雪国が嫌いだ
生まれも育ちも雪国である。
しかも生まれて40年、雪国から出たことがない。
ずっと雪国で暮らしている。
しかしながら雪国が嫌いだ。
冬の間の閉塞感、寒さ、曇天、全て大嫌いだ。
しんしん(雪国の人間にはお馴染みの表現)と降り積もる雪を深夜眺めていると、しんしんと孤独感と絶望感が心に降り積もるのがわかる。
今リアルタイムで深夜2時過ぎ、雪がしんしんと降り積もり、私の心の中にもどうしようも無い孤独感、絶望感が降り積もっている。
雪国の冬は過酷だ。だから各コミニティでの協力が不可欠である。
なのでコミニティ内の結束は固い。が、裏を返せば同調圧力や異端を排除する力も強い。
私は雪国の生まれではあるが、今住んでいる土地に移り住んだのは5歳ぐらいの時である。
その頃にはもうそこのコミニティには結束が生まれていた。
そのコミニティに馴染もうと必死になったが、生まれ持っての異端(発達障害)のせいなのか、私は住んでいる土地の人間と馴染めず地元に友達がいない。
だからと言ってコミニティの当たり前は受け入れられないし、今さらコミニティに入りたいとも思わない。
雪国の閉塞感。それを結束だとか、絆だとか言う言葉に置き換えてズルズルと狭いコミニティで生きながらえるための術にしているだけと思う。
今日も私の心には異端としての孤独感、絶望感がしんしんと降り積もるのを確認し、いつかこの地を捨てる事を妄想するのである。