故死したり、座敷牢に幽閉されたり、自然淘汰されるケースが多かったのかもしれません。
お前そんなんじゃ世の中生きていけねーよと言いたくなる子どもも沢山います。
もしかして、下手の鉄砲数撃ちゃ当たる方式で、現代社会変革の為に多様な脳機能を持つ子ども(もしくは元子ども)がこの世に遣わされているのか? とか思ってしまったりもします。
歴史的にとか、統計的に見るとそんな感じかもですが、親としては……ねぇ。
親の思い
まぁ、何やかんやと書きましたが、当人たちは別に、後世で偉人と呼ばれるために今を生きているわけではありません。
どうせならたった一度の人生、幸せな人生を歩んでもらいたいと思うのが、親の思いとしては共通ではないかと思います。
本人にとっての幸せが、周囲が考える幸せの姿と一致するかはわからないので、そこもまた多種多様ですが、困っていれば助けたいですよね。
普通という概念もまた、記事一つ書けるレベルの難解な概念ですが、我が子に普通の幸せを望むのは、やっぱり普通のことだと思います。
自分を見つめ他者理解に繋げる
上の文章中で、今回は発達障害と記述しましたが、私としてはやっぱり発達特性という方がしっくりきます。
別に差障りも害もあると思えないからです。
本人にとって、二次障害に繋がるようなしんどさがあると考えたり、周囲の人にとって、迷惑が生じてしまうようなことに繋がりやすいと考えれば、確かに障害かもしれません。
しかし、いつの間にか社会に根付いている固定観念や、社会通念を振り返ったり、様々な理解を進めていくことで、特性の一つと呼んだ方がしっくりくるという人を増やしたいものです。
ソクラテスの、無知の知について、いつも考えさせられます。
他者を愚かと思うことは簡単です。
ですが、優位な気分になれるだけで、成長は難しいです。
自分の無知を認め、他者を受け入れることで、自分を高めることに繋がると思います。
でも、ムカつく時はムカつくし、許せない時もある。
案外井の中にずっといる方が幸せかもしれません。
大海に出たつもりで、実はまだ箱庭の中の池の中にいるだけだったり、ロッカーの中を世界の全てだと思っている宇宙人もいるらしいし、地球人は宇宙人だと知らない子どもも多いし……。
さて、自分の変人っぷりを少し暴露したところで今回は終わりたいと思います。
最後まで読んで下さった方、有り難うございます♪