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ヴィロンの森 第九章 恋心

翌日、少女は目覚めると、何だかいつもと違う朝のように感じました。
窓に目をやると、おだやかな朝の陽の光がちょうど窓から射し込んで辺りを照らし始めたのと、白いカーテンが静かに揺れているのが見えました。
しばらくそのまま、その辺りを見ていると、段々と昨日の舞踏会のことを思い出してきました。

昨日は何て素敵だったのでしょう……!
嬉しい気持ちが段々と大きくなってきます。
素敵だったわ、本当にとても素敵だった……!
少女は嬉しくて、いても立ってもいられなくなり、起き上がると、ネグリジェ姿のまま、窓辺に立ちました。
すぐ近くに見える木々が、朝の光に照らされ、風に揺れるたび、きらきらと輝いているように見えます。

それからしばらくしてドレスに着替えると、侍女に髪を結ってもらいました。
髪を結ってもらっている間も、少女は昨日の舞踏会について色々と思い起こしていました。
すぐに浮かんできたのは、参列者や妖精たちの華やかな衣装、シャンデリア、揺れるピアスなどきらきらとしたものでした。
そしてすぐに、ヴィロンの女王の美しい姿や、人間の子ども達と妖精たちが踊る姿が思い浮かびます。

それから、ラルフのことを思い出すと、急に胸がドキドキしてきました。
ラルフがタキシードのような衣装を着ていたからか、いつもより大人びて見えたこと、また、月明かりの下、笛の音に感動していたら、ラルフの胸に抱きしめられたこと。
そして、ラルフの顔が近づき、それから……

そこまで思い出したら顏が急に熱くなりました。
はっ、とし頬に両手を当てます。
「どうかされましたか?」
少女の髪を結っていた侍女が不思議に思い、尋ねてきました。
「いえ、なんだか顏が熱くて……」
「確かにお顔が赤いですわ!」
のぞき込むようにして侍女が言います。
「手を触れてもよろしいでしょうか」
「えぇ、大丈夫」
少女がそう言うと、侍女は少女の額に手を触れました。
「お熱……は、ないようですね」
「そう? 変ね」
「冷たいセルヴィエットをご用意いたしましょうか?」
「用意してもらえるとありがたいわ」
「すぐに」
侍女は立ち上がるなり、すぐに部屋を出て行きました。
おかしいわ、どうしたのかしら……。
そう思いながら、鏡をのぞき込みます。侍女が言うように、顏が赤くなっていました。
侍女がすぐに冷たいセルヴィエットを持ってきてくれたので、それを顔にあてると、少し顔のほてりが治まりました。

朝のお祈りが終わり、朝食をとる部屋に向かっていると、オーギュストとアレクサンドルがニコニコして、途中の中庭に面した回廊(かいろう)のところで少女を待ち構えていました。
「おはよう、アリ」
「おはよう、お姉様」
「おはよう、お兄様、アレク」
そのまま、三人が一斉に昨夜の事を話そうとした時、ちょうど後ろから来た、自分の兄達が話しているのが聞こえてきました。
「実は昨日、途中から記憶がなくなってしまって……」
「兄様も!? 僕もそうだよ」
「お前達も!? いや、僕もふと気づいたら舞踏会が終わってて……そんなにお酒を飲んでなかったと思うのだけど……変だな」
兄達が昨夜についてあまりにも不思議そうに話しているので、三人は顔を見合わせ、くすくすと笑い合いました。

三人は朝食を食べ終えてから、中庭でしばらく昨夜の舞踏会について話していました。
「昨日は、オーギュスト兄様に呼ばれたから、僕も舞踏会に行ったよ。とっても楽しかった。それに女王様にもお菓子をもらったの」
アレクサンドルは嬉しそうにそう言うと、ポケットから大事そうに綺麗な布に包まれたお菓子を取り出しました。
「そうだったの、とても綺麗な布ね。何のお菓子なの?」
「ショコラだって女王様が言ってた」
「そしたら、溶けないようにしないとダメよ」
「そうなの!?  うん、分かった」
そう言うと、ポケットに再び大事そうに入れました。
「皆、楽しそうに踊っていたわ。二人も踊ったの?」
少女が尋ねます。
「僕は、ずっと女王様とお歌を歌っていたよ。兄様は妖精の女の子と踊っていたよね」
アレクサンドルが兄を見上げます。
「うん、まぁ」
恥ずかしそうにオーギュストが答えました。
「姉様はラルフと、どこに行っていたの?」
アレクサンドルが尋ねました。
「バルコニーよ、二人で月を見ていたわ」
「そういえば、昨日はだいぶ月が綺麗だったね」
オーギュストは思い出すかのように、宙を見ながらそう言いました。
「えぇ。とてもさんさんと輝いていたわ!」
少女は、嬉しそうに言いました。

しばらくして、オーギュストは剣術のレッスンの時間になったので、そのまま庭園の方に向かいました。
「姉様、博士のところに行かない?」
ふと、アレクサンドルが言います。
「いいわね。博士に色々お話したいし」
少女がそう言うと、二人は連れ立って、博士の家に向かいました。

博士は、書き物をしていましたが、二人が来ると、近くのソファーに座らせ、助手のギデオンに飲み物を持ってくるよう頼みました。
二人は座るなり、先日のヴィロンの国に訪れた事や、少女の舞踏会での出来事について矢継ぎ早(やつぎばや)に話します。

博士は非常に驚いたような顔をしながらも、二人の話をうなずきながら聞いていました。
そして、二人が大体、話し終えると、
「ほぅ、宮廷に行かれたのですか! しかも彼らもこの国に!」
と言いました。
「えぇ、銀貨は博士の言うとおり、非常に嬉しいものだって言っていたわ。そのお礼に宮廷に呼んでもらえたの」
「そうでしたか!」
博士はそう言うと少々お待ちを、と言い、奥の書斎に入っていきました。
「本当に楽しかったね、また行きたいねぇ」
はしゃぎながら、アレクサンドルがそう言うと、アリアンヌは微笑み、
「えぇ。とても忘れられないわ。女王様にまたお会いしたいわね」
と言いました。

すぐに、博士は二人の元に戻ってきました。
そして、持っていた本を二人の前に置き、その中の何頁かを開くと、
「お城はこんな感じだったでしょうか?」
と尋ねました。
そこには美しいお城の絵が載っていました。
「あっ! こんな感じだったわ!」
「うん、こんな感じだ」
二人が目を輝かせて言います。
「お城とその中は黄金でできていて、天井には天使の絵があって……」
「お庭がとても大きかったよ。僕達のお城のお庭みたいだった!」
「王妃様のお部屋のタペストリーも、とても大きかったわ。ラルフみたいな人たちが描かれていて……」
「そうですか、そうですか」
博士は、二人が口々に言うのを聞きながら、紙に二人が言うことを書いています。
「そうそう、お姫様達にお話ししたいと思っていたのですが」
二人がある程度、言い終わると、ふと博士が切り出しました。
「前にヴィロンの一族が十年に一度、森から森へ移動する種族だとお話したのですが」
その言葉を聞いて、アリアンヌの胸に急に不安がよぎりました。
「そうだわ……言っていたわね」
「今年がおそらく十年目で、移動の時期になると思われます」
「それって……」
アリアンヌの胸がどきりとしました。
「えぇ、今年、どこか他の森へ移動すると思われます」
「そんな!」
「お姉さま、どういう事?」
アレクサンドルが、姉のドレスの裾を引っ張りながら聞きます。姉は弟に向き直り、
「アレク、大変な事よ。ラルフ達が、他の森へ行ってしまうの」
と言うと、
「女王様とかも!?」
と、弟は大変驚いた様子で聞き返しました。
「えぇ、そうよ」
「もう会えなくなるの?」
弟は、不安そうに姉に尋ねます。
「それは……博士、どうなのかしら? 私達、もう会えなくなるの?」
少女も心配そうな顔つきで、博士に尋ねました。
「移動する先が、この国のまた違う森だったとしても、他の森もここからだと、だいぶ距離がありますから、なかなかお姫さま方が今の様に気軽に会いには行けないでしょう……つまりは、もう会えなくなるでしょうね」
「そんな!」
「もう会えなくなるの!?」
アレクサンドルはそう叫ぶと、すぐにその目が涙でいっぱいになりました。
「アレク、泣かないの」
弟の様子を見て、少女は声をかけました。
「嫌だよ、姉さま……せっかく仲良くなれたのに……ククルにも会えなくなるの、嫌だよ……」
アレクサンドルは泣きながらそう言うと、姉に抱きつきました。
「もう!泣かないの」
少女は自分も泣きたいのをこらえながら、そう言いました。
「王子様を泣かせてしまって申し訳ありません……」
博士がおろおろしながら謝ります。
「いえ、いつか知る事だし、言ってくれて良かったわ」
「しかし、あくまで私の推論ですから、移動する時期はまた違うかもしれません」
「そう。でも、博士の言う事はいつも間違いがないから、今年、移動してしまうのだと思うわ」
少女はそう言うと、弟の背中を優しくなでました。
「アレク、今度森に行った際に、ラルフに聞いてみましょう」
弟は、目を真っ赤にしながら姉を見上げました。
「聞きたくない」
「いつかは知らなきゃいけない事よ。もし別れる時はちゃんとお別れの言葉を言わないと」
「聞きたくないったら!」
そう言うと、わんわんと弟は泣き出してしまいました。
「もう! そんな事言わないで!」
少女はそう言うと、おさえていた気持ちが止まらなくなり、ついには泣き出してしまいました。
しばらくして、二人は泣くだけ泣いてようやく泣き止むと、しきりに謝る博士にお礼を言い、博士の部屋を出ました。

二人は、目を腫らしたまま、向かったのは義母のーーと言っても、アレクサンドルには実母に当たりますがーー、クリスティーヌの部屋でした。
クリスティーヌの部屋は本塔から東の塔の三階にあり、以前はアリアンヌの実母がその部屋を使っていたものでした。
アレクサンドルは度々、この部屋を訪れていましたが、少女は実の母が亡くなってからはあまり訪れる事がありませんでした。王妃は目を赤くした子ども達に驚きながらも、二人を部屋に迎え入れます。
「どうしたの、あなたたち? 何か怖い事でもあったの?」
クリスティーヌがそう言うと、アレクサンドルは母に抱きつきました。
「お義母様、私達、もうラルフに会えなくなるかも……」
義母の横でそう言うと、少女は再び、悲しみで胸がいっぱいになってきました。
「会えないとは、どういう事なの?」
「博士に教えてもらったのだけれど、ヴィロンの人々は十年に一度、森から森へ移動するらしくて、今年がその移動する年らしいの。どの森に移るかは分からないけど、会うのは難しくなるだろうって博士が……」
アリアンヌの瞳から再び、涙がこぼれ落ちました。
「そうなのね……だから、あなた達、悲しくて泣いていたのね」
アレクサンドルの頭を優しく撫でながら、王妃が言いました。
「ちゃんとラルフに聞いてみるつもりよ。でも、本当だったらと思うと……」
涙をぬぐいながら、少女はそう言います。
「おいで、アリ」
王妃は、息子の頭を撫でながら、もう一方の手を、少女に差し伸べました。少女はその手にすがるようにして、義母の胸の中に飛び込みます。義母の胸に飛び込むのは少女にとって初めての事なので、戸惑いを覚えましたが、王妃の温もりを感じると少しばかりほっとしました。
「大事な人と会えなくなるのは本当に辛い事だわ。できれば、ずっと一緒にいたいものね」
「えぇ、ずっと一緒にいたい……」
「僕も、ラルフとククルとずっと遊んでいたいよ……」
涙声でアレクサンドルが言いました。
「彼はあなた達にとって、本当に大切なお友達なのね」
「えぇ、大切な人よ」
「僕も、僕にとっても大事な友達」
「そしたら、勇気を出して聞いてみなさい。色々怖いと思うだろうけど」
「えぇ、怖いわ、お義母様、本当に怖い……」
アリアンヌはそう言いながらも、自分の素直な気持ちを義母に伝えている自分に対して驚きました。
実の母親が亡くなって、自分の父親がクリスティーヌを後妻(こうさい)に迎えてからは、ずっとどこか義母に対して甘える事も、自分の素直な気持ちも伝える事ができませんでした。
それは、義母に対して、どこか『他人』であり、家族ではないと思うところがあったからでした。
だけど今は、前までクリスティーヌに感じていた『他人』と思う気持ちが不思議となく、ただ、純粋に甘えてもよく、自分の気持ちを隠さなくても受け入れてくれるような、そんな安心感を与えてくれる存在に思えました。

義母はしばらく二人を優しく抱き締め、その頬や額に優しく口づけをしてくれたので、二人は次第に落ち着いて泣き止み、そのまま義母に抱かれたままでいました。
アレクサンドルは泣き疲れたのもあり、そのまま眠り始めました。
「王妃様、私達が」
アレクサンドルを王妃がベッドに運ぼうとすると、侍女達が声をかけてきたので、王妃は息子を侍女達に託し、それから、ソファーに座っているアリアンヌの横に腰掛けました。
「ありがとう、お義母様。私、ラルフに聞いてみるわ」
少女がそう言うと、
「えぇ、それが一番よ」
と、義母はそう言いました。

そして、クリスティーヌは、ふと立ち上がると書棚から一冊の本を取り出してきました。
「これ、前に話した、お姉様の妖精の本なのだけれど。もしよければ見る?」
そう言い、差し出したのは、青地に金の刺繍で装丁(そうてい)された美しい本でした。
「見たい! ありがとう」
アリアンヌは本を受け取ると、すぐ頁を開きました。
「三十四項がドワーフの頁なの」
再び、自分の横に座った義母にそう言われて、該当の頁を開くと、そこにはどっしりとした体格の、髭の長い小人が何人か描かれていました。
「あなたのお母様が、子ども時代に会ったのが彼らよ」
「これがドワーフ!」
「外見は強そうで、いつもしかめっ面をしてて近寄りがたいけれど、一緒にいると陽気だし賑やかで、始終笑いっぱなしで楽しかったって、いつもお姉様が話していたわ」
「そうなのね、私も会ってみたいわ」
「あなたは子どもだから、いつかそのうち会えるのではないかしら」
アリアンヌは義母の言葉にニコリとし、そして、そのまま次の頁を開くと、そこにはエルフが載っていました。
「見て、お母様。エルフよ。この子、ラルフに似ているわ」
一人のエルフを指差しながら、そう言いました。
「ラルフは綺麗な顔立ちをしているのね」
「そうなの、後、エメラルド色の瞳もしていて。あまりに綺麗だから、いつも見つめてしまうの」
「そんなに綺麗なのね」
「えぇ、後、笛も上手で。いつも会うたびに吹いてくれるの。それも、とても綺麗な音色よ。私、何回も感動して、この間なんて泣いてしまったわ」
「よほど素敵な音色だったのね」
「えぇ、素敵だったわ、とても」
少女はそう言うと、ラルフに似ているエルフの絵を見ながら、昨日の、夜の月に照らされた笛とラルフの銀髪、そして、美しい旋律を奏でるラルフの姿をその絵に重ねました。
すると、急に胸がドキドキして、そして顔がなんだか赤くなっていくのを感じました。思わず頬に手を当てます。
「どうかした?」
アリアンヌが急に黙ったので、義母が尋ねます。
「あの、お義母様、一つ聞いても?」
少女が両手を頬に当てながら尋ねました。
「この頃、急に顔が赤くなったり、胸が急にドキドキしてしまって……これは何かの病気かしら?」
「それは……例えばどんな時にかしら?」
義母が尋ねます。
「そうね……」
少女は宙を見ながら、考えを巡らました。
私が顔が赤くなったりする時……。
「ラルフの事を考えると、よくそうなる気がするわ」
少女がそう答えると、義母は何かひらめいた顔をし、そして、 
「分かったわ! それは、あなた恋をしているのよ」
とすぐに言いました。
「恋?」
「えぇ、恋。そうね、どう言ったらいいかしら。相手の事を思ったり、一緒にいたいと思ったり……皆が一度は経験するのよ。あなたのお母様も、おばあ様も、その前の人々も。皆、通ってきた道よ」

私がラルフに恋……!
「初めての恋は、初恋と言うのよ。相手が素敵な妖精の男の子で良かったわね」
クリスティーヌはそう言うと、再び立ち上がりました。
「さぁ、そろそろお部屋に戻りなさい。その本はあげるわ」
「いいの?」
「えぇ、そもそもお姉様のものだもの。お姉様の娘のあなたが持つべきだわ」
「ありがとう、お義母さま」
「どういたしまして。また夕食の時に」
「えぇ、また後で」
少女は、行儀よくドレスの裾をつかんでお辞儀をすると、そのまま義母の部屋を出て行きました。

【注 釈】
思い起こす: 思い出す
セルヴィェット:  タオル  フランス語  serviette
回廊: 建物の外側にめぐらされた、屈折して続く長い廊下
ショコラ:  チョコレート  フランス語 chocolat 
連れ立つ: 一緒に行く
矢継ぎ早: 続けざまにすばやく物事を行うこと
書斎: 読書や書き物をするための部屋
(不安などが)よぎる: 通りすぎる
堪える: 耐える
推論: ある事実をもとにして、未知の事柄を推測すること
わんわんと: 大声をあげて泣く様子
おさえる: 感情などが高ぶるのをとどめ
すがる: 頼りとする
後妻: 妻と死別などした男性が、そのあとで結婚した人
託す: 自分がやることを他の人に頼むこと
装丁: 本としての外観を飾り、整えること
該当: ある条件などに当てはまること